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「まあなんていうかあれだよ。きみとコーディア嬢、お似合いだったよ」
ナイジェルがぽんっとライルの肩の少し下を叩いた。もしかしたら励ましてくれているのかもしれない。
「そ、そうか……」
友人にそんなことを言われるのが初めてで反応に困る。
「ふうん、ライルってはそういう顔もできるのか」
ナイジェルはますますライルに絡んでくる。酒はまだ少ししか入れていないはずなのにどうしのだろう。
「ナイジェルは嬉しいんだよ。おまえが幸せそうで」
戸惑い気味なライルの心を読んだ別の友人が言い添えた。
「あ、こら。そういうのは言っちゃあいけないんだぞ」
「……酔ってるな」
友人同士の気安い会話は心が休まる。
「お楽しみのところ申し訳ないんだがね。少しの間デインズデール卿を貸しては貰えないだろうか」
いつの間に近づいてきていたのか、ボックス席の入口の前に立っていたのはローガンだった。
後ろになでつけた琥珀色の髪がガス灯に照らされてにぶく光っている。
少しだらしなく緩められたクラヴァッドに上から物を言う不躾な声音。
どうしてここに、などという質問は無粋である。高級会員制クラブに通う人間は限られているし、ライルがよくこの店に顔を出すことくらい誰かに聞けばすぐにわかる。
「おい」
ナイジェルが何か言おうとするのをライルが手で制する。
「わかった」
ライルは立ち上がった。
側を通った給仕に空いている席を頼んだがボックス席も個室も一杯だと告げられ、仕方なしにカウンター席に移動する。
店内のざわついた空気が二人の会話を消していく。
ローガンはブランデーを注文し、「きみも何か飲むかい?」と尋ねてきた。
「いや、私はいい」
ライルの素っ気ない言葉にローガンは気を悪くした風でもなく薄く笑っただけだった。
「単刀直入に言うとね、コーディアを返してもらいたいんだ。彼女は僕の婚約者だ」
「そんな話はついぞ聞いたことがない。あなたには別に想いを通わせる女性がいたはずだが」
ライルがロルテーム貴族令嬢とのことをにおわせるとローガンは露骨に顔をしかめた。
「そうだったね。あとは式の日取りを決めるだけだったところに茶々を入れてきたのがヘンリーってわけさ。こっちは大変だったのに、色々と。それで仕方なくコーディアを貰ってやると言ったとたんにその話は無かったことに、だなんてふざけているだろう? ヘンリーはね、爵位を継げなかったから父上に嫉妬していて、それで嫌がらせをしたんだ。次期侯爵のこの僕にね」
ライルは返事もしなかった。
なるほど、彼の中ではそういうことになっているらしい。
ヘンリーが以前エイリッシュに送った手紙によればコーディアの婚約者はこれまで誰一人いなかったし、そういう約束すらしたこともない、とのことだ。
「私たちはヘンリー氏から直接コーディアのことを頼まれている。氏は現在仕事で多忙だ。彼が帰ってきてから事の真相を解明したい」
ライルはあくまで冷静に話した。
「真相だって? 僕がさっき語ったじゃないか。まったくきみも哀れだねえ。ヘンリーの言葉を真に受けて。こんな醜聞にいつまでも関わりたくないだろう? さっさとコーディアを返すんだ」
「彼女は物ではない」
ライルのにべもない言葉にローガンの顔が次第に赤くなる。彼はブランデーの入ったグラスを煽った。
嫌な酔い方だなとライルは思った。
ローガンはいささか大きな音を立ててグラスをカウンター席の上に置いた。カウンター越しに、給仕係がちらりとローガンを一瞥する。
「ああそうか。見てくれだけはいいからね、彼女。すっかりほだされたか。口づけくらいはしたってところか」
「コーディアは淑女だ。私は礼儀をわきまえている」
ライルは即座に言い添えた。
ライルとコーディアは婚約者という立場同士だが、その前に彼女の気持ちを確かめないまま自分の欲望をぶつけるつもりはなかった。
ライルは自身の腹の中に何かが溜まっていくのを感じていた。
「ふん。だったら好都合だ。人が先に手を付けたものはいらないからね。きみが紳士で安心したよ」
一方のローガンはライルのことを軽視する視線を寄越したまま。
彼はコーディアを半ば自分の物の様に語る。その声の調子が気に食わなくてライルの瞳が剣呑なものに変わっていくが横に座るローガンはライルの変化に気づかず饒舌に語る。
「あの娘、いい体つきをしていたね。きみが気に入ったというのなら、僕の後でということなら貸してあげてもいいよ。僕だってあんな女本気にするわけもない。一応妻にするんだから跡取りは産んでもらわないとだけど、そのあとだったらきみに貸してやるさ。好きに抱けばいいだろう」
ねっとりとした声だった。
ライルは思わずローガンの胸倉をつかんだ。
「コーディアを侮辱するのは俺が許さない」
頭の中が怒りで燃えていた。
彼女を一方的に貶めるような発言など、見過ごせるはずもない。こんな男にコーディアを渡せるものか。
「な、なにをするんだ」
突然強く掴まれたローガンは声をわずかに上擦らせた。それを悟られまいとして、彼はライルを振りほどこうと強くライルを押した。
がたんと音がして、ライルはカウンター席からよろけた。
大きな音と動作に他の客人が二人に注目を始める。
「彼女に謝れ」
ライルは一度離れてもローガンに再度詰め寄った。この男だけは許せなかった。コーディアを女として、彼の頭の中で何を想像したのか。
「なにを熱くなっているんだ。あんな女後時に。本気で惚れたのか?」
「だったら何だっていうんだ」
ライルは素直に認めた。
「はっ。デインズデール家のご子息様とは思えない発言だな。そうか、顔と体か」
「黙れ。コーディアを愚弄することは許さない」
「なんなんだよ、おまえは。たかだか一人の女ごときに熱くなって」
ローガンは掴みかかるライルに嫌気がさしたようだった。ローガンよりも背の高いライルに圧迫感を感じたのかもしれない。とにかく、彼はライルを振りほどこうとし、二人はもみ合った。その際ローガンはライルの頬を殴った。
「きゃあぁぁぁ」
気が付いたとき、近くにいた女性が悲鳴を上げていた。誰かの連れだろう女の声がやけに遠くに聞こえた。
ライルは最初どうして自分が床に尻をついているのか分からなかった。
一拍おいて頬がじんじん痛むのを感じた。口の中が塩辛い。もしかしたら血が出たのかもしれない。ライルは自分がローガンに殴られたのだと悟った。
「くそ……」
ライルは立ち上がった。
普段冷静沈着だと自他ともに認めているのに、今は頭に血が上っていた。コーディアを貶める発言をしたこの男が許せない。
ローガンを殴り返そうとしたライルを止めたのはナイジェルだった。
「おい、ライル。やめておけ!」
背後から羽交い絞めにされたライルは「離せ」とうめいた。
一方のローガンの側にもライルの友人が張り付き、「いくら酒の席とはいえこれ以上はやめておけ」とけん制する。
「ちっ。きみのおかげで一気に酒がまずくなった」
ローガンは面白くなさそうに一言言い捨ててクラブから去っていった。
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