一章 生れて初めての祖国と婚約者

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 ジュナーガル帝国の北に位置する港町ムナガルのディルディーア人共同租界の中の住宅街。緑に囲まれた白亜の屋敷でコーディアは生まれ育った。

 ジュナーガルの中で北に位置するとは言っても帝国は常夏の国。年中暑いこの国の建物は窓が大きく作られており、風を通すことを第一に考えられた設計になっている。


「忘れ物はないわね」


 今日は出発の日だ。

 コーディアは部屋の中をぐるりと見渡した。

 七歳から寄宿学校で生活を始めたコーディアにとっては自室といってもどこか他人の部屋という感覚の方が強い。

 持って行くのは友人からもらった手紙や集めていた小物とか小さなものがほとんど。

 この部屋とも今日でお別れだ。


「お嬢様~、お仕度終わられましたか?」

 部屋の外から年配女性の声が聞こえた。


 風通しを第一に考えて作られている部屋なので部屋の窓は基本的に開いたままだ。

 コーディアは部屋からでて、中庭に面した外回廊へ出た。


 「お嬢様、そろそろ出発ですよ」

 姿を見せたコーディアに乳母のマーサが目じりを下げた。コーディアが小さいころからマックギニス家に仕えてくれている彼女はジュナーガル人で、いつも民族衣装を身にまとっている。黒い髪にはぽつぽつと白いものが混じり始めていた。


 幼いころに母を亡くしたコーディアにとっては母替わりのような存在だ。

 階段を降り、中庭に面した広間に行くと、すでに父が待っていた。


「遅くなってごめんなさい」

「いや。いい。おまえにとっては最後になるんだから、感傷もあるだろう」

 ヘンリー・マックギニス、コーディアの父はちらりと懐中時計を見てから首を横に振った。


 コーディアよりも濃い金髪をした父の年は四十九歳。この年にしてはいまだに若々しく、体格もよい。年中商用のため各地を飛び回っている。

 そもそもコーディアがムナガルで生まれたのはヘンリーが故郷から遠く離れたこの南国で商売を始めたからだ。

 ヘンリーはインデルク王国の侯爵家の次男として生まれた。家督を継ぐ必要のない彼は、他の貴族の次男以下が就く職業の代表である軍人にも医者にも弁護士にもならずに、親族から金を借り、投資によってそれを増やし、増やした金を元手にして商会を作った。


 ヘンリーの妻と一緒に船で二か月かけてジュナーガル帝国へとやってきたのだ。

 コーディアの祖国インデルク人らが住む大陸西側地域から見てジュナーガル帝国ははるか南東に位置している。西大陸地域を彼らはディルディーア大陸と呼ぶ。大陸東へ向かうと途中大きな山脈や荒野、砂漠地帯などがあり、そのあたりでは大陸の呼称が変わるのだ。


 常夏のジュナーガル帝国では彼の地では取れない香辛料や質の良い宝石が取れることもあり、西大陸の国々数百年前から競い合うように国交を求めた。

ジュナーガル帝国内にはいくつもの藩王国が群雄割拠している。どの藩も各藩王国内で通用する法律を持ち独自に税金を徴収している。

 西大陸の国々は各藩王国と個別に貿易などを行っていたが、四十年ほど前からこの地の利権を狙って国同士に緊張が走り始める。西大陸の国々が貿易などではなく、藩王国を直接植民支配をし、得られる利権を直接国庫に納めたいと考えるようになったからだ。


 危機感を覚えたジュナーガル帝国の帝王はディルディーア人を一つの土地に閉じ込め、決められた土地以外に西大陸人が住むことを禁止にした。

このような土地がジュナーガル帝国内にはいくつか存在する。

 それが共同租界の始まりである。帝国の中でも北に位置するムナガルの港町の一角に作られた租界には西大陸風の建物が並び、生活様式も故郷となんら変わりない。

 それぞれの国が大使館を開き、また海軍も一部駐留させている。


 コーディアの父もこの地で商会を開き、香辛料や茶葉などを祖国へ持ち帰り財を成した。

 また、彼は反対に祖国から持ってきた美しい細工品や写真機、時計などをジュナーガルの富裕層に売っている。

 ちなみにディークシャーナも父の上顧客であり、彼女は写真撮影を趣味にしている。


 コーディアは中庭をゆっくりと歩く。

 大きな葉を持つ緑色の葉。濃い赤の花をつけるこの植物はムナガルではどこにでも生えているごくありふれた花だ。

 今日も強い日差しが中庭に降り注いでいる。


「お嬢様、忘れ物はございませんか?」

「ええ大丈夫。ちゃんと見たもの」

 マーサが心配そうに尋ねてくる。

 コーディアのことをいくつになっても小さな子供だと思っている節がある。


「マーサは心配ですよ」

「マーサったら」


 思えば、マーサという名前は小さなコーディアが呼びやすいようにとマーサが西大陸風の呼称を考えて、そう呼ぶように教えてくれたからだ。

 コーディアはマーサに抱き着いた。


 そろそろ出発の頃である。

 コーディアは母と兄を十三年前に亡くした。十三年前に熱病が租界を襲ったのだ。この熱病の流行で多くの人間が亡くなった。アーヴィラ女子寄宿学校の学長もこの時夫を熱病で亡くした。

 コーディアはマーサによって隔離をされ、ヘンリーは商用で租界を空けていたため罹患せずに済んだ。


「今までありがとう、マーサ。大好き。手紙を書くわ」

 マーサはコーディアをぎゅっと抱きしめた。

 すると、つんと香辛料の香りが鼻腔をくすぐった。


 彼女の入れてくれるチャータ香辛料入り茶が大好きだった。

 父は何も言わずにコーディアらの抱擁を見守っていた。


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