第一章 2

 アンドロイドの顔つきは、人間を模して精巧に作り上げられている。口も、鼻も、最も再現しにくい目も、人間と変わらない。しかし、どこかが人間とかけ離れているように感じられる。本能が違和を呟き、無意識に警戒心を湧かせるからだ。厳しい環境下で暮らしていた人類の祖先は、対峙する者の感情を表情から読み取ることで的確に交渉し、生き延びてきた。アンドロイドの外見がどれほど精巧になろうとも、人類が命懸けで培ってきたその本能が、彼らを異物として分類するのだった。

 アシュリーも例外ではないのだが、長年ともに暮らしているケヴィンは別だった。彼女には、ケヴィンの表情の全てが、人間と変わらないように感じられた。

「ありがとう、ケヴィン。あなたがいないと、私は私を忘れちゃいそう。ポジティブな性格が、私の売りなのにね」

「どういたしまして。こちらこそ、私を必要としてくださってありがとうございます」

 アシュリーは友人たちを楽しませ、迷惑にならない程度に上手く愛し、感謝を忘れないようにして生きている。家庭用アンドロイドとの接し方においても、それは変わらない。ケヴィンは使用人という立場だが、アシュリーから深く愛され、愉快で穏やかな日々を過ごさせてもらっている。二十年前からずっとだ。

 ケヴィンは精密な手つきで農作業を実行しながら、丁寧に水やりをするアシュリーの横顔を視覚センサーで捉えた。

 大きくなりましたね。素直で、いい子に育ちました。容姿は予測どおり、お母様に似ています。思ったとおりです。

「ケヴィン、どうしたの?」

 突然の問いかけに、ケヴィンは視覚センサーの保護膜を二度ほど上げ下げして答えた。

「失礼しました。はじめてフェロウズ=オオモリ家に来た日のことや、はじめて一緒に農作業をした際に記録した映像を再生していたのです」

「アンドロイドはいいね。思い出が鮮明なんでしょう?」

「はい。無劣化で高画質。そして、立体映像です」

「羨ましい。今度、立体モニターに映してみせてよ」

「仰せのままに」


 農作業を終えた二人が、階下のリビングに向かうために階段を下りていると、その足音を聞きつけた二匹の飼い猫が階段の下までやってきて、上目遣いで出迎えた。お気に入りの白いソファーの上にいるよりも、主人と友人を出迎えることを選択した律儀な二匹は、戻ってきた二人の足元に近づき、まずはアシュリー、続いてケヴィンと、流れるような動作で頬と腰を擦り付けた。一歳になる雌のリルとフロウは愛嬌が良いほうではないが、挨拶だけは欠かさない。猫なりの意思疎通を終えると、ロシアンブルーのリルは気取った足取りで離れていき、その先に敷いてある絨毯の上に寝転がった。もう一方のアビシニアンのフロウは、オープンキッチンに向かうアシュリーの顔を見上げながら付いていき、ビターチョコ色のバーカウンターの端にひょいと飛び乗ると、右の前足を軽く毛繕いしてから、一鳴き。

「あら、フロウ。おやつが欲しいの?」

「先ほど、私が与えました。過食は健康を害しますので、今日はもうあげられません」

「ちょっとくらい、いいでしょ。太ってるわけじゃないんだし」

「それはそうですが」

「一本だけ。ああ、リルの分も」

「分かりました。いいでしょう」

 アシュリーはフロウの頭を優しく撫でながらカウンターの中に入り、冷蔵庫の中にある猫用のチキンの干物のパッケージを手に取り、中身を取り出してフロウにあげて、もう一本をリルに振ってみせた。フロウよりも落ち着きのあるリルだが、食に対しては貪欲で、おやつを見ると溌剌はつらつとして駆けてくる。

 二匹におやつをあげたアシュリーは、今度は自分のために冷蔵庫から炭酸水を取り出した。テラスに出て、風に当たりながら飲みたいところだが、今は日差しが強すぎる。人間と接するのが嫌いではないフロウにちょっかいを出して遊びながら、その場で炭酸水を飲む。

「アシュリー、私は階下の客間の清掃をして参ります」

「うん、わかった」

「お出掛けになる時間までには戻ります」

 フェロウズ=オオモリ家が住んでいるペントハウスは、居住スペースが二層、屋上が一層という三層構造になっており、三人と一体と二匹の住まいとしては少々広すぎるので、ケヴィンはいつも清掃作業に時間を取られがちだ。

 菜園の作物に続いて、自分にも水分を与え終えたアシュリーは、トレーニングと農作業で掻いた汗を流すためにバスルームへと向かう。リルとフロウも付いてきて、入口の前で座り込むと、いつも通りに鳴き始めた。濡れるから行かないほうがいいよ、と言っているらしい。服を脱ぎ、まずはシャワーを浴びて、それから湯が張ってあるバスタブに浸かる。シャワーとバスタブの湯にはマイクロバブルが溶け込んでいて、石鹸など必要ないほど、汚れがよく落ちる。マイクロバブルが普及していない時代を生きずに済んでいることに感謝しながら、彼女は体を撫でて、汗と老廃物を綺麗さっぱり洗い落とした。

「ホーミィ、ほんの少しぬるくして」

「かしこまりました」

 家庭内マネジメント・コンピュータのホーミィは返事をすると、指示通りに湯温を下げた。彼はケヴィンとは役割が違うので、雑談は一切しない。

 長風呂をすると、肌が乾燥してしまう。風呂から上がったアシュリーはバスタオルを使って頭を体を拭き、使い終えたバスタオルを洗濯乾燥機の大きな口に放り込んで、部屋着に身を包んでバスルームを出た。足元には、主人の体が濡れるのを心配していたリルとフロウが座っていたが、主人の体が乾いているのを確認して安心したのか、それぞれのお気に入りの場所へ歩いていった。アシュリーは同じフロアにある自室に向かい、キューティクルを擬似的に作り出すバリア構造再現ヘアアイロンで髪を整えた。毛表皮を構成する成分が入っているカードリッジが差し込まれていて、その成分を吹き付けて再構成することで、さらさらとした質感に仕上げることができる。髪を健康に保つ効果もあるので、女も男も手放せない製品だ。

 今日の昼は、レストランで友人と食事する約束をしている。裾の長い大人びた緑色のワンピースを着て、髪を整えてメイクをしてからリビングに戻ると、そこには、ソファーに座って、膝の上に乗っているリルの背を撫でているケヴィンの姿があった。

「お掃除、ごくろうさま」

「お安いご用です。お風呂の湯加減はいかがでしたか?」

「ホーミィがうまく管理しているから、平気」

 寡黙なホーミィと饒舌なケヴィンとの差が、妙におかしく感じられて、アシュリーは思わず笑ってしまった。つられて笑みを浮かべながら、訝るケヴィン。

「どうしました?」

「なんでもない。そうだ、出掛ける時間まで、さっき言ってた昔の映像を見せてよ。もちろん立体映像でね」

「かしこまりました。では、部屋を少し暗くしましょう。ホーミィ、お願いします」

 会話を聞いていたホーミィが、望みどおりに部屋の明かりを抑えて、立体映像再生機を起動させた。アシュリーはケヴィンが座っている白いソファーに腰掛けて、胸を躍らせながら再生を待つ。

「では、再生します。私たちが初めて会った時、つまり、あなたが五歳の時の映像です」

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