第3話 孤児失踪事件と天使

 ソロモ国立書物館は地下一階、地上二階の建物で、地下は湿度と温度が厳しく管理され、国の重要な歴史書や貴重な書物が置いてある部屋が並ぶ。

 地上一階には中央に係員が作業するカウンターがあり、一般利用の者はここで手続きを行ってから左手側にある一般開放エリアへ向かう。

 一般エリアには、利用者の為のカウンター状の机や、大きめの机、固めの木の椅子やふかふかのソファなど、利用者が思い思いの場所で本が読めるようになっている。

 静かな館内には、窓の外に立ち並ぶ木々が揺れる音が音楽のように心地よく流れる。


 シイナはよくここに来て、その日の気分で選んだ椅子に座り、物思いにふけったり、眠ったりしてはミクラスに怒られている。仕事をさぼるな、と。


 中央カウンターの右側には各専門書がジャンル毎に細かく分かれていて、一般開放はしていないが、専門機関で働く研究員や学者など、一部の人は利用する事ができる。


 二階部分には会議室が三部屋と、なぜか居住スペースがあり、シイナとミクラスはここで暮らしていた。

 中には広めのリビングと、それを囲うように大きめの部屋が一つ、小さめの部屋が二つあり、キッチンやバスルーム、トイレもちゃんとあり中に入れば普通の家である。

 なんでも、前任の責任者が住み込みで働く為に改装したらしい。国の建物を私用に改装出来る程の人物だったのか、余程の変わり者なのか、シイナ達は会ったことがないが、ありがたいことに家具等もすべてそのまま譲り受ける事ができた。

 当時、急な決定でここへ来ることになり、着の身着のまま状態に近かったのでとても助かったものだ。


 今やすっかりここが我が家となったキッチンで、エプロン姿のミクラスがてきぱきとサンドウィッチを作り上げていく。

 シイナとシェリアは、リビングのソファに向かい合わせで座り、窓から見える青い空を見ていた。


「それで、今は何を調べているんだ?」


 窓の外をゆったり流れる雲を眺めたまま、シイナが口を開いた。

 質問には答えずに、シェリアはシイナの横顔をじっと見つめた。やがて黒い瞳がこちらを向く。


「どうした? どうせあいつに言われてここへ来たんだろう?」


 シェリア・リオネスという人物は、その名と容姿をあまり使わない。

 「使わない」という言葉がしっくりとくる。

 代わりに様々な容姿と偽名を使い、性格を演じ分ける。それが、彼女の仕事に必要だからだ。


 彼女は仕事で様々な人に会い、時にその現場へ入り込み、情報を手に入れ持ち帰る。

 国にとって有益、不利益になる情報を、あるいは国内に不穏な動きがないかを探るために、様々な事件を調べたりする。


 シェリア・リオネスは国の軍内にある情報部の諜報員である。


 情報部の存在だけは知っていても、そのメンバーを知るのはごく限られた者だけだ。それは軍の最高司令官である国王、軍上層部の数人、そして王の側近である近衛兵だ。


 今回シェリアは、ある人物の指令を受けシイナ達の元を訪れた。


「近頃、国内である事件が多発しているのをご存知ですか?」


 シェリアは姿勢を正すと、重たい口を開いた。

 できれば、この人に知らせたくはなかった――そう思いながら。


「それって、孤児失踪事件のこと?」


 ソファの間にあるガラステーブルの上に、サンドウィッチの皿を置きながらミクラスが会話に加わる。ハムサンドやたまごたっぷりサンドに野菜サンド、とバリエーション豊かなサンドウィッチが並ぶ。ハチミツとりんごベースの野菜ジュースも並び、ヘルシーな食卓となった。


「ええ、何年か前から子供が行方不明になる事件はあったのだけど、ここ二年くらいかしら、極端に件

数が増えているわ」


「確かに、最近よく聞くなぁ」

「そうね、先月は三人」


 いなくなるのは年端もいかない子供ばかり。

 それも――


「孤児ばかりか」


 胸くそ悪いという顔でシイナが言うと、シェリアが頷く。


「孤児院の子供達、あるいはスラム街で暮らす子達なので、届けのない分もあるかと――」

「実際はもっと件数があるということか」


 はい……とシェリアが目を伏せた。


「自分の意思でいなくなった可能性は?」


 ミクラスの問いに、それはないとシェリアが答える。


「件数が多すぎるわ。誰かの手引きがないと――」


 シェリアはこれまでに調べた情報を二人に説明する。


 まず子供達がいなくなった場所や地域はバラバラであること。

 国内のみで、近隣諸国には同様の事件はない。

 年齢は五歳から一三歳の男児、および女児。孤児院あるいはスラム街で暮らす孤児である。

 いなくなった時の状況は、施設内の庭で遊んでいる時や買い物に出た時、スラム街の子達は仕事をしている場合がほとんどなので仕事中など、外にいる時にいなくなるようだ。


「いなくなった子供達は今も見つからないままですが、三ヶ月前に一人見つかったんです」


 二年前に、王都に近い町にある孤児院からいなくなった、当時六歳の男の子だという。


「北西部にあるユリシという町で見つかったのですが――」

「良かったじゃない?」

「そうね――そうなのだけど、普通じゃないのよ」


 シイナとミクラスは顔を見合わせた。


「言葉を発することが出来なくて、行動も動物的になっている。人の姿、特に白い服を着た男性に極端に恐怖を抱くようで、手が付けられなくなる」


 シェリアの言葉でシイナはある考えに至り、顔をしかめた。

「監禁……もしかしたら、何かしらの実験をされた可能性があるな」


 シェリアが静かに頷く。

 だとしたら益々気分が悪い。

 シイナもミクラスも、複雑な表情で重く口を閉ざした。


 沈黙の後、シイナは深くソファに座り直し唐突に「で?」と短く発した。

 思いもしない言葉に、シェリアは「へ?」と間の抜けた返答をした。

 斜め向かいに座っていたミクラスが、テーブルの下のシェリアの足を小突くと、俯きながらもシェリアが睨みをきかせてくる。


「その事件が、俺に何か関係があるんじゃないか?」まっすぐに目の前の人物を見据える。

「さっきから何を遠慮しているのか知らないが、はっきりと言っていい」


 一瞬シェリアは驚いた顔をしたが、すぐに元に戻り息を吐いた。


「あなたには敵いませんね」


 できれば、この人には伝えずにいたいという思いから、回りくどい話し方をしていた事を見透かされている。ここに来た時点で、腹を括らなくてはいけないというのに。


「では」


 覚悟を決めた赤い瞳に力が入る。


「単刀直入に申し上げます。この事件にはロイス姉弟が関わっている可能性があります」


 その名前を耳にすると、普段あまり表情の変わらないシイナの顔に、明らかに戸惑いと驚きの色が見て取れた。それはミクラスも同じで、小さな声で「なんだって?」と呟く声がした。


「生きて――いるのか?」


 沈黙の後、少し掠れた声でシイナが言った。


「まだ確認は取れていませんが、弟のアスティ・ロイスの方は確実に生きています。そして、彼こそが今回の事件の首謀者の一人ではないかと」


 男児が保護されたユリシには、とある施設がある。

 表向きには大手製薬会社の研究施設となっているが、裏で違法な研究や人体実験を行っているのではないか、という噂が数年前から囁かれていた。

 彼等が発表する論文や研究データには、違法とされている人体実験をしたとしか思えない内容のものが含まれていたからだ。しかし動物実験であるという主張と、国の捜査が入った際も特別違法なものは見つからず、今も研究を続けている。


 しかし男児が見つかった場所が、研究施設のあるユリシだったこと、そして、男児の様子から何らかの実験をされた可能性があるということが、再び施設へ疑惑の目を向ける事になった。


「ユリシでしばらく調査と聞き込みをしていたのですが、施設近辺を調査中に、一瞬でしたがアスティ・ロイスの姿を確認しました」


 そして自分の中の情報が一つに繋がったのだと。


「ロイス姉弟が姿を消したのが三年前。孤児失踪事件が頻繁に起こるようになったのが二年前。アスティ・ロイスが例の施設に関係しているとなると――」


 言葉を切り、シェリアはソファに浅く座り直した。




「天使は存在すると思われますか?」




 突然何を言い出すのかと、ミクラスがシェリアの顔をまじまじと見つめるが、本人は真剣な顔のままシイナを見据えていたので、黙って次の言葉を待つことにした。


「質問の意図が分からないが、伝説や伝承の中の存在だと認識している」


 もっともな答えに、シェリアはそうですねと相槌をうつ。


「私もそう思います。しかし彼等は……アスティ・ロイスは天使を作りだそうとしているのかもしれません」


 施設近辺での聞き込み中に、天使について聞かれた事があるという人間が複数人いたのだ。不思議に思い、シェリアは天使について調べたという。


 文献などはやはり、物語や宗教的な記述のみだったが、小さな村などに口伝で伝わる伝承の中に天使がいた。


「しかし、それも伝承だろう?」

「ええ、しかし彼等は羽根が生えているわけでも、天からの使いでもなく、ただの人間なんです」

「人間?」

「一瞬で傷を癒やし、再生させる力を持つ、ただの人間です」

「……その時点で、ただの人間ではないがな」


 普通に生まれた人が、ある日力を発現させ、そして人生を終えていく。

 ただ、彼等は普通の人より短命だという。


「私は、超能力の一種ではないかと考えています」

「超能力自体が本当にあるかどうか怪しいところだけど」


 ミクラスが言うと、シェリアはそうねと言って黙りこんでしまった。


「だが、現に奴らは、その超能力者を作りだそうとしているんだろう?」


 だからより可能性の高い子供を狙うのだろう。

 ふと、ある考えに至り、ミクラスは恐る恐るシェリアに話しかける。


「ねえ、シェリア。アスティは天使を作り出してどうするんだろう。まさかさ、その――」


「リリー・ロイスの回復の為、か」


 言い淀むミクラスに代わり、シイナがその名を口にした。


「生きているのか……」


 最初にロイス姉弟の名を聞いた時と同じ言葉を繰り返す。

 前屈みで、俯き気味のその表情は、ミクラスの位置から確認する事は出来なかった。


「……断定はできませんが、アスティ・ロイスは姉であるリリー・ロイスの為にこの事件を起こしている可能性が高いです。

 シイナさん、貴方の婚約者であり、三年前に脳死状態で姿を消したリリーさんの回復の為に――」


 リリー・ロイスは、三年前に頭に銃撃を受け脳死状態となり、病院から忽然と姿を消した。弟のアスティ・ロイスと共に。


 リリー・ロイスはシイナ・セルスの婚約者だった。

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