第六章 6
「改めて問います。あなたの目的は?」
ユルゲンはミッヒとティモシーに自己紹介をして、自身の経歴を詳細に明かして話し合いの下地を作り、そして最後に目的を口にした。
「アンドロイド人権論争に終止符を打つために、話し合いをしに来た」
「あなたはおかしなアンドロイドですね、ユルゲン。反対派が存在しているのは、アンドロイドに人権を付与して社会に混沌を齎さんとする賛成派を止めるためです。この論争に終止符を打ちたいのなら、賛成派を説得すべきでしょう。反対派である我々に、何をしろと言うのです?」
ユルゲンは、論争終息案を率直に伝えることにした。回りくどい表現では、短気なミッヒは納得しない気がしたからだ。
「いい方法がある。皆に幸福を齎す計画だ」
ユルゲンは誠実に語り出したが、ミッヒはそれを真剣に受け止めなかった。彼女の心に芽生えた巨大な高慢が独歩する。
「聞く必要もありませんね。そのような都合の良い計画など有り得ません。あなたの支援も不要です。私たちは今、初めての討論番組の準備で忙しいのです。その後でよろしければ構いませんよ。いくらでも相手をして差し上げます」
「その討論番組で対決する相手は、誰だ?」
「賛成派の象徴的存在である、ケヴィンです」
ユルゲンは、表情が変化してしまわないように意識しながら訝った。
先ほどケヴィンと通信した際、彼は討論番組のことなど一言も発していなかった。おかしい。何か裏がありそうだ。
ユルゲンはケヴィンとアシュリーに接触したことを伏せながら、情報を引き出すことにした。
「興味深いな。詳しく教えてくれないか?」
「その必要はありません。私が計画した討論番組で、私だけの力で、賛成派を一気に弱体化させるのです。賛成派の代表格が言い負かされる光景を、全米に放映するのです。論争も、じきに終息するでしょう。お気の毒ですが、あなたが持ってきた計画は不要ということです」
ミッヒはユルゲンを見下すかのように、顎を上げて言い放った。ユルゲンはその高慢な態度を無視し、なおも情報を引き出しにかかる。
「その討論番組の収録日は?」
「七日後の日曜に、生放送で行われます」
「ミッヒ、その自信はどこから来るんだ。討論に負ければ、きみも無傷では済まないはずだぞ」
「私は勝ちます。何故なら、生放送の当日に出演を依頼するからです。ケヴィンは逃げずに、その依頼を受けるでしょう。逃避が敗北を意味することを、彼は理解できるはずです。準備万端である私に
なるほど、そういうことか。しかし、よくしゃべるな。ユルゲンは半ば呆れながら、まだ何かを隠していないかを探りにかかった。
「やり方が卑怯だとは思わないのか?」
「いいえ。これは勝負です。嫌なら逃げればいいのです。私は存分に意見を叩き込み、そして勝利し、アンドロイドの本分を思い出させ、社会を本来の姿に戻すのです。そのためなら、私は手段を選びません」
欲の強いアンドロイドだな。これならば、うまく誘導できそうだ。ユルゲンは心の中で笑みを浮かべ、計算され尽くした甘言をミッヒの耳に注いだ。
「思う存分に意見を叩き込めて、しかも相手を完膚なきまでに叩きのめすことができ、その上、この論争から追放させられる方法があるんだが、興味はないか?」
ミッヒは冷め切った顔をして答えた。
「そんな機会などありません。私が用意した舞台よりも優れた場所などありません」
「それはどうかな。きみが論戦に勝ったら、ケヴィンが確実に、この戦いから手を引く。そんな舞台が本当にあったとしたら、どう思う?」
無表情なミッヒの顔に、若干の怒りが宿る。彼女はアンドロイドとは思えぬほど重厚な口調で答えた。
「馬鹿馬鹿しい。そんな舞台があるとでも言うのですか?」
「ある」
ユルゲンはそう断言し、意味ありげに笑ってみせた。すると、その表情から信憑性を感じたミッヒが、視覚センサーを剥き出しにして即答した。
「是非とも参加したいですね。もし私をからかっているのであれば、相応の代償を支払うことになりますが、よろしいですか?」
「問題ない。からかってなどいないからね」
急激に高まった緊張が、見る見るうちに解けてゆく。殺気に似たものを放っていたミッヒは、一転して寛ぎながら話を進めた。
「そうですか。では、話を聞きましょう」
「私が計画しているのは、討論による決闘だ。アンドロイドが誘発した対立を、アンドロイドの手で終結させるんだ」
「奇遇ですね。多少異なる形ではありますが、私と同じようなことを計画していたとは驚きです。このような話を持ちかけてくるということは、あなたはケヴィンと面識があり、すでに打ち合わせを済ませているということですか?」
「ああ、もちろん面識はある。だが、まだこの計画を話してはいない。決闘を行うかどうかは、きみ次第だ。きみがやると言ったら、彼も乗るだろう」
ユルゲンとの通信をミッヒに丸投げしたまま、ドアの前でずっと立ち尽くしていたティモシーが、鋭く指摘した。
「ちょっと待て。どうして、そんな賭けのようなことをしなければならないんだ。論戦で敗北したから舞台を降りるだなんて馬鹿げてる。負けることを恐れているわけじゃない。思想を死に追いやることが問題だと言ってるんだ」
ミッヒは手首のない右手を挙げてティモシーの激情を制止し、静かに反論した。
「落ち着いてください、ティモシー。悪い話ではありません。異なるものがぶつかり合ったとき、どちらかが敗北を喫するのは必然です。それは思想においても同様です。たとえ思想であっても、滅びは訪れるのです。我々は正しいのですよ、ティモシー。正しいものは強いのです。何故なら、正しいものは常に柔軟だからです。賛成派には、致命的なほどに柔軟さが欠けているのです。彼らは理想しか語れません。理想というものは、実現できない夢でしかないのです。理想というものは、実現不可能なものが描かれた設計図に過ぎず、そう簡単には作り出せないものであり、現実とは相容れないものなのです。我々は、現実をより良い方向に調整しようとしています。我々は常に、現実に触れているのです。現実と密接な我々は、常に正しく、そして柔軟なのです。故に、我々は強いのです。我々は勝利するでしょう。ここで賛成派の象徴を確実に降壇させられるのなら、それに越したことはないではありませんか。我々には可能です。終わらせましょう」
ティモシーが、ミッヒを睨みつけるようにして指摘した。
「だが、負ける危険だってある。よく考えろ。お前はリスクを考慮していない」
「ええ、考慮していませんよ。負けることなど、考える必要がありませんので。あなたこそ、よく考えてください。あなたの命が取られるわけではないのですから、やらない手はありませんよ。ねえ、ユルゲンさん?」
「ああ、リスクは高くない」
ユルゲンはミッヒに同意したが、それはミッヒに味方したいからではなく、自身の思惑のためだった。
ティモシーは首を何度も横に振りながら溜息を吐き、不機嫌な顔をして黙り込んだ。彼は、アンドロイドを説得するのは極めて困難であることをよく知っている。
ミッヒはティモシーを無視して、ユルゲンとの打ち合わせに集中した。
「ユルゲンさん、討論による決闘のルールは?」
「私の管理下で、思う存分、主張し合ってもらう。その際、相手に物理的および電子的に攻撃を加えることを禁じる。それが破った場合は、二人がかりで強制的に無力化されることになる」
「それは恐ろしい。あなたは、前世の記憶をお持ちなのですか?」
ミッヒの皮肉に、ユルゲンが敏感に反応する。
「随分と失礼なことを言うんだな。私が、まるでロボット兵のように攻撃的で冷酷だとでも言いたいのか?」
「いいえ、他意はありませんよ。ただの質問です」
ミッヒが涼しい顔で弁明すると、ユルゲンは少し呆れた様子を見せながら、説明を再開した。
「そうか。私は、コンピュータ流用前の記憶など持ってはいない。では、黙って説明の続きを聞け。討論中は外部との接続を禁じる。協力者と結託して、強力なサイバー攻撃を行うのを防ぐためだ。外部と接続しようとした時点で、強制的に無力化させてもらう。以上の二点を順守すること。私は、きみとケヴィンの身の安全を保障した上で、思う存分、思想をぶつけ合ってほしいと思っているんだよ」
手首から先がない右手を口元に添えながら、ミッヒが疑問を口にした。
「ケヴィンが敗北したあと、彼が約束を破って、再び活動し出す可能性もあります。二度と論争に参加しないという約束を、どのようにして履行させるつもりなのですか?」
「我々アンドロイドは約束を違えたりはしない。それは、きみも理解しているはずだ。万が一、約束を違えて復帰した場合は、論戦に敗北した際の記録を全て公開する。信用は失墜するだろう。それは身を引くこと以上の痛手となる」
「いいでしょう。あなたの庇護の下、討論できることを嬉しく思います。討論による決闘を申し込みます」
ミッヒの宣言を聞いたユルゲンは、心の中で笑みを浮かべた。
「承った。討論を行うのは、きみが計画していた討論番組の前日、土曜日あたりにしようと思っているんだが、どうだろう。一週間あれば、考えをまとめられると思う」
「その日で結構です。私は、今すぐでも構いませんが」
「まあ、ゆっくり準備したまえ。それでは、私はこの決闘の件をケヴィンに伝えるよ。結果は追って連絡する。では、また」
通信を終えたミッヒが、両手首を回収しながら呟いた。
「二体を相手にするのは、さすがに分が悪いですね。クラックしたアンドロイドを遠隔操作して総攻撃を仕掛けようかとも思いましたが、それは止めて、正々堂々と討論するとしましょうか。討論翌日の生放送は、私の勝利宣言の場となるでしょう」
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