76

 夜の11時。

 空と陸、白い猫はリビングにいた。クニツルはずっと空の部屋にこもったまま。


 陸は喋る猫を見て少し驚いたが、クニツルで耐性ができていたためすぐに馴染んだ。


 そして今、空と陸は猫の名前について口論していた。


「カネシロ!! 絶対カネシロ!!」

「猫の名前っぽくないだろ! もっといい名前があるんじゃないか? シロとかタマとかさ」


 陸は猫を膝の上で撫でながら頬を膨らます。

 猫は二人の口論に口を挟んだりしない。ただ陸に身を任せて目を閉じている。


「それは普通過ぎてだめ! 金色の目で白い毛が生えてんだからカネシロなの!!」

「カネシロって苗字みたいじゃないか……。クニツルといいカネシロといい、人っぽ過ぎないか??」


「いいの!! 個性なの!!」


 空はもうカネシロでいいと思っている。

 陸がこうなってしまった以上、覆すのは困難である。


「わかった。カネシロだな。猫さんもそれでいいか??」


 猫はうっすらと目を開けてあくびをした。


「はい。構いませんよ。ボクは名前をつけてもらえるだけで嬉しいです」


 陸は空を見てドヤ顔をした。


「決まりね!!」


 こうして猫の名前はカネシロとなった。


 二人は寝る支度をして、それぞれの部屋へ。

 クニツルはカネシロと同じ部屋にいたくないと言い、リビングに降りた。


 空はベッドに入る。

 カネシロは枕元で体を丸める。


「空坊さん。夢の中で姉さんに会っているんですよね?」

「うん。子どもみたいな見た目だったな」


「そうですか。なら先に言っておきます。ボクと姉さんは双子です。これから夢の中で会っても間違えないでくださいね」

「双子なのか……。でも、たぶん大丈夫だ。クニツルはレイヤーだからな。見間違えないと思う」


「れいやー??」

「気にするな。それじゃ電気消すぞ」


「はい」


 空は電気を消して目を閉じた。


****


 赤土の荒野。転がっている岩。真っ赤な上空。


 空は気がつくとあの悪夢の世界にいた。

 目の前にはサキュバスの屍骸があるクレーター。クニツルがサキュバスを殴り飛ばした際にできたクレーターである。


「さすが姉さんですね」


 空のすぐ横には子どもが立っていた。

 明るいオリーブ色の真っすぐな髪で地面につくほどの長さ。白い布を頭からかぶったような服。

 空はすぐにカネシロだと分かった。

 顔もクニツルと瓜二つである。クニツルは目が少しキツいが、カネシロは優しさを感じさせる垂れ目。 


 そして、クニツルにはなかったものがカネシロにはあった。


「それって……翼!?」


 カネシロの背中には大きな翼が生えていた。

 真っ白な一対の翼。それはまるで天使を思わせるような翼。


 カネシロは自分の背中を見ながら翼をふわりと動かした。


「はい。翼です」

「すごいな……。でもクニツルには生えてなかったと思うけど」


 カネシロは下を向く。


「姉さんは翼を折られましたから……。この話はやめましょう。ボクは早速サキュバスの処理にあたります。空坊さんは適当に遊んでいてください」

「…………」


 空はその場に腰を下ろした。

 遊べと言われてもなにをして遊べというのか。そう思いながらカネシロを観察することにした。 


 カネシロはてくてくと歩き、クレーターをのぞき込む。


「うわ!? なにこのサキュバス!?」


 カネシロは空を見る。

 半眼で変態を見る目である。


「空坊さんってそういう趣味ですか……。これは女性とは言えない姿ですね……」


 空はクニツルが言っていたことを思い出す。

 サキュバスはその人の女性像の姿になる。と。


「なんか誤解しているみたいだけど違うぞ。俺は昔いじめられてたんだよ。それで女の人を信じることができなくなっていったんだ。……俺の中での女って存在がそれなんだよ」

「……そうでしたか。それにしてもこんなサキュバスは初めて見ました。なんとおぞましい」


 カネシロは自らの服をたくし上げて手を入れる。

 すると、棒のようなものがスルスルと出てきた。

 服のどの部分に収納されていたのかを疑う長さで、カネシロの身長を優に超える長さ。

 その棒は金色で先端がT字状になっている。そして、その両側から鎖が垂れており、二枚の皿がぶら下がっている。

 その形はまさに天秤。


「えいっ!!」


 カネシロはその棒をサキュバスに突き立てた。肉を貫通する生々しい音が荒野に響く。

 そして、空には理解できない言葉を発していく。


 すると天秤が大きく揺れて片方の皿が下がる。

 まばゆい光がサキュバスから放たれ、手先や足先の方から少しずつ塵となっていく。


 数分でクレーターの中心は天秤の棒だけとなった。


 カネシロは小さく一息吐き、棒を抜く。

 服をたくし上げてスルスルと中にしまう。


「完了っと」


 空はカネシロに問う。


「その服の中どうなってるんだ? 四次元なの?」

「ヒミツです。とりあえずサキュバスの処理は完了しました。これで女性に対する感情は元に戻るでしょう」


「あ、ありがとう」

「後は記憶ですね」


「記憶はどうやって戻すんだ?」


 空はサキュバスの処理を見ていて恐怖を感じていた。荒々しいことをされるのではないかと。


「それはですね。夢で記憶を見せるんです。記憶を消されたといっても完全になくなっているわけではありません。今ちょうど夢の中ですし、やってみるのが早いですね」

「え?」


 カネシロは翼を使ってふわりと高く跳躍し、空の前に着地した。


「手が届かないです。屈んでもらえますか?」

「う、うん」


 空は言われた通りに屈む。

 カネシロは小さな手を空の額につけた。


 すると、荒野の景色が目まぐるしく変わっていく。

 空の部屋だったり、学校の中だったり。家の前。公園。ピッピ―マート。通学路。近所の道。河川敷。

 今までに空が見たことのある風景が嵐のように流れていく。


 そしてそれは止まった。

 A組の教室。

 空は席に座っている。しかし、窓側の席ではない。入学当初の出席番号順の席。


 空はもしやと思い横を向いた。


 そこには川谷花菜の姿があった。


 川谷は机に座りなにかを書いている。

 そのとき川谷の机から消しゴムがポロリと落ちた。


 空はやっぱりと。そう思った。


「どうですか? 記憶になかったはずなのに覚えているでしょう?」


 空の前にはカネシロが立っていた。


 不思議な感覚であった。

 意識はカネシロに向いているのに、体が消しゴムを拾おうとしているからである。


 カネシロはまた空の額に触れた。


 記憶の景色がまた流れていく。


 次に止まったのは図書室。

 川谷はボールペンをカチカチと何度も鳴らしている。


 空は夢だと分かっているのにイライラしていた。

 川谷が図書委員の仕事が全然できていなかったこと。

 ボールペンに『カチカチ禁止』と書いたこと。


 カネシロはまた触れる。


 景色はピッピ―マートの横に変わる。自販機の陰。


 目の前には川谷の顔。

 川谷の白い肌。小さくも艶やかな唇。くっきりとした二重。大きな瞳。整えられた眉。顎元になびく黒い髪。


 空は夢の中で顔に熱を感じた。


 カネシロは空に聞こえない大きさの声でつぶやいた。


「なるほど。これが空坊さんの中から川谷という人の記憶が消えていた原因ですか。……恐怖。女性に対する感情を抑え込まれた際に、この恐怖・・・・から逃れることができるという安心感によって自ら封印してしまっていたのですね」


 カネシロは空に触れた。


 景色は真っ暗になる。

 なにもない空間に空とカネシロが浮いている。


「ここは?」

「ここも夢ですよ」 


「これも記憶を戻すための夢??」

「違います。これはボクが作った夢です。空坊さん。あなたはサキュバスのせいで記憶をなくしていたわけではないです」


「――どういうことだ!?」

「これ以上は言えません。でも一つだけ。誰にでも初めてというのはあります。それには恐怖が付きまとうこともあります。恐れたことが正解のときもあれば、立ち向かうことが正解のときもあります。でも……後悔しない道を進んでください」


「なんのことだ?」

「本当は自分で分かっているのではないですか?」


「…………」


 空は言い返さなかった。

 消しゴムの記憶を見たときに、川谷との今までのことを全て思い出していたからだ。


「ボクの出番はこれにて終了ですね」


 空の視界が歪み始める。

 そして、だんだんと明るみが増していく。

 手や足にしっかりとした感覚が戻ってくる。

 布団に触れている感覚。首元の枕の感覚。寝巻がよじれて脇を締めている感覚。


 空は目を開けた。

 裸眼で歪んでいるが、見慣れた景色。

 朝の光が差し込んでいる自室の天井。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る