誓約のマグノリア

舞上 樋里

都市脱出編

Prologue



 ――声が、聞こえた気がした。


 愛した養父、救うと誓った男、友になった少女、尊敬した剣士、小さな相棒。他にもたくさん。


 彼らがそれぞれの言い方で、“勝て”、と。


 プレッシャーを与えるものではなく、優しく背中を押すような声。幻聴かもしれないし、そうでないかもしれない。ただ、この舞台の上でできた数々の人との繋がりは、嘘ではない。


『決勝戦――開始!!』


 何度も聞いた、決闘開始の合図から反射的に拳銃を抜きかけ、やめる。様子見なんてする必要もないくらい、その実力が知れ渡った相手なのだから。

 

「ご機嫌よう、小さな挑戦者チャレンジャー。――ハハ、ハハハハハハハハハッ! ずうっと待ってたんだぜ!? テメェを喰い散らかすこの時をッ!」


 巨躯の男が吼え、眼前に迫る。この国で敵う者などいない、最強の《怪物》。そんなものと対峙しながら、心は何故か凪いでいた。自分の身体の隅々までを支配下に置き、雑音は耳にしても入ってはこない。下卑た咆哮をあげる《怪物》に渡す言葉は、自然と口をついて出た。 


「ああ、ご機嫌よう、王者チャンピオン


 この都市に敷かれた鉄道の線路の上で、走る機関車に立ちはだかれば似た緊張感を味わえるはず――と思うほどの暴力的な速度、体躯で迫り、自分の頭ほどある拳が振りあげられている様を見上げ。

 平坦な挨拶を吐いた後、破城槌のような殴打をするりと避ける。避けると言っても少し身を捩っただけで、拳圧による風が頬を撫でるのを感じた。腰まで流れる黒髪が自身を追いかけて跳ね上がる。


「挨拶がてら、一発受け取れ」

「あ?」


 避けられたことすら愉しむように笑っていた男が、訝しむように単音を発した。それを無視し、懐に踏み込む。相手のものに比べたらあまりにも華奢過ぎる拳に、淡く光が灯り・・・・・・撃ち出された。


 拳が鳩尾みぞおちにめり込んだ感触を覚えた次の瞬間には、彼は数メートル離れた地面に、身体を擦りつけるようにし転がっていく。圧倒的な膂力によって男が殴り飛ばされたのだ。結果だけ見れば誰もが描いていた光景だが、実際に起きた構図は逆だったのだから、皆が一瞬だけ閉口した。


「嘘だろ……⁉ あの巨体をッ?」「一体何者なんだ!」「知らないのか? 奴は……」


 一人が口を開けば、途端に決闘場コロシアムは騒然となり、観客達の声で空気が揺れる。


 最年少の決闘参加者、史上最大のダークホース、美しき黒曜石オブシディアン。様々な名で都市を騒がせる美貌の少年の真実を、彼らは知らない。


 決闘場を漂った、僅かな花の香りの正体が、何であるかも。


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