今日、幼馴染ができました。

澤松那函(なはこ)

8月8日 ~朝起きたら幼馴染が出来ていました~

 二〇二一年 八月八日。


「おはよう」


 瑞々しい声が降り注ぎ、桐嶋健太きりしま けんたは目覚めた。

 ベッドの傍らに少女が一人、膝立ちしている。

 通った鼻筋に、桜色の艶やかな唇。

 ふわふわとした癖のある髪が肩まで伸び、黒目がちな瞳は宝石のようにキラキラと輝いている。

 ふっくらとした胸が、半袖の白い開襟シャツの生地を張り詰めており、腰つきは両手で掴めてしまいそうなほどに細い。

 シャツとチェック柄のプリーツスカートは、健太の通う辰原たつはら高校の女子用制服である。

 少女は、今まで出会った女性の誰よりも美しい。

 けれど健太は、彼女の来訪を歓迎していなかった。


「あんた誰だぁ!?」


 何故なら健太と少女は、今日が初対面だからだ。

 知らぬ間に部屋へ上がり込んでいる見知らぬ女性に対して、至極まっとうな反応。

 しかし彼女は、我が物顔で居直っていた。


「おはよう」

「だから誰なんだ!?」


 再度尋ねると、少女は眉間みけんに深いしわを作った。


「幼馴染の顔を忘れたの?」

「おさ……幼馴染?」


 朝、起きたら幼馴染が出来ていた。

 なんてことがあるわけがない。


「んな……馬鹿な。なんだこれ。どっきり……とか?」

「幼馴染を忘却してることに、わたしがびっくりだよ」

「もしかして美人局つつもたせか!?」

「違います」

「分かったぞ!! 父さんが今度の誕生日プレゼントに気を利かせて俺をおとこに――」

「そういうのじゃありません」

「……じゃあなんなんだ!?」

「だから幼馴染だよ?」


 朝起きたら可愛い幼馴染が!! という妄想を抱いたことはあるが、いざ現実になると、少年らしい欲求よりも、恐怖が勝った。

 外見がいくら美少女だろうと、やってることは、住居不法侵入の現行犯でしかない。


「初対面の人間に幼馴染と言われてもな。とりあえず警察呼ぶんで。ていうかどうやって入った?」

「おばさんが入れてくれたんだよ」

「何やってんだ母さん!! 警察呼んでくれ!」

「なんで警察?」

「分かるだろ!? この状況!! この状態!! 不法侵入の現行犯!!」

「……わたし悪人じゃないよ?」

「うるさい! 不法侵入だ! 母さん!! ねぇちょっと!!」


 再度母を呼ぶと、階下から重い溜息と軽い足音が気だるげに階段を上ってくる。


「どうかした?」


 ドアを開き、入ってきたのは少女よりも、さらに一回り華奢な女性。

 健太の母親である桐嶋玲子れいこだ。

 体格に似合わず母の威厳に満ちた人物で、どんな非常事態でも何とかしてくる。そんな期待に常に応えてくれる人だ。


「この人!」


 健太が少女を指差すと、玲子は呆れ顔で嘆息を漏らした。


「幼馴染の顔を忘れるかね。ごめんね。ホントに失礼な単細胞息子で」

「はぁ!?」


 悲鳴を上げる健太を尻目に、謎の少女と玲子は会話を続けている。


「いえいえおばさん。慣れてますから」

「ごめんねぇ。ほんとにバカ息子で」


 玲子は、デイサービス施設の施設長をしているから、コミュニケーション能力は高い。

 初対面の相手でも友達のように話せてしまう気性だ。

 だが、不用心な性格では決してない。

 不法侵入している不審者に、なれなれしくなんてしないはずだ、


「訳が分からねぇ! なんであんたら、初対面で仲のいい嫁姑よめしゅうとめ感出してんだ!?」

「わたしが幼馴染だからだよ」

「だからお前は誰なんだ!?」

「健太、馬鹿言ってないで早く朝ごはん食べちゃいな」

「そうそう、食べちゃいな。遅刻しちゃうよ?」


 やはり仲のいい嫁と姑のようなコンビネーション口撃。

 どうやったのか方法は定かではないが、玲子は洗脳されている。

 催眠術か、あるいは薬でも盛られたのか?

 玲子が頼りにならないのなら、次の作戦に移るしかない。


 ベッドから飛び起きた健太は、パジャマ姿のまま階段を駆け下りてリビングに向かった。

 そこに居たのは、健太の父親、桐嶋重蔵じゅうぞうだ。

 重蔵という名前とは反比例するかのような痩身な体型だが、合気道の有段者でもある。

 いざとなれば不審者なんて、ひとひねりだ。


「父さん!!」


 非常事態だというのに、重蔵は朝食の並べられたテーブルでコーヒーをすすり、和んでいる。


「あははは!! 騒がしいな。顔だけにしときなさい」

「あんた似だ! そう思うなら十六年前に、もっといい遺伝子を出しときやがれ! じゃなくて母さんがおかしくなったんだ!!」

「何を言ってるんだい……うちでまともなのは俺だけじゃないか?」

「いやいやいやいや!! あんたは一番まともじゃないから!!」

「なんだって!? あははは!! その通りだね!」


 母の次に頼りになる。とは言っても、この家は健太と両親の三人暮らしだ。

 玲子を百とするなら重蔵の頼りがいは一。

 あてにしたのが間違いだったかもしれない。


「おじさんおはようございます」

「やぁやぁ。朱里あかりちゃんおはよう」

「へぇこの人、朱里っていうんだ……って!? やっぱりこっちも仲良いのかよ!! あれか? 親父に色目でも使ったのか!?」

「もう健太くん。エッチなビデオの見すぎだよ?」

「あははは!! それも悪くないかもしれないね」

「もう! オジサンったら!」

「あははは!!」

「父さんまで……いや、この人の非常識っぷりは平常運転か。元からシナプスの配線狂ってるし。でもそれにしたって……」


 十数年を共に過ごしてきたような親しい空気が、朱里と呼ばれた少女と健太の両親の間に流れている。

 理解の及ばない現実を前に、健太が呆然と立ちすくんでいると、困惑の元凶である朱里が子犬みたいな顔で無邪気に問い掛けてきた。


「どうしたの健太くん?」

「だからさぁ……なんで朝起きたら幼馴染が出来てんだよおおおおお!!」


 これは、桐嶋健太が過ごしたちょっと不思議な日々の物語である。

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