第六章 9

 三十分後。アシュリーは衝動的に、後ろに停まっている車に乗る敵対者に通信を入れた。

「フィッシャーさん。お話、よろしいですか?」

 虚を衝かれたティモシーが、驚きに身を乗り出して応答する。

「え、ああ、もちろん構わないよ。今日は車を用意してくれてありがとう。お礼が遅れてしまって申し訳ない。あの張り詰めた空気の中では、なかなか言い出しにくくてな」

「思っていた印象と違いますね。とても、何と言うか、普通というか。変なことを言って、ごめんなさい」

「あなたも、思っていたほど堅い人ではないようで安心したよ」

 お互いが紳士淑女を装い、上辺だけの親しみを込めて会話を交わす。当然、二人の距離が近づくことはない。

「あの、アシュリーさん。朝食は済ませてきたのかな?」

 彼女の長ったらしいラストネームを失念したティモシーが馴れ馴れしくファーストネームで呼びかけると、アシュリーはそれを気にも留めずに答えた。フェロウズ=オオモリ家の人間にとって、そのようなことは日常茶飯事だからだ。

「朝早かったので、トーストを一枚だけ。緊張のせいで食欲もなくて」

「俺もそうなんだ。ここに来る途中にあったダイナーで、何か食べないか?」

「そう、ですね。時間がかかるみたいですし。じゃあ、行きましょう」

 平時であれば反対派の男の誘いなど断るところだが、それを覆すほど、体が燃料を求めていた。アシュリーが車載コンピュータに命じると、二台の車は緩やかに旋回して、先ほど通り過ぎたダイナーに向かって走り出した。

 ダイナーの駐車場に停まった車から降りたアシュリーとティモシーは、ぎこちなく挨拶しながら合流して入店し、示し合わせたように席を一つ空けて、カウンターに座った。アシュリーはパンケーキとフルーツのワンプレート、ティモシーはクラブハウスサンドを注文し、少しばかりの会話をしながら食事をする。交わす言葉は自己紹介程度に留まり、共に行動しているアンドロイドとの出会いや、活動するに至った経緯について語り合うようなことはなかった。二人は一時的に行動を共にしているだけで、敵同士であることに変わりはないのだ。

 カウンターから見える店の奥の厨房には、食器を洗うアンドロイドの姿があった。雇用法に違反しているのだが、それは一般市民にとっては見慣れた風景だった。ただの家事手伝いだと言い逃れができるし、警察官もわざわざ追及しようとはしない。

 少し遅い朝食を済ませて店を出た二人は、二台の車にそれぞれ乗り込んで、広い駐車場に停車したまま、映画や音楽を流して過ごした。討論による決闘が終われば連絡が入るはずだ。

 アシュリーが観賞している二本目の映画が、終わりを迎えた。

 アンドロイドの討論が終わるのに要する時間は、人間たちの想定を超えた。二人とも、そろそろ連絡が来る頃だろうと眼鏡型端末を装着して待っていたのだが、昼を過ぎても連絡は来なかった。時刻は午後二時を回っている。二人はまた連絡を取り合って車を降りて、再びダイナーで食事することになった。連絡が来るかもしれないので、眼鏡型端末を装着したまま入店する。

「あの席にしませんか?」

 アシュリーが日当たりのいい窓際のテーブル席を指差して提案すると、ティモシーは二つ返事で同意した。二人とも閉鎖空間にうんざりしていて、窓の外にある自然を眺めながら休みたいと思っていたのだった。二人は同じハンバーガーセットを注文し、視覚的開放感と昼食を同時に味わった。

 窓の外に見える新緑の風景によって心も開放されたアシュリーが、気まぐれに会話を主導し始めた。車内で、抑圧された環境で育った殺人鬼の破滅と救済を描いた映画を観ていたことをアシュリーが告げると、ティモシーはその話題に食いついた。彼もその映画を鑑賞したことがあり、二人の会話は多少の盛り上がりをみせた。しかし、それも長くは続かない。相変わらず、彼らは敵対者同士だった。二人とも、食事や会話の最中に眼鏡型端末を使い、相棒の代理となって他州の組織と連絡を取り合っていた。

 食事を済ませたティモシーが、立ち上がりながら言った。

「車に乗せてもらったんだ、奢らせてくれ」

「そんな、自分で払います」

「礼をさせてくれよ」

 ティモシーは眼鏡型端末を通して、カウンターにある支払い受信機に目線を向けて会計を済まし、強引に借りを返した。店を出た二人は、車に戻る前に相談をした。当人たちは気づかなかったが、二人の距離は、遅い朝食を済ませた時よりも少しだけ縮まっていた。

「さすがに、もうそろそろ討論が終わる頃だろう。もう午後三時を過ぎた。あの場所に戻って、出迎えてやろう」

「そうですね、そうしましょう。対話ではなくデータを送受信して討論すると言ったから、人間の話し合いよりも早く終わるはずですし、きっと、もうすぐ終わりますよね」

 二人はそれぞれ車に乗り込み、アンドロイド達と別れた場所に向かって出発した。満腹感と車体の優しい揺れにまどろみながら、アシュリーは考えた。

 どうして私は、フィッシャーさんと対立しているんだろう。どうして対立しなくちゃいけないんだろう。アンドロイドは仕事を奪うようなことはしないのに、仕事を奪うなと言ってくるから、対立しなくちゃいけなくなってしまった。それは誤解だと言っても、聞き入れてもらえない。たぶん、向こうも同じことを考えてる。同じ憤りを覚えてる。だから、理解し合うことはないのね。でも、理解し合う努力だけはしていたい。

 アシュリーは車載コンピュータを介して、後方を走る車との通信を開始し、疑問を投げかけた。

「あの、ひとつ訊いてもいいですか?」

「構わないよ」

「どうして決闘を許したんですか?」

「あいつの意思を尊重しただけだ」

「負けたら、彼女が意思を発する機会を失うことになるんですよ。私たちの社会の未来だって大きく変わってしまうかもしれない。こんな方法、間違ってる」

「でも、あんたは許可し、彼を送り出した。俺もあんたも同じさ。俺たちは、あいつらの意思を尊重したんだ。俺はこう思うんだよ。この論争の主役は俺たちではなく、あいつらなんじゃないかってね。あんたもそう思ってるんじゃないか?」

「……そうかもしれません」

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