【書籍版発売中】指風鈴連続殺人事件 恋するカナリアと血獄の日記帳
須崎正太郎
はじめに
ある殺人事件の被害者たちが遺した日記について
ある日、私が運営しているブログに1通のメールが届いた。
『先生、はじめまして。いつも先生の作品を楽しく拝読しております。新作も購入いたしました。とても面白かったです』
ここだけ見れば、ただのファンレターならぬファンメールである。郷里の福岡で作家業を始めて5年になるが、賞賛の言葉を戴くのは気持ちがいいものだ。
だが、このメールはここから先が肝心だった。
『ところで先生は、いまから19年前――2001年に、福岡県の某所で起きた連続殺人事件についてご存知でしょうか?
実は僕は、この事件で殺された被害者の日記を所有しています。事件は福岡県I市(事件当時はI郡でしたが)で起こったものであり、いまだに容疑者は逮捕されておりません。もはや警察はあてになりません。ましてや、僕のつたない推理力では到底、真相にたどり着くのは不可能です。
そこで、同じ福岡県在住の小説家である先生にお願いしたいのです。この日記をどうか、世間に広く公開していただけないでしょうか。そして読者の皆々様の力を用いて、ぜひとも事件の全容を解明していただきたいのです。大変ぶしつけなお願いとは承知しておりますが、もう他に頼れる方がいないのです。どうかご検討くださいませ』
実際の文面は、もう少し四角四面なものだったが、要するに大筋はそういうことだ。
彼はなぜ、私にそんな相談を持ちかけたのか? いくら作家業を営んでいるとはいえ、実のところ、それほど売れっ子でもない私だ。世間に対して発言力はさしてもたないのだが……。
もっとも無名の作家なだけに、逆に相談しやすかったのかもしれない。
売れている作家相手だと、尻込みするものな、と私は内心ひとりで納得していた。
とにかく私は興味をそそられた。突然のお願いではあったが、驚きよりもなによりも、殺人事件の被害者が殺される直前まで書いていた日記とは、いったいどういうものだろう?
見てみたい、読んでみたい。
好奇心が湧いてきたのだ。
『事件が解決するかどうかは分かりませんが、とにかくお話だけは伺いましょう』
以上のように、私は返事を送った。
その後、いくたびかのメールの往復を経て、その人物と私が直に対面したのは、1月上旬のこと。
福岡市営地下鉄中洲川端駅の近くにある、昭和の風情を色濃く残す喫茶店において我々は顔を合わせたのだ。
その人物は自分のことを、
「名乗るほどのものではありません。Aと呼んでください」
そのように言った。
そこで私は、彼をA氏と呼ぶことにしたが、そのA氏は私に、4冊の日記を差し出した。
なんと4冊! それもすべて、筆者が違うではないか。
「すべて、被害者の日記です」
と、A氏は言った。
「すると、Aさん。あなたの言う事件の被害者は、4人もいることになりますが」
「むろん、そうです」
「4人、全員。……殺された、と?」
「そのはずです。いや、あるいは自殺かもしれませんが……。とにかくこの4冊の日記の書き手はもはや全員、この世の住人ではありません」
「ううん……。4人も殺された福岡の殺人事件。しかし私はこの事件について、噂さえ聞いたことがなかったのですが……」
「この事件が起きたのは2001年でしたが、そのころアメリカで、例の同時多発テロ事件があったでしょう。あれのせいで、マスコミはほとんどこちらの事件を報道しなかったのですよ。この事件の知名度が極端に低いのは、そういう
「なるほど。そういうことですか……」
私はうめきながら、ホットコーヒーをすすった。
ずいぶん渋い。この店のコーヒーが、こんなに苦いと思ったのは初めてだ。
「とにかく、日記を拝見しましょう」
私はそう言って、日記を手に取り――
そして「うッ」と露骨に顔をしかめた。
なぜならば――手に取って気が付いたのだが、日記帳の裏側には、べっとりと、赤黒い液体が付着していたからである。
ペンキやマジックなどではない。血液だ。私の直感がそう告げていた。
他の日記帳もそうだった。
裏側に、あるいはペラペラとめくると日記のあちこちに血痕が見え隠れしている。
あまりにも猟奇的な光景に、私はしばし呼吸することさえ忘れていた。
こんな日記を、どうしてA氏は所有しているのだろう?
A氏はそもそも、何者なのだろう? 私は彼について福岡県在住ということ以外、なにも聞いていなかったのだ。なにひとつ!
こちらの心の内にある恐怖と疑問を見抜いたように、A氏は薄い笑みを浮かべ、そして告げてきた。
「すべては日記を読んでからですよ、先生。まずは――一番上のこの日記から目を通してみてください」
その日記を差し出される。
ごく普通の大学ノートだ。表紙には黒マジックでぶっきらぼうに『日記』とだけ書かれてある。
これだけ見たら普通の日記なのだ。
裏表紙に血さえついていなければ。
私はもう一度だけ、苦み走ったコーヒーを口に含んでから、日記帳の1ページ目をついに開いた――
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