第三十四話 かいぐりかいぐり

 放棄されたショッピングモールの通路。

 抜け落ちた天井から差し込む陽光が線状に降り注ぎ、床に転がる瓦礫や空気中を漂う埃を照らしだす。辺りにはスプリングの飛び出たソファーや錆びた椅子が転がり、置き去りにされた植物は鉢の中でドライフラワーとなっていた。

 ひしゃげたエレベーターは構造を剥き出しにし、途中で折れた柱は鉄筋を露わとしている。それらの痕跡を見れば、ここで何か異常な存在が暴れたのだと想像できるだろう。

 ただし今は静かだ。

 その静かさに人の声が響く。

「我ら滅びを招きて新たなる世界への道標を示さん。我らは滅びを受け入れ新たなる世界への道を開かん。我らは滅びをたたえ別なる世界へ意志を託さん」

 うわごとのように繰り返すのは、ローブのような衣服を纏った者たち――回帰教の者たちだ。この廃墟に似つかわしくないほど人数が揃っている。

 それらを取り纏めるのは佐藤と呼ばれる教導者で、その足下に這いつくばるのは行方不明中の松田教師であった。

「さて、松田君。あなたは良く頑張ってくれました。これで世界に逆らうセカンドの卵を滅する機会が得られました。特に滅すべきイヴは、炎の裁きにより必ずや滅びる事でしょう」

「はっ」

「さて、此度こたびの功績により、あなたを転生の儀に相応しい者だと認めましょう」

「おおっ、ついにですか」

 松田の顔が喜色に彩られる。普段の学園で見せる陰鬱なものではなく、心の底からの笑顔でボロボロと涙を零す。両手は拝むように合わせ、何度も拝礼する。

「あ、ありがとうございます!」

「既に転生の儀の用意は整っております。場所を移動しましょう」

「はい!」

 浮かれきった松田は足下すら覚束ない様子だ。

 佐藤に誘導されるがまま店舗跡を出ると、吹き抜け周りの回廊状通路に出る。残された棚や小物、散乱する瓦礫を避けながら進んで行く。

 やがて崩れた天井から日射しが差し込んだ場所に到着した。

「こ、これは……」

 松田が驚きの声をもらすのはムリもなかった。

 埃まみれの床には五芒星が描かれ、その中心に全裸の少女が転がされていたのだから。しかも両足を広げた屈辱的な姿勢で拘束されている。

 布が押し込まれた口で呻きをある様子からすれば、望んでの事でないだろう。

「これはいったい……」

「これですか? あなたの転生に必要なにえです」

「贄……」

「そうです。あなたを別の世界へと送り出してくれる、ありがたい贄ですよ。この娘と交わる事で、転生に必要なエネルギーが発生するのです。おやりなさい」

「しかしそんな事は……」

 佐藤は呻く松田の肩を優しく抱き、少女へと押し出す。

「そうそう、これはあなたの勤めていた学園の生徒ですよ。あなたを馬鹿にし嘲笑った一人です。ずっと生徒に欲情していたのでしょう? あなたは新たな世界へと旅立つのですから、最後のお楽しみにもなりますよ」

「…………」

 松田は拘束された少女を見つめ立ち尽くした。薄暗がりの光射す場所に転がされ拘束された少女の裸身。思わず生唾を飲むほど美しく淫靡であった。

 転生の儀で別の世界へと旅立てば、もうこの世界とは関係ない。

 そう思ったからこそ、形振り構わず職員会議で声をあげ試験会場を抜け出しここまで来たのだ。

「お楽しみ、そうこれは最後のお楽しみ……」

 ぶつぶつと呟く顔は獣欲に満ちていた。

 初老の男は衣服を脱ぎ捨て、その薄汚れシミさえある肌で少女白肌にのし掛かった。相手の悲鳴など構わず思うさま快楽をむさぼり、途中から観念し泣きだす様子に愉悦を満たした。

「ひは、はははははっ!」

 枷から解き放たれた松田は、天井を見上げ叫ぶような笑いをあげる。

 欲望の赴くまま腰を振り続け、もはや周囲など気にもしていない。背後に佐藤が近寄った事も、鋭利な刃物で喉を掻き切られた事さえ気付かなかった。

 ひょっとすると、自分が死んでいく事さえ気付かなかったかもしれない。

 松田は絶頂に達しながら絶命した。

 一方、少女は鮮血を浴びながら呆然とするばかりだ。自分と繋がる死体の下で動きを止め固まっている。

 立て続けに起きた出来事が衝撃的すぎ、脳の処理能力を越えたのだろう。

「さて、これで松田君の転生は完了しました。無事に死後の世界へ旅立たれ、希望通り生まれ変われるといいですね」

 佐藤は小馬鹿にした声で笑った。

 その時ようやく少女が悲鳴をあげだした。それを見やり酷薄な笑いを浮かべる。

「ああ、いいですね。実に素晴らしい負の波動ですよ。思わず逝ってしまいそうなほどだ。下らん男だったが、良い仕事をする。ブラボーブラボー、ワンダフルだ」

 おざなりに拍手をする佐藤であったが、信徒からおしぼりを貰うと丁寧に手を拭った。そのまま、辺りに投げ捨てると乱れた髪を整える。

「教導者様、そろそろ待避を。もう直に奴らが這い出てくる頃合いです」

 信徒の言葉に深々と頷く。

「おっと、これはいけませんね。つい快感に浸っていましたよ。さあ、これで準備は整った。最後の仕上げといきましょう――今こそ神槌を! 聖なる者らに愚者と死者に犯されし乙女を捧げん。今こそ姿を現せ銀のレギオン! 猛き巨人! そして紅蓮の使徒! 禍津日まがつひこの日に、セカンドとそのイヴを蹂躙し焼き尽くせ!」

 佐藤は高らかに宣言すると踵を返しローブ姿の信徒を引き連れ歩きだした。その足音は徐々に遠ざかり、やがて完全に消えた。

 残されるのは、死者とそれに犯され悲鳴をあげる少女だけ。身体の中に感じる異物が恐怖と嫌悪と憎悪を引き起こし、ひたすらに泣き叫び続ける。

 それに呼応してか、周囲に漂う空気は明らかに重苦しく陰鬱なものへと変化していく。何かを予感させる雰囲気は今にも弾けそうであった。

 そして――少女の身体に何かが触れる。

 銀色の手が方陣の中から湧き出し伸び上がっているのだ。同じような銀色をした指先が無数に湧き、それらが纏わり付きだしている。少女の首に腕に乳房に腹に陰部に足に触れ、二人諸共に引き引きずり込もうとする――五芒星の中へと。

 絶叫をあげようにも口も銀色の手に塞がれている。少女と死体は五芒星の中へと姿を消した。

 やがて銀色の存在が方陣の中から這いだした。それは途切れることなく続き、廃墟のショッピングモールへと満ちていく。


◆◆◆


「見えました、あれがショッピングモールですよ」

 ユミナは地図と見比べ、視界に入った大型の建物を指し示した。

 その駐車場にあるチェックポイントまでは、距離にして百メートルほど。ただし間に低いフェンスと植栽があるため、少し回り込まねばならない。

 車道を進む一行は、ほとんど無言のままだ。時折、ユミナが方向を指示し凡鳥と道順を打ち合わる程度である。

「場所はここで間違いないですね」

「少し先に入り口があるようですわ。そこから入りましょう」

 男子生徒はすっかり大人しいもので、キョロキョロと周囲を見やり何かを誤認して怯えていた。

 最後尾に位置する九凛くりんは背後を警戒しつつ進む。

 あれからホムンクルスと遭遇する事もなく、移動はスムーズなものだ。しかし、何か嫌な予感がしてならなかったのだ。ただ、それを口にしないのは男子生徒三人のためだ。

 そこまで怯えなくてもいいと思うのだが、僅かな物音にもビクビクしている。

 大きな看板が半ば木の間に紛れながら立っている。店名が見えないが、取りあえず大きな矢印と駐車場入り口と記されている事が分かった。

 車が一台通れる程度の幅で、両側は人の背丈を越えるまで伸びた草木で覆われている。慎重に進むと、唐突に視界が開けた。

 アスファルトに覆われた広い駐車場だ。

 目の前には四階建てのショッピングモールが大きくそびえている。窓などの開口部は板が打ち付けられ、店名を記した文字は幾つか脱落し判読はできない。

「左手方向に行って、もう少しだけですね」

「早く行こう」

 九凛は急かすように答えた。

 幾つかの区画に分かれた駐車場には、まだ何台かの車両が残されている。大型のトラックもあるが、全て放置されたもので破壊され焼けたものもあった。

「あのトラックが目印です」

 その傍らにチェックポイントの金属板があった。情報端末を近づけると、確認の取れた電信音が短く流れる。

「良かった、これであとは戻るだけだね」

「九凛ってば気を抜いたら駄目ですよ。戻るまでが定期考査なんだから」

「もちろん分かってるよ」

 胸をなで下ろした凡鳥は皮肉げな顔をした。

「でも、敵が出ず余裕で助かりましたわ。こんな、怯えた方々と一緒では、こちらの方が疲れてしまいますもの」

 男子生徒はバツの悪い顔だ。どうせ敵が出ないのであれば、もう少し余裕を持てば良かったと後悔しているのかもしれない。

 しかし、その時であった。九凛が奇妙な『音』に気付いたのは。

「なに、この音……」

 まるで連続して何かを打ち付けるようなものだ。それも大量にである。

 始めは小さなもので、しだいに大きくなりだせば揉めて騒いでいた男子生徒たちも気付いたぐらいだ。全員が動きを止め耳を澄ませだす。

 いきなり凡鳥が小さな悲鳴をあげると、腕を振り上げた。

「あちらを見て下さいませ!」

 廃墟となったショッピングモールを全員が見やり、そして揃って息を飲んだ。

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