第140話 突然のマスター交代

 ギルダへの聞き込みを済ませたカジは、とある建造物に入った。階段を上って最上階の廊下に出ると、角部屋のドアを潜った。


「差し入れ、持って来たぞ」

「わぁい、やったね」


 カジは近くの屋台で購入した串焼きの入った紙袋を、その辺の机の上に置いた。

 その寝室の窓辺には、狙撃銃のスコープを覗き込むシェナミィの姿があった。


「ユーリングの様子はどうだ?」

「特に動きはないかな」


 シェナミィがレンズ越しに見つめる先には、ユーリングの工房がある。

 得体の知れない術を使う彼に対抗するためには、まず彼をよく知らなければならない。シェナミィはユーリングの監視に志願し、朝からずっとここで工房を覗いていた。

 これだけ遠ければ、ユーリングも気付けまい。


「あのさ、シェナミィ」

「何?」

「ありがとうな。昨日の夜のこと……」


 明示は避けたものの、シェナミィもカジが何のことを言っているのかは分かっていた。昨夜、寝室で落ち込む彼を励ましたことを指しているのだろう。


「別にいいんだって」


 そうしている間に、工房前で動きがあった。シェナミィは目を光らせ、そこに現れた人物の動向を凝視する。


「あ、今、荷馬車が停まって、何かが裏口から運び込まれてる」

「その荷物の中身は?」

「そこまでは分からないけど、結構多いよ。配送者は服装からして、軍事関係者みたい」

「おそらく、先日ユーリングが発注した資材や設備だろうな」


 ユーリングは運ばれてきた木箱をその場で開き、中身を確認している。箱の開いた隙間から青色に反射する物体を、シェナミィは見逃さなかった。


「木箱の中身は瓶だね。青色の液体が入ってる」

「青か……魔力回復促進剤に使われる薬草に、そんな色が多かったな」

「クリスティーナさんに使うのかな?」

「ヤツはクリスティーナの魔力を集めているから、そう考えるのが妥当だろうな」


 さすがにあれだけの魔力を排出させれば、クリスティーナといえども魔力切れを起こす可能性は高い。持続して魔力を排出させるために、魔力回復薬は必要不可欠となる。


「ユーリングがクリスティーナを捨てるまで、あまり時間はないかもしれないな」

「どういうこと?」

「ユーリングはクリスティーナを実験の魔力源として使っている。もしその実験が完了すれば、ヤツは彼女に用がないはずだ。先祖に森を焼かれた恨みもあるだろうし、何らかの手段で殺す可能性が……」


 次々と木箱が運ばれる中、作業を手伝う奴隷の姿がシェナミィの目に留まった。首輪を着けた、背の高い黒髪の女性。その顔に、シェナミィは見覚えがあった。


「あの人、アリサだ……!」


 彼女は細い腕でかなりの重量のある木箱を持ち上げていた。酷く汗をかき、腕には痣のようなものが見える。


「ユーリングの奴隷なのか?」

「多分そう。首輪を着けられてたし、ユーリングと工房に入ってった」






     * * *


 その日、クリスティーナは水槽の中で目を覚ました。自分がすっぽり入るほど大きな水槽に、青色の液体がたっぷりと注がれてある。彼女は一糸纏わぬ姿で、まるで風呂のように浸っていた。


「体が……楽……?」


 生温い液体とは対照的に、自分の体は熱く、魔力に溢れていた。昨夜、ユーリングとの魔力融合で体力魔力共に使い果たしたはずだが、もうこんなに回復していることに驚く。


 そのとき、部屋の入り口から、ユーリングがひょっこり顔を出した。


「やぁ、おはようクリスティーナ」

「ユーリング様、この水は……?」

「それは魔力回復を促す薬液だよ。君の魔力回復を早めるために、浸けさせてもらったんだ」

「そうなのですね」


 皮膚から浸透した薬液が、彼女の精霊紋章を活性化させる。


「ほら、早く次の作業を始めよう」


 クリスティーナは水槽の中から起き上がってベッドの上に寝転ぶと、そのままユーリングを受け入れる体勢になった。


「良い子だ」


 彼の期待に応えるため、クリスティーナは最大限の魔力を彼に提供した。それと引き換えに与えられる快感に、彼女は飢えた獣のように彼の肉体を貪ろうとする。


「いいぞ。やはり魔力放出量が高まっている。このペースなら、王国を森だらけにできる日も近い」

「ありがとうございます、ユーリング様」


 クリスティーナの魔力はユーリングの魔力によって形を整えられ、植物の種子のように固められた。二人とも急速に作られていく種子に喜び、作業にのめり込んでいく。


 そんな彼らを他所に、奴隷のアリサは部屋の隅に佇み、その様子を苦虫を踏み潰したような顔で眺めていた。二人とも行為に積極的とはいえ、実質強姦だ。他人に裸体を見られることすら厭わなくなったクリスティーナが発する叫び声に、吐き気すら覚える。


 早くここから逃れたい。

 同族同性のあんな姿は見たくない。


 そのとき、工房の呼び出しベルが大きな音を発した。

 ユーリングは一瞬、玄関の方角へ振り向いたが、すぐに視線をクリスティーナへ戻した。自分の目標に近づくための重要な作業を中断され、彼は小さく舌打ちする。


「アリサ、見てきてくれるか? 追加で発注した荷物だ。取ってきてくれ」

「イエス、マスター」


 アリサは一人、実験室を離れた。エレベーターで玄関に向かい、荷物を受け取ろうとドアノブに手を伸ばす。ドアの磨りガラスには微かに配達業者らしき人物が映っていた。


「はい、どちら様……」


 アリサが顔をドアから出すと、彼女は腕を強い力でグイと引っ張られた。そこに立っていたのは、配達業者の格好をした背の高い男。アリサは彼に背後から拘束され、何をされるか分からない恐怖に怯えた。


「ひゃっ! なっ! 何を……」

「お前は記憶を操られていないか? カイトやダイロンのことは覚えているか?」


 恐怖で言葉を発することもできず、アリサは小さく頷いた。


「なら話が早い」


 口を手で塞がれ、声を封じられる。

 その間、アリサの奴隷用首輪が解除され、別の奴隷用首輪に代えられた感触があった。先程まで握られていたのか、金属製の首輪がほんのりと温かい。


「これで、お前のマスターは俺になった」

「えっ、えっ……」

「ユーリングの隙を見て、クリスティーナを東に六ブロック先の古い屋敷まで連れ出して欲しい」


 ここで、この男が配達業者に扮したカジであることをアリサは理解した。前に彼と会ったとき、クリスティーナを横に侍らせていた。


「クリスティーナは記憶を操作されてユーリングにべったりくっついているのよ? そんなの難しいって」

「ヤツの記憶操作には、本物の記憶と偽の記憶が対立する弱点があるようだ。彼女の記憶を掘り起こす質問を投げ掛けて矛盾を生じさせてみてくれ。どれだけ効果があるのかは分からんがな」


 カジは淡々と説明するが、それを実行するのはかなり危険が伴う。ユーリングに見つかれば殺されるし、記憶が戻らなければクリスティーナに告げ口される可能性もある。こんな仕事は受けたくなかった。


「できたら今ここで、アタシだけでも逃がしてほしいんだけど……」

「もし達成できたら、お前の相棒と会わせてやる」

「それって……」


 カジが目の前に差し出したのは、指輪のような小さな銀色のリング。それが輪状に編み込まれたプラリムの銀髪であることに、アリサはすぐに気づいた。


 人質ということか……。


 アリサはそれを黙って受け取り、手の平で転がす。


「彼女は、無事なのね……?」

「ああ。悪いが、クリスティーナを取り戻せるのはお前しかいない。頼んだぞ」


 カジはアリサを解放すると、ユーリングが発注していた荷物を手渡した。小さな木箱。その中身は、魔法陣の作成に使われる魔導率の高い塗料だ。おそらく、クリスティーナの肌に塗るつもりなのだろう。


「万が一のときは、荷札の裏に隠してある魔導石を使ってくれ。一度だけ、お前の魔術を発動させる」

「これのことね……」

「無事を祈る……」


 カジは頭を下げたが、アリサは振り返らずに工房へ戻っていく。

 巧くやれば、ここを出れるし、もう一度プラリムに会える。

 アリサは荷札の裏から小さな魔導石を剥がすと、口の中へ移した。エレベーターを昇っていく彼女の目は、ギラリと好戦的に光っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る