白猫


「おいっ、待てよ!」

「ちょ、ユアン!? どうしたのっ?」


 白猫を追いかけるため、ユアンは急いで席をたった。エヴァも戸惑いながらそれに続く。


 ――あの猫、絶っっ対に喋ったぞ!?


 不思議な猫だとは説明されていたが、そんなぶっとんだ特徴があるとは聞いていない。


 一気に地上に上がる階段を駆け抜け、半開きになっていた扉をくぐってバーに出る。オークションの途中で出て来たユアンを、店員はなんだこいつと言いたげに見ていた。ずっとここにいたのなら、白猫の行方を知っているはずだ。


「俺より先に何か・・出てこなかったか?」

「は? あぁ、だいぶ前に剣……いや、初老の方が出ていったくらいだが」

「……そうか」


 ――店員が気づかなかった? あんな派手な猫が飛び出してきて、それはない。


 もしかしたら「幻影を操る」という紹介にあった魔導を使ったのかもしれない。

 バーの外に出て、しばらく歩いて辺りをぐるりと見回すが、やはり姿は見えない。あれだけ酷い目に遭っていたのだから、わからないでもないが。


「……さすがにいないか」

「――どこを見ているのだ、愚図め」

「うひゃっ!?」


 変な声が出てしまった。しかし――真上から声が降ってきたら、そりゃ驚いてしかるべきだろう。

 件の猫は、近くの店の看板の上に乗りユアンを見下ろしていた。


「やっぱお前喋れるのか? 猫なのに?」


 二回も続けて空耳ということはあるまい。ユアンは意を決して白猫に向かって話しかけた。辺りは丁度無人だ。


「私を猫などと一緒にするな。外見が同じだけで、私の身体は・・・魔導生物。しかも外界の“オド”を取り込める特殊個体だ。普通の哺乳類とは別次元のモノだと思え」


 ――ダメだ、半分以上何言ってるかわからん。


 人間味のない、どこか神秘的な低い声が猫の喉から発せられているし、口もいちいち動いている。不思議な力で言葉をこちらに届けているという訳ではなく、しっかり発声して喋っているようだが、端々の単語の意味がよくわからない。


「よくわかってない顔だな。やはりこの国の者は魔導の知識に疎いのか」

「あ、ああ。その通りだ。お前が何なのか、魔導が何なのかもよくわからない。その辺を教えてくれないか?」


 白猫は紅の瞳をすがめてしばし沈黙した。


「……貴様には多少の恩を売っておくか」

「は?」

「魔導については後にしろ。おい、そこの小娘も一緒だ。これから私の言うとおりに動け」


 勝手に自己完結したらしい猫は、物陰からこちらを窺っていたエヴァに声をかけた。気づかれているとは思っていなかったエヴァはかなり驚いた様子でユアン達の前に出て来る。


「わ、私も?」

「オイ、俺たちに何をさせる気だ」


 魔導について聞いてみたかっただけなのに、何か怪しい流れになってきてしまった。猫が喋っている時点で怪しいと言えば怪しいのだが。


「なに、大したことではない。もう一度あの酒屋に二人で行けばいいだけだ」

「酒屋ってあのバーのことか?」

「そうだ。入ったら店員に『中を見させろ』と言え」

「いや中のオークションならもう見たけど……」


 ぼやくと口答えは許さないとばかりに睨み付けられる。何やら時間に制限でもあるのか、とにかく早く行けとせっつかれ、ユアンとエヴァは訳もわからないままバーの前まで戻った。名乗りもしない白猫は、後ろを黙ってついてくるだけである。

 

 ――喋る猫とか、もう既に意味わかんないし。とりあえず最後まで付き合ってみるしかないか。


 元来変なところで拘りがないユアンは、結局バーの扉を押し開いた。エヴァと並んで二人で入れと言われたので、その通りに。


「いらっしゃ――ッ!?」


 迎えるのは先ほど話した店員だ。他に客はいない。何故かこちらを見てひどく動転している。暇潰しに磨いていただろうグラスは手から落ち、派手な音をたてて割れてしまった。


「中を見させてもらおうか」


 多少言い方は変えたが、白猫が指定した言葉を放つ。それがだめ押しだったのか――

 効果は、覿面だった。


「く、クソッ!」


 店員はすぐさま背中を見せ店の奥へ逃走した。オークション会場に繋がる隠し通路に向かったのだろう。


「追いかけた方がいいのか?」


 足元の白猫に問う。


「急ぐ必要はないが。まぁ、ついていってみろ」

「へいへい」

「行けばわかるってことね」


 エヴァと小走り程度の速度で店員の後を追いかける。

 無駄に長い階段を下りながら、そろそろ店員が会場に着いた頃か、と考えた時だった。


“……ぃだ! 逃げろ、憲……が来たぞ!”

“何を……いる!? ……品など置いていけ! とにかく……!”

“非常口は……クソ、邪魔だどけッ!”


 大勢の人間が走り回って生じる地響きと、耳に届く怒鳴り声。

 見なくても分かる。今、オークション会場は大パニックだ。


「会場の参加者が、逃げ回っている……」

「そのようね。でも、何故?」


 エヴァの疑問。ユアンの中ではその答えが出ていた。


「さっきの店員に何か幻を見せたな? 白猫」

「ハッ、流石にそれがわからんほどの凡愚ではなかったか」

「口悪いなこの猫」

「猫猫うるさいわ! 私は猫ではない!」

「じゃあ何なのか説明しろよいい加減!」


 ぎゃあぎゃあ言い合いを続けるうちに、地響きは止み、人の足音も怒号も聞こえなくなった。ほれいけ、と指図する白猫にムッとしつつも、会場の扉を開け中に入る。


 中はひどい有り様だった。


 持ち込まれていた飲食物は床にぶちまけられ、調度品の類いは蹴倒されている。参加者の私物であろう上着や鞄もちらほら残されていた。

 そして残されていたものはもう一つ。


「あっ――自動拳銃!」


 舞台の上の台に鎮座する自動拳銃は綺麗にそのまま残っていた。弾倉が入った木箱も傍らにある。


 ――何故誰も持っていかなかったのだろう?


 気になって舞台に上がり確かめると、銃は鎖で台に固定されていた。錠前つきのものだが、台の中には型の合いそうな鍵が隠されていた。司会も参加者も、鍵で鎖を外すという手間をかけてまで銃を持ち出す余裕がなかったのだろう。


「それを持っていくといい。私のために手に入らなかったと愚痴られてはたまらんからな」

「なっ!? おまえ、そのためにこんな騒ぎを起こしたのか!」

「私は貴様らの姿を憲兵・・に見えるようにしただけだ。あとは奴等が勝手に逃げ出したにすぎん」

「…………」


 なんという意地っ張り。銃に鎖がついていることも知った上での計画的犯行だろうに。ユアンは呆れて声も出ない。


「でもそれを持ち出したらユアンが泥棒ってことにはならない?」


 大丈夫なの、と心配そうに言うエヴァ。悪事などし慣れていないのだろう。ユアンとて慣れているわけではないが、こちとら立派な国家反逆者である。もはや多少のことは気にならない。


「大丈夫だよ。ここで出品されていることがそもそも違法だから。決闘で使ってて気づく奴がいても、同じ穴の狢だ。訴えることはできない」

「なら、よかった」


 知り合って間もないのに心配してくれるエヴァに罪悪感が沸いてくる。奴隷産出国という都市の闇、マルコムが仕掛けた命懸けの決闘試合――そういったものに、少しずつだが確実に、彼女を巻き込みつつある。しかも喋る猫というよくわからない秘密まで共有しなければならなくなった。

 

 ――もしかしたら、エヴァは既に目をつけられているかもしれない。都市や、マルコムから。


「……とにかくここを離れよう。いずれ本物の憲兵がやってくる」

「そうね」


 銃を回収し、ユアンたちは非常口ではなく店の方の出口から外に出た。あれだけ大量の人間が出ていった非常口の方が、外部から目立っている可能性が高いからだ。

 慎重に周囲を伺い、なんとか誰にも見られず店から離れた通りに出ることができた。


「いつの間にか夜になってるわ」

「ああ。……あの、エヴァ。念押すようで悪いんだけど、」

「今日あったことは絶対に誰にも教えない、でしょ。こんな言っても信じてもらえないような出来事、誰にも言わないわよ」


 言っても信じてもらえない、というのは勿論人語を話す白猫のことだろう。当の猫はどうでもよさげにこちらの会話を聞き流している。なんだかんだついてくる気でいるようで、今はユアンの外套のフードの中に収まっていた。


「はは、それもそうか。とりあえずこの猫は俺が預かるから、エヴァも帰った方がいい。今日は一日ありがとな」

「いいえ、こちらこそ。明後日の決闘、頑張ってね」

「ああ」


 エヴァはまだちらちらと白猫を気にしてはいたが(気にならない方が難しいだろう)、街灯の多い大通りまで付き添って解散した。蜂蜜色の髪が揺れる背中がどんどん遠くなり、やがて見えなくなると、疲れを一気に感じてため息が出た。


「夜が更けない内に娘を帰したか」


 これまで妙に黙っていた白猫が口を開く。決闘祭の間、大通りは出店と人で溢れている。猫の声を気にする者はいない。


「そりゃ、女の人だし、危ないからな」


 自動拳銃を入れた布袋を抱え込むように持ち、口許を隠しながら答える。通行人に独り言を言うヤバい奴だとは思われたくない。

 

「紳士の真似事か。己も女でありながら・・・・・・・・・

「なっ!?」


 何故それを知っている、と往来にも関わらず叫びそうになった。フードの中の猫はユアンの動揺を嗤っている。


「“オド”を感じとれば女か男かくらいわかる。女であることを隠し、高価であるはずの武器を買い求め――貴様には並々ならぬ宿命があるのだろう。ソレから金髪の娘を遠ざけたいと思っている。違うか?」

「ッ…………」


 何も違わない。この猫には、全てを見抜かれている。ユアンはただ黙ることしかできない。


「隠し事であるならば、貴様はもう少しポーカーフェイスを覚えておくことだな」


 薄ら笑いを含んだその物言いに、さしものユアンもカチンとくる。


「う、うるさい! てか、そもそもその“オド”っていうのは何なんだっ? お前自身のことも含めてちゃんと説明しろよな!」

「やかましい奴だな。貴様のねぐらに着けば話す」


 のらりくらり。猫らしいといえばらしい。本人曰く猫ではないようだが。

 フードの中に重みを感じながら歩き続けること三十分ほど。やっと自宅の前に到着した。

 乗り合いの大型自動車バスに乗ることができればもっと速かったのだが、混みあう車内では白猫が押し潰されそうな気がしてやめておいた。感謝して欲しいものである。


「着いたぞ。…………ん?」


 反応がないのでフードから猫を掴んで出してみれば、その体には全く力が入っておらず、有り体に言えば――ぐったりしていた。


「おいっ! 大丈夫か!?」


 呼び掛けると、しんどそうに紅い目が薄く開かれた。


「……むぅ……一日に変換できるオドの量は決まっている。今日はちと使いすぎたな……。回復するまでしばらく寝る」

「はぁ!? 寝るって――」


 言い終わると、猫はまたガクリと脱力して意識を失ってしまう。動力切れの機械を彷彿とさせる寝入りかただった。

 ユアンは猫を抱えたまま呆然と立ち尽くす他ない。


「……起きたら覚えてろよこんのアホ猫!」


 ――悪態を吐きながらも、家に入って猫用の寝床を準備し始めるくらいにはお人好しなユアンであった。







***







 ユアン・エルフォードが不思議な猫と一騒動を起こしている頃。若き市議会議員、マルコム・チャンドラーは数多の書類を捌ききり、休憩に入ったところだった。

 マルコムの世話役兼護衛を務める男――ヘルマンはその大きな手で不釣り合いなくらい繊細なつくりのティーカップを運ぶ。


「まったく、議員に明確な上下がないとは口では言えたものだが、間違いなく長老連中より仕事が多くされているのは私が有能であるが故かな?」

「……そう考えた方が、よろしいかと」


 マルコムの皮肉まじりの軽口に、真面目にも相槌をうつ。ここが市議会庁舎の執務室であれば、際どい発言は誰に聞かれているかわからないから慎むよう注意するが、私邸ではそこまで口うるさく言うつもりはない。実際、若手の議員であるマルコムは比較的苦労が多い立場であるからだ。


「うん、今日は珈琲か。いい味だ。さぁて、仕事も粗方片付いたし、明日の試合はゆっくり観戦できるね」


 公的な場や第三者がいる場所でなければ、彼の口調は自然と砕けたものになる。仕事用の慇懃無礼な感のある敬語口調も彼の一面には違いないのだろうが。


「……また、ですか」


 マルコムが口にした「試合」というのは、彼が身内以外でフランクに話すことができる相手――ユアン・エルフォードの決闘試合を指す。

 決闘都市に唯一の家族を奪われた悲劇の少年。マルコムがけしかけたゲームに全てを賭けて臨む、途方もない胆力を持つ人間だ。

 どうも、主人にとって今一番の玩具――興味の対象のようだが。


「……私は、あの者を自由にしたことは今でも反対です」

「まぁ、暗殺のリスクがまた一つ増えたことについては君に謝罪しよう。でも性分なんだ、すまんね」


 彼のこういったところにはもう溜め息しかでない。何せ、マルコム本人には戦闘能力がてんでないのだ。ユアン・エルフォード――かの少年に襲撃をかけられたら、正直ヘルマンだけでは対応できるかも怪しいというのに、危機感を感じている様子はない。


 ――これまでの試合を見たが……あの少年は、ひょっとしたら優勝もあり得るかもしれない。


 かなりの距離を逃走し、暗殺集団の「鷹」を一晩退け傷つきながらも、ヘルマンと互角の実力を見せたのだ。コンディションを考慮すれば、確実にユアンの方が強者だろう。あの若さであれほどの戦闘センスを身につけているのは驚嘆に値する。


「ユアン・エルフォードが優勝するかもしれない……って考えたかね? ヘルマン」

「! それ、は……」


 正にその通りで、返答に詰まる。戦闘能力がない代わりに、この人はやたら勘が鋭く、他人の思考を読むのに長けているのだ。


「難しいでしょうが……あの“初撃必殺”にすら無傷で勝っていることを考えると、不可能ではないように思えます」

「まぁ、君は一瞬といえども直に手合わせしてるしね。そう感じるかな」


 片眼鏡の位置を調節しながら、マルコムは楽しげに一枚の紙を取り出す。それは、決闘祭のトーナメント表だった。街中で貼られたりはしているものの、多忙なヘルマンはまじまじと見たことはなかった。


「明日の第三試合を勝ったとして、次に当たるのは恐らくこの人物・・・・だ」


 ユアンの対戦相手を辿って、第三試合の次、つまり準決勝戦で誰に当たるのかを確認する。候補は二人いるはずだが、マルコムが示したのは一人の男の名だった。


「ヴィンセント・キリアム……!」


《剣聖》ならば確実に勝ち上がるだろう。数々の伝説的武勇を誇る元軍人。民衆から人気もあるため、軍部や市議会でさえ扱いかねる人物だ。


「優勝常連はあの《怪物》がいるとはいえ、普通の人間の規格・・・・・・・・で考えるならば、キリアム氏を超える人間はこの都市にはいないだろうね」


 アルフォンソ・ロイテやエヴァンジェリナ・ノースブルックのような新人ルーキーとは一線を画す、完成された強さを持つ男。彼が出るならば、ユアンの優勝は「無理」に近しいレベルの「厳しい」だ。言葉を変えれば絶望的、とも言う。


 ――そもそも《怪物》がいる時点で出来レースのようなものなんだが。


「ユアン君が思っていたよりも順調に勝ち進んだからか、市議会の保守派が軍部と結託して動き始めててね。あそことは疎遠になったはずのキリアム氏に接触してたみたいだ。まぁ、の方も動いてるけれど」

「つまり、《剣聖》に軍の後ろ盾がついている……ということですか?」

「ふむ、事はそんなに単純でもないが、半分はその通りかな」


 半分、とはどういう意味かわからないが、ヘルマンは政治や他人の思惑が絡んだ話が得意ではない。考えるのが面倒なので「そうですか」と素っ気ない返事をする。主人はこの程度で気分を害することはない。


「とはいえ、まず目前の試合を彼がどう乗り越えるのかが気になるところだねぇ」

「他人事のように……次の対戦相手は貴方の差し金でしょうに・・・・・・・・・・・


 しかもとても意地の悪いキャスティングであることを、ヘルマンは知っている。


「だってその方が楽しいだろう?」


 お気に入りの歌劇の上映を心待ちにするように、浮き浮きとした様子でマルコムは言う。享楽主義ヘドニストたる彼らしい言葉。ユアン・エルフォードに若干の同情を抱きはするが、結局のところヘルマンは主が第一だ。マルコムが満足するのであれば、ある程度他のことはどうでもいい。



「さて、あまりこちらにばかりかまけていると娘に愛想尽かされてしまう。妻のところにでも顔を出しに行こう」

「はい」


 ――数分後、チャンドラー邸の書斎の光は静かに落ちたのだった。


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