第十話 人生って素晴らしい(たぶん)
面倒な講義も終わり、
「よし出来た。これを後は伊谷見学園長に送信して……おい、誰かデータの送り方分かるか?」
「あ、はい任せて下さい」
手を挙げたユミナは情報端末を受け取ると、ささっと操作をしだす。埴泰はやり方を見て学ぼうとしたが、彼女のほっそりした指先が軽やかに動く様子を見て考えを変えた。自分でやるより任せた方がいいに決まっている。
「ねえねえ師匠ってば、お仕事終わり?」
「ん? ああ、とりあえずはな」
「だったら聞きたいけど」
九凛は目をくりくりさせ、ポニーテールを揺らしながら首を傾けた。
「師匠ってば、何が楽しくて生きてるの?」
聞きようによっては、大層失礼な言葉である。
それは先日の、何も置かれていない埴泰の部屋を見ての疑問であった。悩むよりは直接聞いてしまえとばかりに、いきなりの直球だ。何の遠慮も配慮もありはしない。
横でお茶を飲んでいた
しかし埴泰は別段気にした様子もない。薄暗くさえある部屋の中で胡座をかき、ゆったりした動きで不思議そうに視線を向ける。
「うん? そんなの生きていられるだけで、充分に楽しいだろうが」
実験体として長年を生き延びてきた男は不思議そうだ。
なにせ食べ物に味はあるし寝る場所も確保できて、何よりも自由で自分の不注意以外で死ぬ危険性はない。これ以上の幸せはないというのが本人の考えである。
「いや、そうじゃなくって。もっとこう……ワクワクするとか、ドキドキしちゃうとか、やったーって感じで嬉しくなる時とかの事なんだけど」
「ああ、なるほどな。もちろんあるぞ」
埴泰が頷くと九凛は嬉しそうだ。
「うんうん、そうでしょう。良かった」
「ワクワクドキドキするのは戦ってる時とかだな、それでもって生き延びた時は嬉しくなる」
「ちっがーう!」
全く見当違いの答えに九凛は声を張りあげた。両手を振り回し、良く分からないジェスチャーで自分の考えを現そうとしている。しかしながら、それは最も付き合いの長いユミナですら分からないぐらいだ。
「そうじゃないの、もっとこう普通に嬉しい楽しいって事なの」
「新しい装備を手に入れた時とか?」
「だーかーらー、そうゆうのから離れようよ。他に何かあるよね?」
九凛が床をペシペシ叩いて喚くため、埴泰は腕組みして首を左右に傾け考えてみる。さらに天井を向き、下を向き思考を進めていく。
「うーむ……なんだろな?」
答えを待っていた少女たちはガッカリした。
しかし九凛は諦めない。燃える瞳で拳を握り、勢い込んで問いただす。
「あるでしょ。たとえばさ、美味しいもの食べた時とか。ほら、一緒に焼き肉食べたじゃない。あの時はどうだったの、嬉しかったでしょ?」
「ああ、あれか」
それは、以前に奢るハメになった高級焼き肉を言っているのだろう。確かに美味しくて嬉しくなった覚えはある。ただし――。
埴泰は若干の恨みの込もった視線を向けた。
「多少はな。ただし、途中からは財布の中身を心配してハラハラさせられたな。最上部位ばかり頼んで食べまくる奴らがいたからな」
「うぐっ……」
「お陰で危うく無銭飲食だったぞ。しかもだ、何とか話を着けて出てくれば二人とも姿がないんで大慌てだったろ。食べた直ぐ後のダッシュは辛かったな」
「えーっとね……まあそんな事もあったよね。あはははっ」
分の悪さを悟った九凛は視線を逸らし誤魔化し笑いをあげた。しばらく肉を見たくないぐらいまで食べたあげく、誘拐されかけ大迷惑をかけたのだ。
なお、原因のもう一端を担った少女は背を向け素知らぬ顔をしている。金色の長い髪はしとやかで、とても他人の奢りで肉を食べまくった人物には見えやしない。
「それは置いとこうよ。ねっ、細かい事は気にしないで」
「なるほど細かい事とな、なるほど」
「と、とにかく旅行とかさ。いろんな所に行ったりした事あるでしょ、綺麗な景色見て感動したりとかあるよね?」
強引に話を変えようとする九凛であったが、話題にしておきながら自身はあまり旅行に行った事がなかったりする。養護施設の経営が厳しい事もあって、中々そうした機会に恵まれなかったのだ。
「そりゃな、昔はあちこち行ったもんだな」
「ほらぁ、やっぱりあるじゃないの。楽しかったよね」
「あの頃は逃げるなら郊外が良いと思ってな、あちこちを移動したものさ。だがな気付いたんだ。やはり隠れるなら人の多い場所、それも他人に興味のない都会だってな。地方はいかん、思ったより閉鎖的で余所者は目立ってしまうんだ」
「そういうの、いいから。今からでもさ、旅行してみない?」
「ふむ……確かに、土地勘を養っておくのも良いかもしれないか……ここもずっと安全とは限らないからな」
どこまでもズレた答しか返って来ない。
がっくり項垂れる九凛だが、まだ諦めはしなかった。
もうこうなると埴泰を心配しているよりは、意地になっている部分もあるようだ。つまり、目的が忘れられ手段が話題の中心になってしまった。横で見ているユミナが、やれやれと呆れている。
「それなら買い物とかどう? あっ、武器とか防具とかの装備は駄目だから」
「靴はいいのか?」
「もちろん、それ良いね。うんうん、そうだよ。そーいう普通なのを待ってたのよ」
九凛は嬉しそうに手を合わせ満面の笑みだ。
「やはり靴は移動確保の原点だからな。こないだ戦闘で駄目になった代わりを探すのに苦労してな、妥協できる靴を見つけた時は嬉しかったぞ。頑丈な靴は良いもんだ」
「…………」
黙り込んだ九凛は腕組みすると、自分の中でいろいろと折り合いを付けていく。最後には自分を納得させようと、ポニーテールを上下させ何度も頷いた。
「なんか違うけど。まあ、そこは良しとしたげる。他には?」
「まだ続くのかよ」
「とーぜん。師匠の生活改善が、あたしの目的なんだから」
「やれやれ……」
ぼやく埴泰は面倒そうであったが、嫌がらずに相手をしているので態度で示す程にウンザリしているわけではなさそうだ。
「そうは言うが、自分自身はどうなんだ? 楽しい事はあるのか」
「あたし? そりゃもちろんだよ。放課後にお菓子買いに行くのも楽しいし、休みの日に街とか行くの楽しいでしょ。それから皆とお喋りも楽しいし、お夕飯は美味しいんだよ。そうそう、最近の寮の朝ご飯は何と目玉焼きが付くんだよ。もう最高!」
「なんだ、たいして変わらないじゃないか」
「それ違ーう。それにね、あたしはね趣味でイラスト描くのも楽しんでるんだから」
「あらそうなんですの」
横から凡鳥が口を挟んだ。
「ふっふーん。そーなんだよ。養護院だと大っぴらに描けなかったけど、今は寮だからね。次会のイベントこそは応募申請して目指せデビューだよ」
「なんか知らんが頑張れよ」
埴泰は我関せずだ。これで話が逸れたと安堵しかけるが、そうはいかない。
「話は逸れちゃったけど、とにかくあたしは師匠を楽しませたいのオーケー?」
「そうは言われてもな」
室内を見回す九凛であったが、ふと健やかな寝息に気付いた。
白に黒の縞模様をしたネコのカノンがひっくり返って熟睡している。曲げた手をピクピクさせ、何かの夢を見ている様子だ。
「たとえば、うーんとね……。カノンと遊ぶのとか楽しいと思わない?」
言って九凛は横で寝ていたネコのカノンをひっ捕まえた。驚き声をあげ戸惑う生物は迷惑そうな様子で尻尾が床を打つが、お構いなしである。
「遊ぶって何するんだ?」
「ほらほら、こんな感じで。あっそーれニャンニャン、ニャンニャカニャン」
九凛はカノンの前足を持つと踊らせだす。あげくにその後は、髭を軽く持ち上げ歯の検査なんぞを行い、耳を挟んで兎にしたりと散々だ。しかしこの健気なネコは耐えている。
「ねっ、楽しいでしょ」
「……可哀想な事は止めろよな」
「なんでよ」
憐れに思った埴泰はカノンを取り上げ魔手から救ってやったのだが、逃げる好機とみてジタバタ暴れだした事で顔面にネコキックを貰ってしまった。
「ぐぁっ、この恩知らずめが」
「師匠大丈夫!? あっ、血が出てる」
「やめろ傷口に触るな」
ざっくりやられた傷に悶える埴泰は、手当てしようとする九凛の魔手から逃げ惑う。
その賑やかしい様子を眺め、ユミナと凡鳥はお茶を飲み菓子をつまむ。
「なんだか楽しそうですわね」
「そうですね」
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