第五章 6

 このままでは埒が明かない。リーダー格であるエルマーが決断を下した。

「やはり、我々には関係のないことだ。我々は教えを守らなければならない。このアンドロイドを受け入れた途端に、我々は教えに背くことになってしまう。他を探してもらおう」

 ロレンスは崩れ落ち、地に手を突いて砂を掴みながら、惨めに懇願した。

「安全に身を隠せる場所などないんです。町はもちろん、自然の中にも居場所はありません。洞窟には管理者の防犯カメラや動物観察カメラがありますし、森には自然観察チャンネルの電磁浮遊カメラが常に飛んでいますし、あらゆる場所に固定カメラも隠されていて、滞在などできません。それらのカメラを壊せば、警察や保安官の偵察機がやってきてしまうので、どうにもなりません。風雨に晒され続けたら、防水機能を搭載したこの体であっても、いずれは壊れてしまいます。行き場がないんです。お願いです。助けてください」

 母の命令に背いて一階の窓から様子を観察していたカールが、家を飛び出してきた。微かに届く話し声を聞いていた彼は、ロレンスの窮状を知り、いても立ってもいられなくなったのだ。母から叱られようが関係ない。カールは、ここにいる誰よりも教義に忠実だった。困っている者には、助けの手を差し伸べなければならない。

「待ってよ、みんな。もう他に行くところがないんだから、ここに置いてあげようよ!」

 そう言った無邪気な未熟者を叱りつけるように、エルマーが諭す。

「カール、これは機械だ。思考はするが、魂など持っていない。こいつは自分に魂があると思い込んでいるだけだ」

 カールは駄々をこねる子供ではなく、アーミッシュの共同体に生まれた者として、意志を突き通した。

「僕は、困ってる人は助けなきゃいけないって教わったよ!」

 エルマーは大袈裟に溜息を吐きながら、教義を理解しきっていない若輩者に向かって言い放った。

「未成年であるお前は、まだアーミッシュではない。口を出すべきではないんだ。我々は戒律の話をしているんだ」

 エルマーの言葉が、カールの心を容赦なしに突き放した。だが、勇気と慈愛に溢れる少年は揺さぶられずに踏ん張ってエルマーを見据え、首を素早く二回振ってから、彼なりの教義を説いた。その目には、誰よりも純粋で強固な信心が宿っていた。

「みんな、この機械人形と色々なことを話したよね。それって、命があるってことなんじゃないのかな。話ができるって、人間だけだよ。人間同士だけが会話できるんだよ。それに、この機械人形は自分の意思でここまで逃げて来たんだよ。自分で考えて、ここまで来たんだよ。自分で考えて、しゃべってるんだよ。意思を伝えてるんだよ。僕らと同じじゃないか!」

 カールの言葉に反論する者はいなかった。大人たちは頭の中で、意思という単語が意味するものを解釈し直していた。

 意思とは、考えを持つこと。考えを巡らせ、己が為すべき事柄を知り、心に据えること。考えを持ち、それを心に据えながら、為すべきことを明確に示すことができるのは、人のみである。アンドロイドは人ではない。しかし、このアンドロイドは人のように意思を持って行動している。このアンドロイドにも魂があるということか。いや、機械に魂が宿るはずがない。では、このアンドロイドが有している意思は、何だというのだろう。

 大人たちは推論と信仰の狭間に生じた矛盾に惑い、ある者は宙を見つめ、またある者は足元の小石を見下ろしながら、物思いに耽った。やがて彼らは、矛盾の原因であるロレンスに視線を注ぎ始めた。自らの心に生じた矛盾を解消するための材料を探すためだ。しかし、どれほど荒を探そうとも見つからず、矛盾が解消されることはなかった。それどころか、迷いがさらに膨らむ結果となった。見れば見るほどロレンスは人間のように感じられ、その機械の体には魂が内在しているのではないかという考えが湧いてしまうからだった。

 瞑想のような沈黙を破ったのは、息子の言葉に背中を押されたアンリだった。

「もう真夜中だ。意見を言い合うには、あまりにも不向きな時間だ。皆の眠りを妨げてしまった私が言うのは失礼かもしれないが、このアンドロイドの扱いについては、改めて明日の昼にでも話し合うべきではないだろうか。皆もそうだと思うんだが、頭がうまく回らないんだ。日を改めよう」

 こればかりは、エルマーも素直に同意した。

「できれば、そうしたい。だが、こいつはどうするんだ?」

 顎でロレンスを指し示しながらそう言ったエルマーに、アンリは用意していた言葉で答えた。

「こいつは追われていて、この村に滞在したいと言ってきた。こいつが言っていた異端審問官のような製造会社の職員も、ここまでは来ないだろう。少しの間だけなら、どこかに放置してもいいんじゃないだろうか?」

 アンリはまた反論が出るだろうと予測して対案も用意していたのだが、杞憂に終わった。反論はなかった。先ほどの長い沈黙の間に、皆が抱いていたアンドロイドに対する意識が変化していたからだ。カールの指摘どおり、ロレンスの発言と振る舞いには明らかな人間性が感じられ、その上、ロレンスの自我の発現に神の意思が介在していないと言い切れるほどの確証もなかったからだ。そのため、しばらくの間、審問をするという決定が下された。カールの率直な意見と彼らの信心深さが、ロレンスを救った。

 ロレンスは畜舎のすぐ傍にある干草小屋に入るよう命じられ、言うとおりにして中に入り、ブロック状に纏められた干草の上に座り込んだ。アンリの家の地下室に置いておこうという意見も出たのだが、生活圏の中に機械を置くということにアンリは拒否反応を示して反対し、それは受理された。その後の話し合いの結果、居住区から離れた場所にある干草小屋に待機させるという結論に達したのだった。閉じ込めるべきだという意見は出なかった。住人たちは罪を犯していない者を拘禁することに拒否反応を示し、それに加えて、ロレンスが終始無抵抗であったことを忘れていなかったので、抜け出そうと思えばいつでも抜け出せる干草小屋に待機するように命じたのだった。どこかに去ってくれれば御の字だという理由もあったのだが、行き場のないロレンスは逃げ出すことなく、そのまま待機し続けた。

 ロレンスは滞在を許してくれた住民たちの思いに感じ入りながら、朝が来るのを大人しく待った。メーカーサポートスタッフや警察官の来襲に備えて、休止状態に移行するのは控えておいた。安息は、まだ訪れない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る