第19話 アリアドネの弦

 神妙な言い回しをするモルタに、クロトは緊張し、心して聞くことにした。


 彼女は、春の吐息を漏らすように口を開く。


「26次元とされた現世は、11次元であることが解っておる」


 ……………………は?


 目が点になった、クロトを差し置いて、モルタは話を進めた。


「この世、すなわち3次元において、点を細断していくとヒモになるとされ、それは3つの弦理論、それぞれタイプI、IIA、IIBと2つのヘテロティック弦の計5つを提唱しておる。これらを統合させた物がM理論だ。この理論はDブレーンを介する余剰次元と繋がっており、全てのn次元はドーナツ型に折りたたまれたカラビ・ヤウ多様体に閉じられ――――」


 クロトは先を薦めるモルタを慌てて止める。


「ま、待って!? なに一つ解らない」


 話を遮られた黒髪の彼女は、眉を吊り上げ返す。


「何じゃ? 今の時代に生きる若者は、人の話を聞くのが下手じゃのう?」


「今の時代でも君の話は難しいんだよ! もっと簡単に、え~と……犬とか猫でも解るように」


 彼女は面倒くさいと言わんばかりに、困ったような表情を作る。


 その後、手をクロトの方へと伸ばした。

 細く透き通る乳白色の肌を間近で見ると、クロトの心臓が脈打つ。


 モルタはクロトの肩に手を乗せると、彼を乱暴に退けた。


「な、何だよ!?」少年は瞬間のときめきを、返せと言わんばかりに文句を付けるが、モルタはそれを無視した。


 彼女はブロトケラトプスの石像の前に来る。


 月光により照らされた、黒真珠のような髪が風でなびくと、次第に自ら輝き始め青く光る。


 青く煌々と放つ髪の中程に、単線で描かれた地平線が現れた。


 モルタが恐竜の石像に両手をかざすと、手の動きに合わせて、石像は粘土のように柔らかくなり、歪む。

 伸び縮し、うねった後、目の高さまで宙に浮き、満月の光を覆う程の大きな黒い球体になると、表面に赤いヒビはが入る。

 

 そして、白いミストに覆われ、青く変色。

 茶色いシミが部分的浮かぶと、それは、地球の形だというのがわかった。


 青い星を模した球体は、ゆっくりと、目の高さまで降りてくる。


 すると、球体の上半分が消え、中を露呈し宙に浮く島へ変わった。

 象牙のような山々が伸び、森や草原が青蒼と生い茂る。

 山のふもとから河が流れ、海へ繋がり、海の端は崖。


 浮遊する島は、中世のヨーロッパ人が信じてた大陸の端から海が滝のように流れ落ちた。


 クロトは無邪気に驚く。


「すげぇ! ジオラマみたいだ」

 

 感心を持った少年は、モルタの向かいに回り、間近で見る。


 魔法のような神秘の力で作られた、精巧なジオラマを隅々まで見ようと、目を凝らす。


 すると、森からもぞもぞと動く粒が集団で蠢いていた。

 それは、とても小さなトカゲの群れに見える。

 首の長いトカゲが、何なのか気が付くと、クロトの胸が踊った。


「恐竜だ!」


 森から首長竜や翼竜、鎧竜が自由気ままに草原を闊歩していた。


 そして、耳鳴りと疑ってしまうくらいの遠吠えが聞こえると、森から二足歩行のミニチュア恐竜が、忙しく頭を振って現れる。


「Tレックス? これ、生きてるの?」


「まがい物じゃ。傀儡くぐつで操り、生きておるように見せておる」


 Tレックスは四足の小柄な恐竜に食らいつく。


 生命の営みを、神の目線で楽しんでいると、モルタは手を広げた。

 浮遊する島から無数の線が、四方八方に伸びる。

 

 伸びた線の先は空間が歪み、見えない壁が波紋を作っているかのように見えた。


 青く光る髪がモルタの表情を照らす。

 彼女は蝋人形のような顔で解説を始めた。


「人の世は、複数の異次元が結び付いて支えている。その結び付きが、この弦じゃ。弦により世界の形は保たれている」


「弦?」


 クロトは生きてきた時代が違う、少女の言葉と、同期する現代のワードを思案する。


「弦…………線……パース? パースの線のこと?」


「そうか、時代が違えば言葉も変容する。今の世ではパース、あるいわ線と呼ぶのじゃな」


 モルタは考え深く言う。


 彼女は島から伸びる、線に触れて弾く。

 不可思議な線は振動し、ハープのような美しい音色を夜の公園に響かせた。


 次に波紋まで伸びた線が、釣るように別の浮遊する島を引き出す。

 波紋から次々現れる浮遊島は、クロトとモルタを囲んだ。


 青髪の少女は話を続ける。


「主の世界は、別次元が放つパースで釣られた状態じゃ。そびえる山も、凛と立つ木々や花も……生命すらも、全てパースの線で釣られることで、形を保っておる」


 クロトは顔をすぼめて返す。


「いきなりそんなこと言われても、すぐに信じられないよ。パースが世界を釣ってるとか?」


しかり。じゃが、人の身体が何で結び付いておるか、主は説明出来るかの?」


 クロトは目が点になり、言葉に詰まる。

 モルタは続ける。


「現世の者が理解できんのも仕方ないことじゃ。この世では、弦は輪っかとなり閉じられ、原子という小さな器に収まっておる。主ら人は、この弦の存在を知っても、弦の使い方を知らぬ」


 どこかで似た話しを聞いた。

 

 クロトの記憶がフラッシュバックする。


 "人間は物理法則の原理は知っていても、物理法則の根底を知らない。重力を利用しているだけなのに操っていると勘違いしている"


 そうだ、赤い髪のディキマも同じことを言ってたな。


 蒼天のような髪を持つモルタは、冷たく言い放ち、ミニチュアの山や木を釣るパースの線を手刀で真横に切った。


「弦が切れてしまえば、形は保てず、存在が崩壊する。線は生きとし生ける者、全ての運命を縛っておる。この運命から逃れられん」


 線を切られた山や木は、表面が熱で溶けるチーズのように崩れて行く。

 その溶けた山や木に、小さな恐竜達は飲み込まれ、次第にヘドロのような沼と同化する。

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