第10話「姉妹」
日付が変わって、午前零時半。
三人の少女たちは、
男たちは、以前と同様に、この部屋の中だけ時間の流れを遅らせているのだという。
「——ああ? ってことは、あの仏さんたち——」
「左様でございます」
「あれらは浄土真宗開祖
「
「人々に拝まれ続けた挙句」
「肉を喰いたい甦りたいという欲すら
「暗がりにて暴れ回り人を驚かす以外にはとくに何を仕出かす訳でもございません」
「この
「今となってはもはや神仏と呼び遣わしても差し支えの無い存在でございます」
「誠に失礼ながら」
「そのような存在に対しエトピリカとして経験の浅い皆様が『楽に勝つ』というのは」
「あるべくも無いことでございまして」
「なに?」
景が阿吽を睨みつけた。
「あんたら、どうせ勝てんと踏んだ相手に、あたしら素人をぶつけたんかよ!?」
立ち上がり、宙に浮いた吽形を捕まえる。
「勝てんってことは、死ぬかも知れんってことだろうが! あたしらは使い捨てかよ!? 生き残ったら使える、死んだら使えなかった——って、それだけのことかいッ! ええ!?」
憤りのあまり、吽形をつかんだ握り拳を振り回して、阿形をぶん殴ろうとする。
阿形は景の大振りフックをひらりと躱し、静かに畳に降り立った。
「夏海さん。どうか落ち着いて」
蕃茄が慌てて景に駆け寄る。
「景様」
蕃茄に羽交い締めにされて鼻息を荒げる景の顔を見上げ、阿形は続けた。
「先程のイオマンテはあくまでも研修でございまして」
「あの尸澱らも皆様を本気で殺めようなどは考えておりません」
「またも言葉は悪いのですが」
「
「たかだか人の小娘などを死なせて幾人かの肉を喰らったからといって」
「甦る為の腹の足しになるわけでもございません」
「戯れにこちらから突ついて起こし」
「目を覚ました“
「その程度のつもりでございました」
「それを」
ふと、阿吽らは言い難げに口を閉じた。
「——私たちが。本気にさせてしまった。と」
蕃茄が代わりに口を開いた。
「はい」
阿吽が揃って頭を下げた。
「空子様をはじめ皆様の背に
「
「皆様を脅威と感じたのでございましょう」
「そっか! 私らが、強すぎたってことだね!」
萵苣が腰に手を当ててふんぞり帰る。
「左様でございますね」
「結果から申せば」
「それは 確かに仰有るとおりでございます」
「
「腕の一本
「いとも簡単に倒してしまわれました」
「何百年の時を永らえた
「それほど皆様の光翼は力強いものであると云えましょう」
そこまで喋った阿吽が、再び押し黙った。
「……それで」
代わりのように景が口を開き、低い声を出す。
「そのコウヨクってのは、あたしらにどうやって生えるんだよ。で、それが生えてるときのあたしらは、具体的にどうなってる? クウコが切っ掛けになってるのは、なんとなく分かってんだが」
阿形が目をきつく閉じ、大きく開いた。
吽形は息を吸い、深く短く吐き出した。
「それにはまず」
「エトピリカの何たるかからお話しせねばなりません」
「へっ」
景は唇を捻じ曲げただけの薄笑いで、クッションの上に尻を下ろし胡座をかく。
阿形が宙に浮かび上がり、指で大きく枠を描く。その軌跡は実体となり、リビング用テレビのような画面となる。
画面内には、
阿吽は揃って腕を後ろで組み、見慣れた説明の態勢に入った。
「——ご存知の通りエトピリカは
「知ってるよ。あたしん家に集まったとき、教育ビデオ見せられたからな」
「はい」
「胎内にて
「
「それを外へ向かう力すなわち
「それがエトピリカでございます」
「……」
景はどこか何かを訝しむように、眉根を寄せて聞き入っている。
「根之國に於きまして初めにエトピリカというものが生み出されたとき」
「それはもう強く荒く大きな力を持ち」
「苦もなく
「片腕ひとふりで山ひとつを消し砕き」
「もう片腕のひとふりで
「誇張無しにも
「それが原初のエトピリカでございました」
「現代からすれば昔々のことでございます」
画面内では、装束を纏った女性が顔の無い人形たちを相手取り、大立ち回りを演じて見せている。
「しかしそれゆえ」
「健康であったはずの
「
「フィードバック?」
「自ら
「行き場を
「現代で云うホルモン異常や排卵不全等々」
「『女性機能』を
「また戦闘後に多量の排血が見られることも
「力を使いすぎた女性や」
「また精神的に戦闘行為に耐えられなくなった女性の中には」
「子を産めない身体にさえなってしまう方もいらっしゃいました」
「かつて子を成せない女が家から社会からどのような目で見られたか」
「我々が説明せずともなんとなくはお分かりでしょう」
「ゆえに根之國ではエトピリカのシステムを見直し改良を重ね」
「現在皆様が変身なさる姿に落ち着きました」
「これにより肉体への負担や副作用はほぼ無くなっております」
「……ふーん」
景は自ら変身を遂げた際の、
それはテンションの高揚であり、全身筋肉の武者震いであり、抗えぬ破壊衝動であった。苛立ちや憎しみなどといった感情とはまた別の、もっと単純でプリミティヴな——喩えるならば、ザクザクした食べ物を噛みしめたい、痒い処を掻きむしりたい、といった欲求に近かった。
——あれでも、まだ改良版だと云う。
原初の無改良版エトピリカ、という未知の存在に思いを馳せて、景は少しぞっとした。
「改良って。具体的には。何をどうしたの」
蕃茄に覗き込まれ、阿吽は揃って座卓の上に降り立った。
「一言で申し上げるなら」
「出力を抑えただけでございます」
「有り余る力の噴出を制し」
「女性の身体にかかる負荷を軽減したもの」
「現行のエトピリカであれば」
「健康被害等も
「ふん。その代わり、そこまで強くもありません、てか」
「はい」
「景様の仰有るとおりでございます」
どうにも、感心できた話ではなかった。
しかもそのやり方は、人ならざる力を得て襲いかかってくる者と相対して、当人が“変身”しなければどうにもならなくなった状況下での現地調達である。
「あっ!」
苦虫をまとめて五匹ほど噛み潰したような仏頂面を隠す気のない景の横で、萵苣が勢いよく挙手をする。
「私、ひとつ訊きたいんだけど!」
「はい萵苣様」
「どうぞ仰有ってくださいませ」
「その、初めのエトピリカって! もしかして背中に!」
「お気付きになりましたか」
「左様でございます」
阿吽が揃って目を閉じた。
景も二人のその顔を見て、はたと気付いた。
「そうか、クウコと同じ……?」
「はい」
「かつてのエトピリカ」
「その背には」
「光翼があった」
「そう聞き及んでおります」
「……」
景は天井を仰ぎ、ふうっ——と長い息を吐いた。そしてしばらく、誰もが口を開かなかった。
手をつけられずに座卓に置かれていた麦茶のグラスの中で、氷がからりと音を立てる。
景はそのグラスを引っ掴むと、残っていた麦茶を一息に飲み干し、氷をぼりぼりと噛み砕いた。
「——今んとこ、クウコがなろうって思えば、
「はい」
「あたしらにも、生やそうと思えば、生やせるみたいだよな?」
「左様でございますね」
「改良したってのは、力を抑えただけだ、
「仰有るとおりでございます」
「なら、健康被害が出るっつう、根本が解決されたわけじゃねえよなあ?」
短い沈黙を挟んで、阿吽は「はい」と頷いた。
「あたしな、さっき急にアレ来たんだけど。わかるか?」
「……」
「……はい」
「めっっちゃ量多かったんだわ。今までになく」
「……」
「……左様でございますか」
「さっきの『研修』が、ひょっとして影響してたりするんかなーって、思ったりさ」
「……」
「……」
蕃茄が黙ったまま、敷いていた座布団を景に差し出した。
「ん。あんがと」
景はそれを折り畳んで腰の下に敷き、反り返るように仰向けの態勢を取る。
「あんたら仏さんらは、男だし、そういうの分からんと思うけどさぁ」
「恐れ入ります」
「御婦人方のお辛さに理解が及ばず」
「誠にお恥ずかしく思います」
景は再び長く息を吐き出した。
「まったく……あんたら根之國さんは、婦人科の医者でも抱えてた方がいいんじゃねえんか」
「……はい」
「諸般の事情を鑑み善処いたします」
「反省すべき点は反省し」
「前向きに検討いたします故」
「何卒ご理解をいただきたく」
景は阿吽の答弁を無視し、蓬莱姉妹に向き直る。
「あんたらは、平気か?」
「えっ! うん!」
暇そうにしていた萵苣が、急に話を振られて、跳ね上がるように返事をした。
「あたしたちはね!」
「姉さま」
蕃茄が姉の言葉を遮って口を開く。
「——阿吽さん。私達のことは」
「左様でございますね」
「お二人につきましては」
「この場のみ景様のみに
「我々よりお話し申し上げましょう」
阿吽が揃って座卓に降り立った。
「景様」
「な、なんだよ急に、マジな顔して」
唯でさえ真面目くさった面構えの仏像コンビであったが、いつにも増して恐ろしげな顔をしている。
腰痛を口実に取り、寝転がって話を聞いていた景は、のそのそと起き上がり、少しだけ居住まいを正すことになった。
「エトピリカヒストリーに続いて、ひらひら姉妹の過去話ってかい?」
「はい」
「これよりのお話には、少なからず驚かれる内容が含まれるかも知れません」
「景様に於かれましては
「なんだそりゃ……あたしは、これまでも散々ビックリ体験をさせられてんだ。これ以上驚くことなんて無ぇよ。話せよ」
蓬莱姉妹も、揃って頷いている。
いつも表情を変えない蕃茄は兎も角、いつもけらけらと陽気なはずの萵苣までもが口をへの字にして畏まっている。どうやら只事でない話らしい——と景は身構えた。
「本当のことを申し上げますと」
「萵苣様蕃茄様のお二人は」
「
「人形なのでございます」
「……あ?」
何度も高速で瞬きをして、理解しようと努めたが、景の脳味噌には内容が浸透してこなかった。
「……にんぎょう? ってあの、
「はい」
「左様でございます」
「は? ……は? なんだそりゃ……」
姉妹の方を見ると、二人とも顔を俯かせて座っている。景の目をまともに見られない——といった様子であった。萵苣などは両目をぎゅっと閉じて、肩を震わせていた。
「いや、は? 何言ってんだよ。だってこいつら、動いて喋ってんじゃねえかよ……」
俄かすぎる話に、景の口からはまともな言葉が出てこない。
「左様でございますね」
「それにつきましては」
「
景は腕を組んで、なんとか話を呑み込もうと必死に頭を働かせる。
「……つまりあれか、二人とも人間じゃなしに、機械だかなんだかの造りモンで、えーと、死んだもんの霊を取り憑かせてある——ってかい」
「はい」
「仰有るとおりでござ——」
「そんな話が、あるかよッ!」
景は、平手で
「そんな話、あたしに聞かされてもなあ……受け容れろっ
景は指で目頭を押さえて、俯いた。傍に居るものからは、まるで泣くのを堪えているかのように見える姿勢であった。
「あたしらを助けて、一緒に闘ってくれた子らが、——あんたら根之國の、操り人形だったんかい」
饒舌なはずの阿吽は、景の様子に圧倒されたものか、言葉を続けることができない。
「霊珠をインストールだ? 相変わらず、簡単に言いやがるぜ……死んだ人間をなんだと思ってんだ」
顔を上げぬままで、景は続ける。
「安らかに眠るのが、冥福ってやつなんじゃねえんか? その造りモンの人形に入れられてンのが誰の魂だか知らんがな、まるで墓を掘り起こして、好き勝手使うような真似はやめたれよ。あんたらは、ハイチの
「夏海さん」
黙って座っていた蕃茄が、衣擦れの音もなく立ち上がった。
「姉さまも。立って」
白いドレスを着込んだ姉に手を差し伸べて、同様に立たせる。
姉が立ったのを確認して、蕃茄は雪のように白いドレスの前を開いた。
「わわ! 蕃茄、何してんの!」
慌てる姉を尻目に、蕃茄は萵苣のドレスの上半身をすっかり脱がせてしまう。続いて自分でも、着込んでいた墨黒のドレスを脱いで、足元に落としてしまった。
「見て。夏海さん」
「お、おおあっ!? おまっ、お前、それ——」
景は姉妹の
「見ての通り。私達姉妹は。
首から下、腕と脚以外の部分——つまり服で隠れる部分には全て、
萵苣は恥ずかしいのか、目を強く閉じたまま両腕を前方で交差させて、自分の——そこには何も無いはずの——身体を必死に隠そうとしていた。
いや、実際に恥ずかしいのだ——と景は思う。生者と違って、服の下では、
「見えない部分には。死んだ私達の霊珠が抽出されて。インストールされている。デジタル化されたデータだから。目には見えない。この手脚は。根之國の人達が。生前の私達のものを。特別に付けてくれたの」
「いやいや、お前ら、だって……前にあたしんちで脱いだときは、その、普通にハダカ」
景はしどろもどろになりながらも、疑問を口にする。訊きたいことが多すぎて、纏まりがつかなかった。
「それにつきましては」
「景様をはじめお三人様に対し」
「我々が修正をかけてお見せいたしただけのことでございます」
阿吽が割り込んできて、淡々と説明を始めた。
景は呆れ返った顔で、本日何度目になるか分からぬ溜息を吐き出す。
「あんたらってのはほんと、お膳立てが好きなんだなあ。……恐れ入るぜ、ほんとに」
それから景は、姉妹と雑談に興じた。姉妹の秘密を知ったからといって、態度や付き合い方がとくに変わるわけでもない。夏休みの中学生らしく、夜会の話題が尽きることはなかった。
それでもやはり、
「生きた女の子たちに負担を掛けないように、私らみたいなのを根之國で造ることになったんだよ!」
「
「そう! 最近になって、ようやく技術が追いついたみたい!」
「私達は。自分から是非やらせてくれと。頼み込んだ」
「生きてる人の肉体よりもいくらかは丈夫だしね! 完全に壊されなかったら、すぐに回収されて、修復できるんだってさ!」
「それにしたってなあ。もっとこう、オリンピアのマッチョメーン! ハラショー! みたいな
「それにつきましては」
「あー、分かってるよ。女しかダメだっ
四角四面な解説を差し挟もうとして飛来しかけた阿吽らを小蝿の如く追い払って、景は姉妹に向き直る。
「お前ら、……姉妹揃って、その、殺されちゃったんだろ。親とかに、生き返ったのを見せに行ったんか?」
「そういえば! 会ってないね!」
「会わなかった」
あっけらかんも極まれりといった様子で答える萵苣たちを、景は呆れながら見つめる。
「そ、そういえば——って、お前ら、それで良いんかよ」
「私たちは。決して生き返った訳ではないの。造り物の身体を与えられて。喋って動いているだけ。見た目はそっくりに造ってはあるけれど。生きていた頃の私達とは異なる姿なんて。両親に見せたくはないから」
「ああ……それは、そうか」
「それに」
「あ?」
「……」
元々すらすらと喋ることをしない蕃茄が、明らかに言い淀む。
「それに——なんだよ」
「仮の肉体を得て
「
自虐も過ぎるぞ——と景は思った。いくらなんでも、自分勝手に生き返りたがって殺戮を繰り返す死人に、己を
「そっか! ありがとう! じゃあ今度、お母さんたちに会いに行ってくるよ!」
「夏海さん。ありがとう」
「いや、ちょっと待て待て。死んだ娘たちがいきなり顔見せに来たら、親御さんひっくり返っちゃうだろ。やり方を考えろ」
死んでしまったものと受け入れた子が、
「寝ているところを急に起こせば。寝惚けて見た夢だと思ってくれるかも知れない」
「あっ! そうだね! 夢枕に立つくらいにしとこうか!」
「……その言い方も、ちょっとどうかと思うけどなア」
景は部屋の上を浮遊する阿吽に向かって、手招きをする。
「あんたらさぁ。こういう話は、揃ったときにしてくれや。大事なことじゃねえんかよ」
「恐れ入ります」
「景様ならばご乱心にならずお受け入れいただけるものと信じてお話し致しました次第」
「
自分を、なんだと思っているのか。知り合って間もないとはいえ、共に闘ってくれる仲間が、人ではない造り物だなどと判明したのである。人並み外れて神経が図太いとでも思われているのだろうか——と、
「本日のお話でございますが」
「ここに居られない御二方」
「とくに
「……言えるかよ、こんなの。言いたくねえよ」
自分だって大きなショックを受けた話である。事実を知れば、琴律も空子も、取り乱すだけでは済まないかも知れない。
しかし、せっかく知り合って仲良くなった友人のことを、“生きているかどうか”で差別するのは人間として恥ずべきことなのではないだろうか——と、景は尋常の人間ではあり得ない内容で悩むこととなった。
景は大きく息を吐き出して、姉妹の顔を見比べるように眺めた。
姉の
(こいつらが生きているうちに出会って、友達になりたかったなあ……)
景は心の中でそう呟いた。
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