Le Sucre
食堂に行くと「圭、こっち!」と声がかけられた。そちらを見ると、四、五人の人が固まって座っていた。
(美香さんたら……いつの間に?!)
集団でいる人たちをよく見るとなんと同期で、同期に混じって石川までいた。
「はい、圭はここね!」
大橋が椅子をポンポンと叩いたので、その席に座る。大橋が左、右は真葵だった。
「お久しぶりです」
「ほんと。久しぶりだよな、元気だったか?」
口々に元気かと訪ねられて元気だと答えると、「時間が無くなるから、食べながらね」と大橋が促したのでそれぞれ食事を始めた。
「で? 大橋、報告ってなんだ?」
「んー……圭、手」
「あ」
お手拭きで手を拭こうした矢先に大橋に左手を掴まれ、皆に見えるように左手の甲をそちらに向けられた。
「ジャーン!」
「は?」
「え?」
「「「「えええええっ?!」」」」
食堂内に石川や真葵、他の二人の声が響いたからか、早めの食事をしていた人たちに注目されてしまった。
「嘘っ!」
「婚約したのか?!」
石川の声に食堂内がざわり、とざわめいた。
「周さん、声が大きいです! それに、その……婚約じゃなくて、け、結婚を……」
「け、結婚?!」
小さな声でそう言った目の前にいる同期の男性――
「いつの間に……相手は?」
「る……穂積専務です」
泪さんと言いそうになり、あわてて専務と言い直した。
「「「「「…………」」」」」
「あ、あの……」
「また口説こうと思ってたのに……」
「あんたたち全員結婚してんじゃないの!」
大橋の突っ込みに男性陣が黙り込む。
「しかも、石川室長は先日三人目のお子さんが産まれたばかりじゃないですか」
何か言おうとしていた石川に突っ込みを入れたのは真葵だった。石川に「おめでとうございます」と言うと、「ありがとう」と返された。
「……で、だ。冗談はさておき」
「「「おくんかいっ!」」」
男二人と大橋の見事な突っ込みが石川に入る。
(相変わらず、息がぴったりだなぁ)
変わらない同期に思わずクスクス笑ってしまう。
「で、俺はぼちぼち出なきゃならんから、先に質問なんだが」
「なんでしょうか?」
天沼が手をさっと上げたのでそう聞くと「いつ結婚した? 式は?」と聞かれた。
「籍を入れたのはお正月早々で、式の予定はまだ立てていないのです」
「そうなのか?! っと、時間切れ。井沢、行くぞ!」
「え、もうそんな時間?! 俺も出なきゃ!」
天沼と井沢が腕時計を見て慌てて立ち上がる。
「大橋、あとで詳細を教えてくれ。圭、おめでとう」
「式には呼んでよね」
そう言って全員ぶんの空いた食器を持って行った。
「了解。二人とも行ってらっしゃい」
「ありがとうございます。お気をつけて」
つい習慣で席を立って頭を下げると「圭ったら……」と真葵に苦笑されて手を引っ張られたので、そのまま席に座る。
「で? 石川室長もそろそろクライアントがお見えになる時間ですが?」
「ったく……。真葵、あとで教えろ」
「わかりました」
石川も席を立つと私の頭をポンポンと軽く叩き、「おめでとう」と言って去って行ったのと同時に大橋が席を立って私の前に移動して来た。
「さて。圭にはいろいろと聞かなきゃ。ね? 真葵」
「だよね、美香」
「あ、あの」
おろおろと二人を見ると、ニタァという言葉がぴったりはまる顔をしていた。
「専務に会ったのって、圭を小田桐に迎えに来た時よね? あの時から考えても二ヶ月ちょっとでしょ?」
「ずいぶん早いわね」
「でしょう?」
「うん。その辺のとこはどうなの? 圭」
大橋と真葵に、ワイドショーよろしくマイクを突き付けるように握った拳を私に向けられたので、それに苦笑しつつも最初は実家近くの公園で助けたこと、二回目は出張先で助けたことを話した……オカマバーで会ったことは伏せて。
「それで?」
「あの……穂積に行った次の日に告白されて、その次の日に同棲を始めて……」
強引にとは言わずに告白と言うと、コーヒーを飲んでいた真葵がぶっと吹き出しそうになってむせたので、慌てて背中をさすると「大丈夫だから」と言われた。
「真葵……。それで?」
「最初は自分の気持ちがわからなくて……。でもいろいろあって、クリスマス・イヴの前日に泪さん……専務への気持ちに気が付いて告白したら、そ、その時に初めて、その……だ、抱かれて……」
あんぐりと口を開けた二人は、「同棲してて、よく一ヶ月以上も我慢したわね……」と口々に呟き、先を促された。
「それで、その次の日にプロポーズされて、その……今月の三日に入籍しました」
「「早っ!」」
二人の突っ込みに、やはり早いって思われるよねとなんとなくしょんぼりして俯いてしまう。真葵はまだ婚約期間中だし、大橋も結婚をしているけれど、やはり婚約期間は長かった。
「よっぽど手離したくないのね」
ポツリと呟いた真葵の言葉に顔を上げて真葵を見ると、苦笑していた。
「まあ、気持ちはわかるわね。私が男だったら、やっぱり手離したくないと思うもの」
「だよね」
「あの……?」
わからなくて首を傾げると、「わからなくていいわ」と言われた。
「で? 穂積専務ってどんな人? 噂通りの切れ者?」
「仕事中は確かに厳しいですし、指示は的確なのでそのあたりは噂通りです。ですがプライベートでは強引で人の話は聞かないですし、大事な話はいつもあとになって聞かされます。でもすごく優しくて大事にしてくれますし、一緒に買い物に行っても荷物持ってくれますし、時々ご飯も作ってくれますよって……あれ?」
二人を交互に見ると、なぜか生温い視線を向けられた。
「圭の口からこんな言葉がでるとはね……」
「そうね……」
「あ、あの……」
幸せそうで良かったわと二人に言われ、そうなのかなと思いつつも素直に頷いた。
そのあとは二人の近況報告を聞き、二人の愚痴や何やらを聞いたあとで、目敏い大橋が「その目はカラコン?」と聞いて来た。そういえば小田桐で
気持ち悪がられたらどうしようと思いつつも、それならそれでさっさと席を立って帰ればいいと思い、話す。
「実はこれ、裸眼なんです。真葵さんにはちょっと話しましたよね? 中学卒業間際に事故に遭って……」
事故に遭ったこととその影響でオッドアイになり、視力も落ちたこと。とても言いづらかったけれど最後に全身に傷があると告げると、二人の眉間に皺が寄った。
(そうだよね……)
気持ち悪がられていると思い、二人の顔を見たくなくて俯く。時計を見るともうすぐ一時になるところだった。
泪には二時までには帰って来いと言われているので、もう小田桐を出なければならない。
キュッ、と目を瞑ってから鞄を持って立ち上がる。
「仕事が立て込んでいますので、これで失礼しますね。話を聞いてくださり、ありがとうございました」
そう言って歩き出して食堂を出るころ、「圭、待って!」と声をかけられたのだけれど、ちょうど来たエレベーターに乗り込んでエントランスへと向かう。
受付にいた相良が「圭、またね」と言って来たので、それに手を振ってエントランスを出ようとしたところで腕を掴まれた。
「だから、待ってって言ったでしょ?!」
振り返ると、大橋だった。
「もう……相変わらずネガティブなんだから」
そう言うと大橋がぎゅっと抱きしめて来た。
「圭の悪い癖よ? いい? あれは驚いて固まって、どうして同期の私たちに言わなかったのかが悲しくて、怒ってただけよ?」
「……」
怒ってたという言葉に反応し、大橋の腕から抜け出そうともがくと更にぎゅっと力を込められた。
「話は最後まで聞きなさいって。圭が私たちに遠慮してたのも、どこか壁を作ってたのもわかってた。でもね、事故の話を聞いて、私たちは……私は嬉しかったのよ? やっと壁を外してくれたって」
「美香さん……」
「同期たち以外には絶対に言わない。全員に約束させる。私たち同期は仲良しだもの、それくらいはいいでしょ? もちろんその中には圭も入っているのよ?」
「……」
「私たちは年の差はあるけど同期で、私たち同期にとって圭は妹みたいな存在なの。そんな私たちが、圭に不利なことするわけないでしょ?」
「……っ」
大橋は私の体から手を離すと、腰を屈めて私の目線に合わせる。大橋は女性ながら私よりも頭一つ分高い。というより、私が小さいだけなのだけれど。
「誤解させたならごめん。でも、何があっても、私は、私たち同期は、圭の味方だから。もちろん専務と喧嘩してもよ? だから、何かあったら連絡して?
そう言って器用にウインクをする。
ふわりと心が軽くなる……泪と一緒にいるみたいに。確かに壁を作ったのは私自身だ。
可愛がられているとわかっていても、壁を外すことができなかった。
できるようになったのは、きっと泪のおかげだ。
だから素直にうんと頷くと、大橋は「やっぱあんた、可愛いわ」と言ったあとで、相良を呼んだ。少し離れた場所で二人でこそこそやりとりをしている。
それをぼんやりと見ているとふたりがこちらを向き、ニヤリと笑った。
(……何か、嫌な予感がするんだけど……)
逃げようとしたら二人に挟まれてしまった。何を思ったのか、二人が「結婚おめでとう!」と私の頬にキスをし、背中を押した。
「ちょっ?!」
「じゃあね!」
二人に見送られ、内心恥ずかしく思いながら前嶋がいるところに行く。
「お前は一体何をやってるんだ……」
呆れた声を出されたのだけれど、不意に表情と目線を鋭くして顔を上げ、中を睨み付ける。
「圭輔さん?」
訝しげにそう呼ぶと、「何でもない」と言って表情を和らげた。
「さて、帰るか。泪さんが待ってるんだろ?」
「二時までに帰って来いって……間に合いますか?」
「余裕だよ」
にっこり笑った前嶋は、私を車に押し込めたもののしばらくそのまま小田桐の方を睨み付けるように見ていた。
***
「あーあ、行っちゃった」
「にしても、あの圭が結婚ねぇ……びっくりだわ」
「でしょう?」
圭が出て行ったあとの、小田桐のエントランス。視線の先にはゆっくり歩きながら車の側に立っている男のほうへ向かっている圭がいる。
「我らが妹分の結婚を知ったら、どうなるかしらね」
「またまたー。「わざと大声で『結婚おめでとう』って言おう」って言ったのは美香じゃない」
「まあね」
「でも、確かに反応は楽しみよね」
「でしょう?」
受付のツートップ――美人で才媛と噂の大橋と相良は、自分たちが注目を集めることを知っている。そして普段は無表情な圭が同期と一緒にいる時や、ふとした瞬間に見せる笑顔が可愛いと評判なことも。
あの時、エントランスには昼食帰りやこれから出かける人が何人もいた。中には何回か圭を食事やお茶に誘って断られた人がいるのも確認済みだ。
つまり、人妻だから諦めろというサインだった。
「食堂で聞き耳を立ててた輩もいたし、圭のことは今日中に広まるでしょ」
「多分ね。じゃあ、お昼行ってくる。ついでに食堂での反応を見てくるわ」
「ありがと。行ってらっしゃい」
相良は食堂へ行き、大橋は受付へ行って席に座り、仕事を始める。
(心配なのは、しつこいアイツだけだけど……)
今は海外出張中だしねと一人ごち、相良からの連絡事項を読むためにファイルを取ろうと目線を上げ、そのまま固まる。視線の先には、ストーカーと言っても差し支えないほどしつこい男の姿があった。
「何でアイツがいるの?!」
まだ出張中のはずだ。それとも、遅い正月休暇かなにかで帰って来たのだろうか。先ほどのことを思い出し、とてつもない失敗を犯した気がして、じわじわと不安が広がる。
(圭……)
視線を外に向けると圭が車に乗り込むのが見え、側にいた男が鋭い目をして大橋を見ていた。いや、正確には大橋の延長線上にいる海外出張中のはずの男を。
その視線に堪えきれなくなったのか、男は不意に姿を消すと外からの鋭い視線もなくなった。
(あの人……一体何者なの?)
ガタイのいい体躯、鋭い視線。ただ者ではないとわかる。
(もしかして、専務はアイツの存在を知っているの……?)
もしも圭の側にいた男が、穂積専務の付けた護衛なのだとしたら。
(大丈夫……大丈夫よね?)
大橋は圭の無事を祈るように、走り出した車が見えなくなるまでじっと外を見ていた。
――その日。小田桐商事には在沢 圭が婚約、もしくは結婚したとの噂が流れ、彼女に好意を持った男性陣(なぜか女性もいた)がそれを彼女の父親に確かめるべく、 秘書課の室長の前に長蛇の列ができたという。
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