第2話

 西暦2XXX年。

 突如、宇宙から飛来した謎の物体が、地球上のあらゆる国へと落下した。

 大きな黒い塊。

 日本で言えば、東京ドーム五個分ほどの巨大な塊が世界中へと飛来した。

 当初はただの隕石だろうと、あらゆるメディアがはやし立てた。

 世界中の科学者達も、ただの巨大な隕石だと声を揃えた。

 宇宙から塊が飛来して一年が過ぎ、誰もがその存在を忘れかけた頃。

 「ソレ」は突如姿を現した。

 最初はアメリカだったか、ロシアだったか。

 真夜中に「ソレ」は静かに口を開けた。

 青き咆哮ほうこう

 一筋の光が、街を一瞬で焼き尽くした。

 それと同時に黒い塊の裂け目から、地球上の生物ではない「何か」がゾロゾロと地上へと這い出してきたのだ。

 その「何か」は、燃え盛る街へ侵入し、あろうことか人の死体を喰らい始めた。

 否、死体だけならまだしも、逃げ惑う人々さえも喰らい尽くした。

 そして、朝日が昇る頃。

 「何か」は活動を停止し、黒い塊へと姿を変えた。

 一夜にして、街が一つ滅びた。

 その事実は、世界を一気に混乱へと突き落とした。

 各国で争いをしている場合ではない。

 「ソレ」は人類を滅亡させるモノなのだと。

 人々がそう認識するのに時間は要さない程。

 ただ、目の前の光景だけが現実で。

 その事件をきっかけに、世界の情勢は一変した。

 各国は手を取り合い、「ソレ」の解析を進めた。

 だが、「ソレ」の進行は思った以上に早かった。

 軍事機器の無い国は、半年で呑み込まれるほどに。

 日本も例外ではなかった。

 島根県に落ちた「ソレ」は、半年で中国地方を呑み込んだ。

 「ソレ」が飛来してから二十年。

 地球のおよそ四割が「ソレ」に呑み込まれていた。

 だが、人類も黙って進行を許している訳ではなかった。

 アメリカ、ロシア、ドイツ、フランス、日本。

 この5カ国が中心となり、まずは研究チームを立ち上げた。

 そしてあらゆる国の研究者達をチームに呼び込み、「ソレ」の解析と対兵器の製作を速やかに行っていた。

 一番初めに飛来した、大きな黒い塊は「コクーン」と呼ばれ、「コクーン」から這い出てきた生物は、夜に活動する悪夢と言う意味で「ナイトメア」と名付けられた。

 「コクーン」は質量、形状を維持したまま移動せず、新月に「ナイトメア」を吐き出し続ける事。

 「コクーン」は日夜問わず、攻撃を一切受け付けない事。

 万が一、外観に傷つくような事があっても瞬時に修復する事。

 「ナイトメア」は夜にしか活動しない事。

 「ナイトメア」は朝になると黒い塊へと形を変え、一切の攻撃を受け付けない事。

 「ナイトメア」には「核」があり、活動時においてのみ「核」を破壊する事で、

 「ナイトメア」を撃破出来る事。

 核を壊さない限り、体の傷を修復し続ける事。

 「ナイトメア」に喰われた命は、いずれ「ナイトメア」へと形を変える事。

 二十年経った今でも、わかっているのはそれだけだった。

 何の為に飛来したのか。

 何故、地球上の命を喰らうのか。

 それすら考える余地も与えず、「ナイトメア」は今も尚、進行を続けている。


ー◆ー


 「ナイトメアにはそれぞれ五つのタイプがあり、タイプA《エー》は地を這いずるスライム状のモノ……。タイプB《ビー》は小動物のような形態……。タイプC《シー》は鳥程の大きさで飛行する……。タイプD《ディー》はヘリコプター程の大きさで飛行する……」

 そこまで読み終えた時、電車が「ガタン」と音を立てて動き始めた。

 「前の駅で事故があった為、当列車は緊急停止を行い、現在約一時間遅れで運行しております…。ご乗車の皆様には大変ご迷惑をお掛けして……」

 ようやく車内にアナウンスが流れる。

 緊急停車してから三十分も経っているのに、車掌は何をしていたのだ。

 そう、心の中で悪態あくたいをつきながら、腕時計を見やる。

 時計は18時を過ぎた辺りだった。

 目的地まであと5駅。

 (最終のバスは何時だったっけ?……この調子で間に合うかな……)

 網棚あみだなに乗せたスーツケースを見上げ、あおいはフッとため息をついた。


 最終のバスにギリギリ間に合い、あおいは目的地のバス停へと降り立った。

 運転手さんにお礼を言って頭を下げると「気を付けるんだよ」と声を掛けられ、バスの扉が閉じた。

 走り去っていくバスを横目に、肩に下げたショルダーバックから1枚の紙を取り出す。

 これから数年間、お世話になる寮への地図だ。

 あおいはそれを一瞥すると、スーツケースを掴み、歩き始めた。

 時刻は20時を超えていた。

 (マズい……。早く行かないと……)

 民間人は19時以降の外出を禁じられている。

 「ナイトメア」が活動を始めるからだ。

 案の定、周りに人気は全く無い。

 それが薄気味悪うすきみわるさを増長ぞうちょうさせていた。

 この辺りはまだ「ナイトメア」の出現地域では無い筈だが、人気ひとけが無い分、何か出てくるのでは無いだろうかと嫌な想像が働く。

 時折、地図を確認しながら、急ぎ足で寮へ向かう。


 チリン……。


 鈴の音が聞こえた気がして、あおいはふと足を止める。

 辺りを見回してみるが、何の気配もない。

 (空耳かな…)

 そう思い歩き出そうと前を向くと、前方にある電柱の陰から、何かが音も無く姿を現せた。

 (っ…⁈)

 恐怖を覚え、あおいの身が固くなる。

 逃げなければ。

 そう思うのに、足がすくんで動かない。

 目だけはしっかりとその地面に映る影を捉えていた。

 コツン……コツン……

 静寂に音を響かせて、影が暗闇から姿を現した。そして数歩歩いた所で靴音が止まる。

 光に照らされたのは、少しヒールの高いこげ茶色の軍事用ロングブーツ。

 (……人?)

 深紅の軍服に黒のミニスカートと黒のタイツ。腰には茶色の革だろうか?太めのベルトが緩めに締められていた。

 その左側には、細長い剣のような物がぶら下がっている。

 その上から着ているのは、深紅しんくのロングジャケット。左胸には金のブローチとカラフルなバーのような装飾品が付けられている。

 ただ肩にかけているだけのようで、長い裾がマントのように風に揺れていた。

 「ここで何をしている。」

 静寂せいじゃくに、りんとした声が響いた。

 「あ……」

 視線を上げると、服に負けないほどの深紅しんくの髪が目に入る。風に靡く髪は、キラキラと宝石のような輝きを放つ。

 軍帽を深くかぶっていて顔が隠れて見えないが、体型と声の様子から華奢きゃしゃな女性だと言う事は認識出来た。

 「聞こえなかったのか?」

 あおいはビクリと体を震わせ、顔を伏せた。

 くれないに染まった女性が、淡々たんたんと告げる。

 「この時間は外出禁止だ。ここで何をしている。」

 「すっ…すみません!」

 勢いよく顔をあげたが、声が裏返った。あちゃーと思ってももう遅い。

 体もジロジロ見ていたし、不審人物確定だろう。

 「……ん?」

 一瞬、あおいの顔を見た女性が声をあげ、息を飲んだような気がした。

 「……な……何か……?」

 あおい怪訝けげんそうな顔をすると、女性は「いや……」と少し言葉をにごしたように首を振り、あおいのスーツケースを指差した。

 「……養成校の生徒か?」

 何故わかったんだろうと一瞬思ったが、こんな住宅街の中、今時スーツケースを持っているのはこれから入学する学生くらいしかいない。

 仕事の出張などは、とうの昔に法律改定により禁止された。

 女性の言葉に、あおいがブンブンと首をたてに振ってうなづく。

 「あの……今日から寮に入るはずが……電車が遅れてっ……」

 その言葉で事情をさっしたらしい。

 「ああ……。それは災難さいなんだったな。」

 少しだけ、女性からの空気がやわらいだ気がした。その様子に、あおいはホッと胸を撫で下ろした。

 が、女性の口から飛び出したのは意外な言葉だった。

 「だが、この先は通行禁止だ。」

 「えっ……」

 通行禁止。

 つまり通れない。

 その言葉に、あおい絶句ぜっくして地図を見る。この先を通らないと、到底とうてい寮には辿り着けそうもなかった。

 もしかしたら裏道があるのかもしれないが、この地図にはそこまで細かく明記されていない。

 困り果てるあおいを見て、女性がフッと溜息ためいきをついた。

 「撫子なでしこか?それとも鈴蘭すずらんか?」

 女性の口から出たのは寮の名前だ。

 あおいはバッと顔を上げた。

 「鈴蘭すずらんです!」

 「……ほう……」

 女性は少し驚いた様子で、あおい繁々しげしげと見つめている。

 まるで珍しいとも言うような空気を感じた。

 鈴蘭すずらんはそんなに特殊とくしゅなのだろうか?

 あおいがもう一度地図に目を落とすと、女性はスッとあおいの右側を指差した。

 「こちらから行け。」

 女性の手の先と地図を何度も見比べる。

 今持っている地図には、その先に道など書かれていない。

 「えっ?でも……そっちは……」

 行き止まりになると言いかけた所で、女性が口を開いた。

 「ここから四軒目の左脇ひだりわき路地ろじがある。そこを抜けて、右五軒先みぎごけんさきの左側、駐車場を突っ切れ。そうすれば鈴蘭寮すずらんりょう辿たどり着く。」

 あまりにも詳しい道順。

 まるで毎日通ってますとも言わんばかりだ。

 「え?」

 ポカンと口を開けたあおいに、女性はやれやれと言った雰囲気ふんいきでまた溜息ためいきをついた。

 「聞いてなかったのか?……ここから……」

 あきれた様子の声に、あおいはブンブンと首を横に振った。

 「いえ!聞いてました!ありがとうございます!」

 はっきりと声を出し、あおいは女性に頭を下げる。

 「……そうか。」

 ふと女性が笑ったような気がしたので、あおいはそっと顔を上げた。

 が、次の瞬間には最初と同じ、空気の張り詰めたりんとした声が響く。

 「まもなくこの一帯いったい規制きせいが掛かる。急げ。」

 バサッと音を立てて、女性のコートの裾が旗めいた。

 「はいっ!!」

 あおいはスーツケースを引き摺り《ひきづり》、女性の指した方向へ走り出す。


 チリン……。


 また鈴の音が聞こえた気がして、あおいが振り返ると、紅い女性の姿は、そこにはもう無かった。

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