WIND BREAKER

小早川

1. KOCCHI

とかく人の世は生きにくい、と言ったのは誰だったろうか。いや、正確には住みにくい、だ。正解は調べればすぐにわかる。便利な世の中だ。

私の名前はカザネ。西暦2201年産まれの普通の会社員。日本人だ。

日本人といえば昔から仕事をしすぎるワーカホリック民族として知られている。それは昔に比べたら随分マシになったが、他の国に比べればまだまだなのだという。どこかで見た統計データによると。

「この書類を明日までに。できるか?」

「はい、了解しました」

理知的に、淡々と仕事をこなす。的確に迅速に、出来る限り正確に。

「なあカザネ。飲みに行かないか?」

「いえ。コレを終わらせたら帰ります」

「えー、お前仕事ばっかりじゃん。人生を楽しもうぜ?」

「楽しんでますよ。何も問題ありません」

少なくともあなたと一緒にいるよりは家の方が楽しいのだ、と口に出すのを控える分別はギリギリ持ち合わせている。

「えー。ほんとお前、ロボットみたいだよな」

「こら!失礼なことを言うな!」

近くで聞いていた上司がいさめた。部下思いの優しい人だ。

「いいですよ、気にしてないです。本当のことですし」

むしろロボットだったらどんなに楽だろう。口に出したことはないが常々そう思っている。そしたらこの生きにくさも少しは和らぐのではないか。結婚だの出産だの労働だの、人間の営みといわれるものから解放されるのではと。

「お疲れさまです。臨時健康診断のお知らせが来てますよ」

総務の女性が私のことを呼んだ。2000年代に流行した社畜という言葉は今や死語だ。昔は1年に1度だった健康診断は3ヶ月に一度と義務付けられている。でも私の場合、次のそれは1ヶ月後のはずなのだが。

「臨時ですからね。女性はよくあるんですよ、赤ちゃんを持つための健診が」

ああ、本当に生きにくい。人間の営みは面倒だ。

言われるがまま指定された部屋に向かい、心電図を取り血液を採り、100問ほどの設問に答える。食欲がある。よく眠れている。YES or NO。

すべて終えたら今度は医師の問診だ。今日の先生は女の人。彼女には何度も見てもらったことがある。赤と青のアシンメトリーのレトロなワンピースの上に白衣という出で立ちのかわいらしい人だ。

「うーん、ちょっと疲れちゃってる?ストレスがあるみたい。休暇を取った方がいいね」

彼女はカルテを見ながら渋い顔をした。

「休暇……ですか」

「やりたいことはある?」

「そうですね……部屋の掃除と、実家の手伝いと、溜まった書類の整理と」

「やらなきゃいけないことじゃないよ。やりたいこと、だよ」

思い付く?やりたいこと。

「本を読むとか、映画見るとか、大好きな友達と会うとか」

そしてちょっといたずらっぽくウィンクをして。

「恋をするとか!」

ワニグチという名の医者は、そう言って笑った。


やりたいこと、来週までの宿題ね。そう言われて帰路についた。道中考える。

「本を読むとか、映画見るとか」

彼女の言葉を思い出して反復した。本。確かに端末には買うだけ買って未読の本がたくさん入っている。もはやどれから手をつけるかを考えるところから億劫だ。やりたいことではない。

次は、友達に会う、恋をする。恋とはなんだろう?いや、知識としては知っている。だが私にはいまいち理解できない。

あ、そうだ。ひとつ思い付いた。行きたい場所。まっすぐ帰らず寄り道をする。路地裏、抜け道。『からくり古書堂』の看板。その店の敷居をまたぐ。

「マスターは?」

「まだ帰ってきてない。本当にどうしたんだろうね」

マスター。ここの店主である人の呼び名だ。数ヵ月前、突然姿を消してしまった。店番を任されっぱなしのアルバイトの男の子が首をすくめる。ちゃんと給料出るのかなぁ。もう閉めようかな、と。

「もう少し開けておいてくれると私は嬉しいけど」

「それ、マスターが聞いたら喜ぶね」

「どうかな」

マスターは私のことをなんとも思っていないだろう。ただの常連客の一人だ。その証拠にどこに行くかも知らされていない。

でも私はこの店が好きだ。ほこりをかぶった古書、今や骨董品扱いの電子機器、電化製品、それらが店の棚に雑然と置かれている。そしてそれらを直したり並べたりしていたマスター。よく何かの基盤に半田付けをしていた。仮想空間にいる誰かと話しているのを見たこともある。

「好きなだけいていいよ」

そう言って椅子を出してくれて、立ち読みならぬ座り読みで休日を過ごしたことも一度や二度じゃない。余計なことを言わないし聞かない。ここはとても居心地のいい場所で、マスターはそういう人だった。

ああそうだ。やりたいこと。それはこういう場所を守ることなんじゃないだろうか。

「ねえ、マスターの行きそうなところってどこかな」

彼に聞くといろんなことを教えてくれた。始めてこんなに話した、と思った。


ワニグチ先生との面談の日が来た。めずらしくこの日を楽しみにしていたんだ。自分の考えを聞いてもらえる。開口一番、やりたいことが見つかったと告げた。

「え、人探し?」

「はい。お世話になった人がどこかに行ってしまったので。いただいた二週間の休暇で心当たりを訪ねてみます」

「有意義な休暇!それになんだか楽しそう」

「はい、楽しみです。その人に会いたいし、人を探すという行為も……やったことがない。おもしろそう」

「うんうん、なによりだよ」

先生はくるりと椅子をまわしてデスクに向かい、カルテに何かを書き込んだ。ひらり、レースのスカートが揺れる。

「先生、今日は一段と素敵なお洋服ですね」

「ありがとう!この後ダーリンとデートなんだ」

「いいですね。楽しんで下さい」

「カザネちゃんもね。その人に会えますように!」

ありがとうございます、と答えた。本心でこの言葉を口にするのは随分ひさしぶりのことだった。


「こんにちは。人を探しているのですが」

彼の教えてくれた心当たり、そういう場所や人にたくさんアクセスした。でも結果は芳しくない。あちこちに残り香があるのに、誰も彼の居場所を知らない。

「収穫なしかぁ」

捜査に詰まったら現場に戻れじゃないけど、報告がてらマスターの店に行ってみた。バイトの彼はちょっと残念そうに呟いて、しょうがないよね、と笑った。

他に何かないかな。店の中を歩き回ってみる。例えばほら、行き先についてのメモとか読みかけの旅行ガイドとかそういうものがないかと思って。

「読みかけの……ああ、それならその山がマスターの私物だよ」

指された本の山。その中に、北欧のある国を舞台にした妖精の物語があった。その下にその国の旅行ガイド。開いてみるとある島のページの端が折ってある。その物語のモデルになった観光地。

……思い出した。いつだったか私がこの本を読んでいたら、めずらしくマスターが覗き込んできたんだ。私も同じものを持っているけど、あれはうちにあるはず。

なに読んでるの?へえ、その緑の彼が好きなんだ。あの国が舞台なの?いいなあ、僕もいつか行ってみたいよ。ふんわりと笑ったのを思い出した。

「この2冊、借りてってもいいかな」

「いいんじゃない?マスターのだし」

戻ったら返すんでしょ。それはもちろん。そうして店を後にする。

帰宅して本棚を探り、自分のものと並べて見比べた。同じ本だ。でもマスターのは初版本。わざわざ取り寄せたのかな。そしてガイドの方は新しい。マスターがいなくなる1ヶ月前に刊行されてる。……やっぱりあの国に行ったのだろうか。

「……いい機会かな」

だって、理由もなく自分だけで行くにはちょっと遠いし勇気がいる。だからいつか行ってみたいと思ったまま随分経ってしまった。今回は長い休暇ももらってるし、こんな機会はもうないかもしれない。

「チケットはいくら?」

生体デバイスに語りかけた。オッケーグーグル、と言う必要さえない。瞬時に一番安い乗り継ぎありのチケット、少し割高だが妥当な席と時間である直行便チケット、クラスが上の高額チケットなどの条件別リストが提示される。直行便を、と言えば瞬時に予約は完了だ。明日の昼出発。さっそく荷造りをしよう。


現地の空は快晴だった。日本から約9時間の空の旅。空港に降りるとひんやりとした風が頬をなでた。日本より随分肌寒い。夏に来ればいい避暑になるんだろうな。

旅のプランは特にない。観光地をまわりながらマスターの写真を見せて聞くだけ。

「ナオユキ・コニシという日本人を探しているんですが」

「日本人?知らねぇなあ」

自動的に現地の言葉に変換されて相手に届き、相手からの返答も訳される。

件の物語の舞台を模した島でもキャストに聞いてまわった。観光地で人探しなんて珍しいね。そう言いながら快く写真を見てくれて、でもわからないという答えがほとんど。まあそうだろう、こんな異国の地で人探しなんてうまくいく方が不思議だ。

せっかくだから観光も楽しもうと決めていたので、大好きな緑のマントのキャラクターに会いに行った。日本のテーマパークと違って着ぐるみではなく、人がコスチュームを着ている。彼の住処である緑色のテントはきれいなスモーキーグリーンだった。彼の奏でるハーモニカの音に人だかりができている。一曲終わるごとに起きる拍手。しばらくそれを聞き、ファンサービスを遠くから眺め、人が途切れたところで彼に近付いた。

「こんにちは。ハーモニカ、とてもよかった」

「ありがとう。きみはどこから来たの?」

「日本から。私はあなたのファンです。でもなかなか来れなかった」

「日本は遠いからね」

「いえ。私は臆病者だから」

「何か試してみようって時にはどうしたって危険が伴うんだ。大切なのは自分のしたいことを自分で知ってることだよ」

いつも読んでいたその物語の、あの彼の台詞を言われて目を丸くした。……ああ、来てよかった。

「その写真はなんだい?」

手に持ったままのマスターの写真を指されて、当初の目的を思い出した。この人を探しているのです。

「うーん、日本人は区別が難しいけど」

少し前に来た人が似ている気がするよ。彼はそう言って首を傾けた。

「自分は古本屋だって言ってた。他にもいろんなガラクタを売ってるって」

……マスターだ。間違いない。

「どこに行くか話してました?」

「森を見たいって言ってたから登山もできる国立公園を教えたよ。都心から3時間くらいで行ける」

初めての有力情報だった。どれくらい前?一ヶ月くらい前だったかな。じゃあ今日はここまでだ。せっかくだしここを楽しもう、ともう一曲ハーモニカをリクエストした。にっこり笑って引き受けてくれた彼はイラストのキャラクターより愛想がよくてイメージが違ったけど、この国の印象を良くするには十分だった。


翌日の朝、ホテルの朝食を平らげながら少し反省をしていた。昨日はお土産を買いすぎた。でも仕方ない、あんなにかわいらしい雑貨があちこちの店で買えるとなれば財布の紐がゆるむのは仕方ない。

今日は教えてもらった国立公園に行く。まだマスターがいるとは思えないから、少しでも手がかりがあればラッキーくらいのつもりだ。そもそもこんな異国で本当に足取りが追えるなんて思ってもいなかったんだ。

「行ってらっしゃい。今日はハイキングかい?」

私の足元を見てホテルのフロントマンが声をかけてきた。昨日買ったハイキングシューズ。山に行くなら装備から、と生体デバイスから助言を得たので。

「はい、国立公園に行ってきます」

「あそこは湖がきれいだから見てくるといい。でも気をつけて。湖畔はすべるよ」

「わかりました、ありがとうございます」

電車とバスを乗り継いで公園に着いたのは昼過ぎだった。さっそく一番王道の湖畔に出るコースを歩き始める。随所に看板があるから分かりやすい。

雷が落ちたのか倒れて朽ちた大木。でっかいきのこ。石の積まれた小川。草に囲まれた尾瀬の中の細い木の道を踏みしめる。清々しい。空気が美味しい気がする。

しかししまった、そもそも人が少ない。目撃情報なんて得られそうにない。途中湖畔で食事をしていた地元の人っぽいハイカーに話しかけたが、やはり知らないという答えだった。人がいない代わりに動物の気配は多く、鳥があちこちでさえずっている。

「鳥としゃべれたら便利だろうなぁ」

残念ですができません。生体デバイスから真面目に返答されて思わず笑ってしまう。わかってるよー。

一時間半ほど歩き、ここらでちょっと一休み、と切株に腰かけた。水筒の中身はまだ十分。暑すぎず寒すぎず、天気もよい。緑に囲まれた非日常。そして気付いた。どうやら私には圧倒的に癒しが足りなかったのだ。

しばらくそこでただ座って緑を眺めていた。どれくらい時間が経ったかはわからない。あまりに気を抜いていたのだろう、それが近付いているのに全く気付いていなかった。ガサガサッ、と足元で音がして反射的に身をすくめる。なに?!

見ればそこには、なんかまるっこい……ピンク色の。うさぎ?

ピピッ。電子音がして、目がチカチカと光った。これ、生体じゃない。ってことはもしかして……ロボット?そうだペットロボットだ。初めて見た!!

「えっと、あの……あなたは誰?」

きゅぴーん、くるるるるる。何かのまわる音。反応してる。もう一回!

「あなたのお名前は?」

「こ、こ、こここここここ」

「こ?」

「コッチ!!」

元気に、はっきりとしゃべった。

「コッチ?それがあなたの名前?」

「うん、コッチ!アナタは?」

「私はカザネ。はじめまして、コッチ」

「ハジメマシテ!!ないすちゅみーとぅー、はうあーゆー?」

「日本語がいいな」

「日本語!コッチ、日本語、得意ヨ!」

会話になってる!ちょっと感動だ。すごい。すごい。本物のペットロボットだ!

「カザネ、ドコカラ来タ?」

「日本から来たんだよ」

「日本!ヨウコソ!イツカエル?マダ遊ベル?」

……かわいい。ぺたぺた、もふもふ。手を伸ばして触ってみると、きゅーんと鳴いた。ような音がした。

「まだ遊べるよ。遊ぶ?」

「ウン、ココ、コッチの庭。案内スル、着イテキテ、カザネ」

くるりと方向転換して、カタカタカタ……とすすんだところで、ふぃーん。電子的な駆動音が、止まった。

「……コッチ?」

ぺちぺち、つんつん。話しかけても触ってみても抱き上げても、ピクリとも動かなくなってしまった。

少し迷った。放っておけばこのまま動かなくなってしまうであろう小さなロボット。コッチはここにいた方が幸せだろうか。この美しい森でその生を終えるなら幸せだろうか。私の生きる世界と違って自由で、美しいこの国で。

でも。

「とにかく、修理を……」

コッチを抱えてハイキングコースを急ぎ足で進んだ。もう足を止めることはない。早く街へ。ああ、マスターがいれば修理できるのに、ほんとにどこ行っちゃったんだろう、マスター。

ホテルで現地のロボット職人を教えてもらい、その店を訪ねた。いかつい男性がコッチを奥に連れていった。少し待たされてもう一度手元に戻ってきた時にはコッチの目はまた赤く光っていた。

「随分古い型だ。ここじゃろくな修理はできない」

ロボットやアンドロイド、AIなんてものが持て囃された時代は終わった。昔は一家に一台ロボットがいたというが今は必要がない。人は生まれてすぐに生体デバイスを埋め込む手術を受け、それとマイナンバーが連動されて様々な手続きが音声ひとつで可能になった。過渡期は管理されていると言ってこれを嫌う人々もいたようだが便利さには変えられない。だからロボットは要らなくなった。技術の進歩もそこで止まった。

つまりペットロボットというのはいわば絶滅危惧種なのだ。まったく保護される気配はないけど。

「国立公園で拾った?」

「はい。ここが庭だって言ってました」

「……手に負えなくて捨てたんだろうな。ロボットはもはや骨董品だ、捨てるのにもかなり金がかかる」

職人のゴツゴツの手がコッチをなでた。

「ダイジョブよ、コッチ、ダイジョブ」

「……そうか」

彼は少し笑った。そして顔を上げて私を見る。

「とりあえずバッテリーつないで掃除だけはしといたがな、パーツがない。この国で探すのは難しいだろうな」

「そうですか。どこでなら?」

「そりゃ、昔から機械に強いと言えばステイツか日本と相場が決まっている。これも日本製だしな」

「私は日本から来ました。どこか修理してくれるところはありますか?」

「日本から?じゃあいい奴を紹介してやる」

彼はぶっきらぼうに、だけど丁寧な字で日本の住所と電気屋らしき名前を書いた。自宅からわりと近い場所だったのでホッとする。運がいい。

「小さい店だ。技師は若いけど腕がいい。帰ったらメンテナンスに出すといい」

「ありがとうございます。行ってみます」

彼に言われて決心がついた。連れて帰る。メンテナンスに出す。傍らのコッチのつぶらな赤い瞳を見て切り出した。

「一緒に帰ろうか。コッチ」

「コッチ、帰ル!カザネと行ク!コッチ、ウレシい!」

「よかった。じゃあ手続きをしよう」

一緒に日本へ帰ろう。成田行きのチケット、ペットロボット付き、一枚。店を出てその便が飛ぶであろう空を見上げれば、それは抜けるように青かった。

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