第4話「一年後」

長男 大地だいち 儀

不慮の輪禍により、さる十二日午後、享年六歳で短い生涯を終えました。

降ってわいた事故に、遺された家族とともに悲しみにくれている次第です。 

生前、大変かわいがっていただきましたことをお礼申し上げるとともに、取り急ぎお知らせいたします。

なにぶん幼い子どものことでもありますので、近親者のみにてささやかに密葬の儀を執り行わせていただきます。なにとぞご諒承くださいませ。

なお、まことに勝手ながら、ご供花ご供物の儀は固くご辞退申し上げます。


喪主 父 天美あまみ りく

   女    優海ゆみ

   女    空子そらこ

『神影中央新報二千××年七月二十日朝刊二十三面おくやみ欄より抜粋』

 天美大地あまみだいちの幼い死は、発見時の遺体の損壊が常軌を逸していたことや、直接の死因が不明であることなど、その事件の異常性により、警察には変質者の凶手による略取・殺害事件として扱われた。

 遺骸は警察関係者も目を覆わんばかりの状態で、現場付近に散乱した歯や衣服の欠片によって、行方不明の大地ではないかと辛うじて推測ができる程度だったようであり、遺族による確認もそこそこに荼毘に付されることとなった。

 地元紙は、共同墓地が一夜にして見る影も無いほど荒らされた事件こそこぞって書きたてたが、同じ場所で無惨にもバラバラにされた小学生の骸が発見されたことを取り扱うことはなかった。幼くして生命を絶たれた男児とその家族を慮ってのことであった。そしてそれは、新聞社に勤める父親から出された、交通事故で死亡した扱いにしてほしいという、っての願いでもあった。


 橋姫との死闘の最中さなか、エトピリカとなった三人は何度となく大地に対し「元に戻してやる」と叫んだ。が、阿吽あうんらから何らかの手段が講じられたわけでもなく、その場で口を突いて出ただけの、根拠なき言葉であったことを改めて認識させられる結果となった。

 テレビ番組のように、元凶である悪者を倒せば、怪物に変えられた者が勝手に元に戻る——などという幻想も打ち砕かれ、空子ら三人は悲歎に暮れた。

 事の真相を知ってはいても、それを警察や家族に話したとて一笑に伏されるばかりであり、次第によっては叱責や信用失墜を招くことにもなる。それを判断できぬ年齢の三人ではなかった。

 思い返せば、当日夕刻に帰宅した時点で、すでに大地は橋姫の鬼策にかかり、あのような凶獣に変えられてしまうよう仕組まれていたわけである。阿吽の説明によれば、黄泉國よもつくにの火で炊かれた食物——今回、大地がもらったのは金平糖こんぺいとうであった——をもらって食べてしまったことによって大地は操られ、姿まで変えられてしまったのだという。

 どういった仕組みなのかは見当もつかなかったが、それが解ったところで空子たちに手の打ち様があるわけではなかったし、罪も無い子供を勾引かどわかし死なせた幽霊の女に対する怒りは変わらなかった。

 阿吽の二人は、当夜の大地が連れ出された時点では、よもや“獅子口”に変えられてしまうことまでは予測がつかなかったのです——と申し開き、地に額を擦り付けて謝った。それほど、今回は特異な例ということでもあった。

 朝日が射して橋姫の身体を焼いてしまうまでに、その肉体を滅することができていれば或いは——という言葉も聞いたが、全ては後の祭りであった。

 阿吽の二人は、空子ら三人に丁重な謝辞を述べ、深々と頭を垂れて、もと来た仏壇の中へと帰って行った。



 月日に関守せきもりもなく、瞬く間に一年が過ぎた。

 天美空子あまみそらこは、仏壇に毎日掌を合わせることこそ忘れなかったが、泣き暮らすような生活にはならずに済んでいた。

 小学校に入ったばかりの幼い息子を理不尽な形でうしなった両親も、その悲しみに溺れることなく、娘を力強い言葉で励まし、必要以上に落ち込んではならない、と諭してくれた。

 空子は両親や友人らのおかげで、ようやく学友らと軽く談笑できるほどの元気を取り戻し、元の生活に戻りつつあった。


 この一年間の大きな変化のひとつとして、空子が時折、深夜徘徊に出かけるようになったことが挙げられる。

 これまでは宵の口には眠くなり、朝が来るまで目を覚まさなかったはずの空子が、近所をふらつくようになったのである。

 週に数回ほど、一旦着込んだ寝間着から簡単な部屋着等に着替え直し、こっそりと門錠を解し家を抜け出して、歩く。

 どこかの店に入るわけでもない。知り合いに遭遇することもない。時には小銭だけをいくらかポケットに入れ、自動販売機で飲み物を買う程度のことはある。携帯電話も持たず、一時間前後ただ歩くだけの、夜の散歩であった。

 安全面を考えれば、携帯電話くらいは持って出かけてもよいかも知れない。しかし、本人の気分的にそういったものから解き放たれていたかったのであろう。

 睡眠不足が翌日の学業に差し障ることを考えれば、家で寝ていれば良いはずであるが、空子のこう言った行動は、理屈ではないのだった。

 とくに目的があってのことではなかった。思春期特有の行動と云ってしまえば、それまでかも知れなかった。強いて理由を付けるとするなら単純な気晴らしであろうが、空子にしてみれば、なんとなく夜を歩きたかっただけなのかも知れない。

 昼間の姿なら空子もよく知っている町であったが、夜は眠っているばかりであった。車の通りはいくらかあったが、徒歩の人間を見かけることはほぼ無かった。

 駅の方まで行けばある程度建物も多く、ある程度明るく、ある程度人もいようが、何かをするのが目的ではないし、中学生の身で深夜にふらふらしていたなどとして補導でもされては莫迦ばからしい。

 自宅からそう離れないところまで、ときどき夜空を見上げたり、深呼吸したりなどしながら、暗い道をゆっくりと、ただ歩く。日課にしているわけではないため、例えば雨の夜など、歩かない日も勿論あった。

 深夜の外出が両親の目に留まれば咎め立てられもしようが、父母どちらの親も、娘の無法な外出に気付き起き出してくることはないようだった。

 とくにトラブルにも出会わぬまま、空子は夜を歩いていた。


 ある、空に星のたくさん輝く晩である。外に出た空子は、なだらかな丘陵にある史跡公園の柵に腰掛けて、夏の夜空を見上げていた。

 時刻は午前二時を回るところであったが、時計も携帯電話も自室に置いて出てきた空子にとって、然してそれを知る意味もなく、ただいつものように無言で、夜空全体に散りばめられた星を眺めていた。

 星座の見方も何も知らなかったが、北斗七星であるとか、夏の大三角であるとかいうのは、なんとなく知っていた。

 空は、黒い紙の上に、発光する砂か何かを一点の隙もなくいたかのようであった。どこを見上げても、星の見えない部分はひとつもなかった。

 安い土産物の置物おきものに付いてるラメみたいに、光がつぶつぶして綺麗だなあ——と空子は思った。

 公園とはいいつつも、遊具も何もない無舗装の広場である。歩いて奥に進めば昔の住居跡や資料館、植物園などの他、さらに奥の方には無闇に目を惹く造りの宿泊・休憩施設などが建てられているはずであった。

 自分の今いる丘陵全体が古墳になっているのだと、空子たちは小学校で教えられていた。が、地元の執政者がその歴史的価値を生活の糧と関連付けられず、民家を建てにくいその直上に広場とホテル通りを造ってしまったのと同様、空子もとくにそれと意識することなしに、散歩の休憩にちょうど良い高台として利用していた。

 上を向いて天空に視線を向けつつ、自分の名前についた空という文字を思うと、そのどこまでも上方じょうほうへ広がるイメージと共に、“くう”そして”から”とも読めることにふと気付く。

 そんなことを考えていると、空に黒いふたをされているような気にもなった。

 夜空というのは星が撒かれているのではなく、天いっぱいを覆う黒い蓋に無数の細かなあなが空いていて、その上・・・にある光が漏れているのではないか。夜とは、地上から昼を隠す蓋なのではないか——。

 少し目を閉じ、再び開いたとき。空子は暗すぎる、と感じた。驚いて、空を見上げたまま、目を見開く。

 今の今まで、星の光で明るすぎるくらいであったのに、夜空からは星が全て消え失せていた。

「おおおお……?」

 こんなことがあるだろうか。おかの麓に広がる町の光は、先程までと全く変わらず見えているというのに、夜空の星だけが、すっかり失せてしまっている。

 瞬きをしても、目を擦っても、それは変わらない。空子は薄気味の悪さを覚え、腰掛けていた公園の柵から降り、立ち上がった。

 黒い天蓋の孔が、全て塞がってしまったのか——。

 真横の暗がりから、ひたり、と足音がした。

「——うおっ」

 予想だにしなかった“何者かの存在”に、空子は思わず硬直してしまう。

 ゆっくりと横目を向けると、そこには一匹のきつねがいた。

「ひょわああああ……」

 空子は自分の首元から冷や汗が噴き出るのを自覚した。固唾かたづを飲む音が、後頭部に痛いほど響く。

 狐は空子の顔をじっと見つめながら、黄金色の毛を闇夜に浮かび上がらせ、尾を波打たせて、ひたり、ひたりと近づいてくる。

 いくら周りに人が住んでおらず、今が深夜とはいえ、野生動物が急に人の足元へ近寄ってくることは、あまりに不自然であった。只事ではない、と感じた。

 狐は空子にまっすぐ歩み寄り、一メートルほど離れた位置で足を止めると、にやあ《・・・》と笑った。

 開いた口の中に、白い火が灯っていた。

 火は狐の呼気とともに噴き出され、口から漏れてめらめらと音を立てる。

「うわ、や——やべぇ。こいつ、やべぇ」

 口の中から漏れぬ程度の音量で呟く。

 今度は空子の正面の闇から、人影のようなものが現れた。

 こちらは、猿であった。動物園で観たことのある日本猿が、空子の肩ほどの高さに身を起こし、後肢だけで歩いていた。

「……!?」

 猿は片目が潰れて失せ、片腕の肘から先が無く、更に所々の体毛が毟られたように失くなっていた。開きっぱなしの口から、長い舌がだらりと垂れていた。

 もはや異常現象であることは明白であった。

「やっべ……これ、お化けだ……!」

 両腕が痺れ、脚が小刻みに震えた。

 空子の身の前まで歩み寄った猿が、口を開いた。そこから発されたのは、なんと人語であった。

「娘。すまんが、肉をれ。われが食う」

 甲高く掠れた、耳障りな声であった。

「我も食う」

 狐も低くくぐもった声を出した。

「うわわわわわわわわ」

 震える空子を、急速な尿意が襲う。

「これって、あれか。——例のあれか」

 昨年の出来事を思い出す。弟を喪い、友人も自分も傷ついた、夏の夜の悲劇。

「ごめん。あたし、食われたくないっ」

 空子は左横に迫った狐の顔を目掛けて、思い切り脚を振った。

 蹴りは狐の鼻柱に命中し、その口から火のついた何かを吐き出させる。

 同時に、空子の履いていたミュールも、ぽーんと何処かへ飛んで行った。

 狐の咥えていたそれは人骨であった。が、空子にはそれを確認する余裕も方法もない。

 怯んだ狐の隙を突いて空子が駆け出すと、猿が片腕でその足首を掴んだ。

「うわっ」

 空子はその場で転倒する。這って逃げようとするが、虎挟とらばさみにでもかかったかのように、がっちりと裸の足の甲を固定されてしまっていた。掴んでいる猿の手にキックを放つが、猿は舌舐めずりをしながら嫌らしく笑うばかりである。

「すまんなぁ、娘。肉を呉れ」

「肉を呉れ。我にも、肉を呉れ」

 狐が再び空子の目の前まで迫り、口を開く。噴き出される白い炎は、先程の何倍にも勢いを増していた。

「手ぇ離してよう! ……くっそぉ、どうにかなんないのかーっ」

 涙目になりながら狐を睨みつける空子の側頭を掠め、ソフトボール大の火球が飛んできて、狐に命中した。火のぜる音とともに、辺りが一瞬明るく照らされる。

 不意を突かれた狐は空子の目の前から吹っ飛んで、闇の中に消えた。

 間を置かず第二弾、三弾が飛んできて、猿にち当たる。猿は空子の足首を手から放さなかったため、肩から先がちぎれ、少し離れたところに転がった。

「なん、なん、なんじゃああ……!?」

 空子は呆然として、火球が飛んで来た方向へ振り返る。足首に、まだ猿の腕がしがみ付いていることにも気付いていない。

「君! 怪我してないかな!」

 少女が一人、背後の闇の中から現れた。

 真っ白な少女だった。

「ふえええ……?」

「うん! 間に合ったみたいだね!」

 少女は、へたり込んだ空子の手を取って立たせ、にっこり笑った。

「姉さま。まだいるみたい」

 反対側からもう一人、真っ黒な少女が現れた。その手には、先ほど吹っ飛んでいった狐をぶら下げている。

 黒い少女は、片手で狐の尻尾を握っていたが、そのまま頭上に振り上げると、舗装されていない地面に狐の体を叩きつけた。狐は少女の手の中で白い炎を上げて燃え始め、やがてすぐに消滅した。

「ひょわー……」

 空子が思わず言葉にならない声を出すと、黒い少女がその足元にしゃがみ込み、猿の腕を外し、同じように地面に叩きつけた。狐と全く同様に、猿の腕も燃えて無くなる。

「あ、あ、ありが、とう……助かったっす」

「あなたはもう大丈夫。でも。すぐには帰れない。もう少しだけかかる。待っていて」

 黒い少女が空子の目をじっと覗き込む。透き通っていて大きな、デパートのショーケース内に見た黒耀石オブシディアンのような瞳だった。

 周囲の闇から、ひたひたという獣の足音が複数聞こえてきた。かと思うと、それはすぐに爆発的に増加した。

 見れば、何十では利かない数の狐が、三人を取り囲んでいた。

 史跡公園を埋め尽くす数の妖狐が、口から白い炎を噴き出して迫る。

「うおおおい、なんか、すっごい来たよーっ」

「怖がらなくていい。あなたは。私たちが守る」

「そうだよ! 私ら、強いからね!」

 黒い少女が立ち上がると、白い少女も腰に手を当ててふんぞり返る。

 うおん、という狼じみた吠声をあげ、狐たちが猛り躍りかかってきた。

 白い少女が左掌をまっすぐ前に出し、右手を重ねて添える。

「じゃっがばたあああ!」

 重ねた掌から、赤くかがやく弾が飛んだ。そのスピードは空子の目で捉えることはできず、ただ掌が赤く光ったなと見えただけであった。

 ぎゃんと悲鳴をあげて、狐が吹き飛ぶ。

「がっがっがっがっがっがっがっがん! GUN! がん!!」

 奇声を発しながら、白い少女は周囲全方向に炎弾を撃ちまくり、狐どもを片っ端から跳ね飛ばしてゆく。炎を一発放つごとに、少女は反動で半歩ずつ下がった。

「がんばれー、がんぷらー、がんもどきー!」

 黒い少女は、撃たれて跳ね上がった狐どもを両手に一匹ずつ捕まえると、それ自体を連接棍棒ぬんちゃくのように他の狐にぶつけ、たたいた。殴られた狐は、次々と炎をあげて消滅してゆく。手の中から狐が消えると、また次の狐を捕まえ、また殴ってはまた消す。それを繰り返すことで、狐の大群は徐々にその数を減らしていった。

 空子はその様子を、口をぽかんと開いたままで眺めていた。

 それは闘いではなく、一方的な掃討であった。対処法を熟知し、確実に実践する。力試しや挑戦などとは異なり、隙もなければわずかな失敗もない。少数の圧倒的な強者が多数の弱者をただ討つのみ——言い方を変えれば、狩猟であった。

「どっぱらたたたた!」

 白い少女は口で擬音を叫びながら、途方もない数の狐に向かって火球を放ち続ける。

「だらららららら! らーめんれーめんひやそーめん! ずぎゅぎゅぎゅぎゅぎゅぎゅ!」

 その結果、まともに四つ足で立っている狐はほぼいなくなっていた。

「どどどどーん! うっどーん! きんちゃーくにおもちーいーれーてー! いっなりっずーしも! おーいしいーよ! たーべたいなー! たーんたらんたらんたらーん!」

「姉さま。うるさい」

 両手に持った狐を様になる手つきで振り回しながら、妹らしき黒い少女が呆れた様子で白い少女に苦言を呈した。

「ごめんごめん! 普段みたいに街中まちなかのイオマンテだと、大声出せないからね! つい!」

「その歌は。何なの」

 空子は口をぽかんと開けて、ただ二人の“狐掃除”を眺めることしかできない。

 一旦は減ったと思われた狐どもは、闇の中からいくらでも現れる。

「——面倒くさい。姉さま。ちょっと失礼」

「え! あ! ちょちょちょ!」

 黒い少女が白い少女の後ろへ回り込むや否や、背中からよいしょと抱えあげた。

「あーん! 待ってよー!」

 ほぼ同じような体格の白い少女が手脚をじたばたさせるのを無視して、黒い少女が軽やかに跳躍した。何十、何百の化け狐どもがひしめき合うど真ん中へ、どすんと着地する。

「撃って。姉さま」

「ちゃあ!」

 観念したのか、白い少女は奇声を発し、掌を合わせて力を込めた。両掌の間に、ぼんと炎が生まれる。

「しゅううううう!」

 両手を肩幅よりも広く広げると、それに伴って炎の球は一気に大きく膨れ上がり、辺りを明るく浮かび上がらせるほどに輝いた。

 キャンプファイアーみたい、と空子は思う。

「めんっ!」

 白い少女は短く気魄きはくを吐くと、両掌を真っ直ぐ前へ突き出した。

 それはまさに、火炎放射器。

 赤い柱が水平に伸びるように、炎は一瞬で軌道直線上の狐を焼いた。

 黒い少女は、腕に抱えた白い少女をそのまま振り回し、取り囲む狐どもを焼き払う。

 両手から炎を噴射し続ける白い少女を抱えたまま、黒い少女は走り、跳び、あたかも移動砲台の如く猛烈に暴れ回った。

 白い少女の放つ火力はもの凄く、それに黒い少女の機動力が加わって、狐どもは瞬く間に一匹残らず消え失せた。

 後には焦げた土の匂いと熱気が残り、白い炎がめらめらと立ちのぼっていたが、やがてはそれも燃え尽きた。

「イオマンテ完了。姉さま。協力ありがとう」

「うあー! 目が回ったー! あははは!」

 空子はようやく立ち上がり、二人の少女に駆け寄った。

「あっ、あのっ、助けてくれて、ありがとう!」

「いやいやあ!」

 白い少女はまだ目を回したままの様子で、空子の手を取った。

「私ら、強いからね!」

「でも。夜は気をつけて。夏の夜はとくに」

 黒い少女が、空子の足元にしゃがみ込んで呟く。

「ほら。膝。擦りむいてる」

「え。あっ」

 空子の両膝は、転んだ際に傷がつき、微量の出血が見えた。

「や、こんなん、唾つけときゃ治る傷っすわ」

 空子は握られたままの手を激しく振って、白い少女に感謝を伝えようとする。

 その横でしゃがみ込んだ姿勢のまま、黒い少女が地面に片手を突いた。

 狐どもを退しりぞけた跡が煙をあげて燻っている。その焦げ跡に、黒い少女は手を沈み込ませた。

「あ——」

 まるでそこが泥濘ぬかるみで、初めから手首を押し込むスペースがあったかのように、少女は 硬い地面の中へ手を潜らせ、何かをまさぐっている。

 空子は白い少女の手を握ったまま、口を閉じることもできずに、黒い少女の様子を見つめる。

「ん。おかしい。無い」

 黒い少女はぴくりとも表情を変えずに呟いた。

 そのとき。

「こっち来て!」

 白い少女が空子の手を引き寄せ、片手で抱きしめるような格好を取った。

「わっ」

 咄嗟のことに、空子は為されるがままになる。

「姉さま。どうしたの」

 黒い少女が厳しい顔で、空子の背後を睨んだ。

「猿だ!」

 白い少女は片腕で空子を抱いたまま、もう一方の腕を夜の闇に向かって突き出している。

「わわわわ……」

 数秒間、空子の鼻息以外には何も聞こえない時が続いた。

 やがて闇の中から、ずるり、ずるりと緩慢な足音が聞こえてきた。

「来た!」

「うん。確かに。さっきの猿」

 少女たちの言うとおり、足音の主は、先ほど空子を襲った猿であった。が、空子自身は目をぎゅっと閉じ、白い少女にしがみついていたため、それを確認できない。

 空子にしてみれば、恐怖と嫌悪感で、そんなもの見たくもない、というのが正直なところである。

「ム娘……ニ肉を肉をヲヲ」

 両腕の先がちぎれて失われた猿は、よたよたとした足取りとは裏腹に、顔面に嫌らしい笑い顔を浮かべて、三人に迫る。

 白い少女が掌に炎を宿し、いざ放とうと構えた瞬間、猿はどたりと倒れ伏し、白い炎をあげて燃え始めた。

「姉さま。これは」

「猿の体から抜けて、逃げたんだろうね!」

 二人の少女はその様をしばらく見据えていた。

 炎が消滅したのを見届けると、白い少女は腕の中から空子を解放する。

「もう大丈夫だよ!」

「はあー……」

 緊張がゆるみ、空子は大きなためいきいた。

「よしよし! 怖かったね!」

 白い少女に頭を撫でられ、空子の目には涙が滲む。

 黒い少女は、猿の消滅した跡にしゃがみ込み、再び手首を地面に突き入れた。

「今度こそ——あった」

 程なく手を引き抜くと、黒い少女は空子たちに歩み寄って、掌を開いて見せた。

 黒いレースの手袋を填めた手には土の汚れひとつ付いてはおらず、代わりに、小さな硝子玉ガラスだまが乗っていた。——否。水晶クォーツか、或いは琥珀アンバーであるかも知れない。いずれ空子には素材など、見ても分かりはしなかった。

 ただ息を呑み、たった今の恐怖さえも忘れてしまうほどに、空子はそのちいさな玉に目を奪われてしまった。

 ぎょくの中心部分にはドーナツ状にあなが穿たれており、一方から尻尾のような突起が生えている。

 透き通った色の向こうに、何色もの模様が散り嵌められ、それぞれがまた幾つもの色を持っていた。いつの間にやら輝きを取り戻した夜空の星々から淡い光を受け、半透明の色石はきらきらと色を変える。

「ほわ。きれい——!」

 空子は思わず目を奪われ、声をあげる。

「私たちが集めている勾玉まがたま。こういう奴らを倒すと。残る」

「私らは、こういう風にして持ってるんだよ!」

 白い少女が、スカートのポケットから二つ折りの携帯電話を取り出した。見ただけで最新機種ではないと分かる電話機からストラップが下がっており、きらきらと光を反射する勾玉の孔に括り付けられている。

 目を凝らすと、黒い少女の頭にも、いくつか束になった玉が髪飾りのように付けられていた。

「そうなんだー……」

 空子が羨ましげに息を吐く横で、白い少女が再びしゃがみ込み、アスファルトの地面に手を突いた。やはり手は地面に沈む。空子には、これが不思議でたまらない。

「あったあった! 大漁豊漁!」

 白い少女が手を引き上げると、両手からじゃらじゃらとこぼれ落ちるほどの勾玉がつかみ上げられた。

「ふわぁ」

 空子が嘆息する。

「はい! 好きなだけあげる!」

 白い少女が、空子の前に両手を差し出した。やはり、白い手袋は汚れていない。

 一つずつ色の異なる宝玉ほうぎょくは夜空や街からの弱い光を乱反射し、三稜鏡プリズムのように色を氾濫させた。空子には、白い少女の手の中に星屑ほしくずが握られているように見えた。

「え、貰っていいの?」

「うん、いいよ! いっぱいあるし!」

「構わない。私達は猿の玉だけ貰っておく。こういう下っ端の奴らの玉は。やたらに数ばかりが多いから」

「じゃ、遠慮なく貰っちゃうね。ありがとう」

 二人の少女に促され、空子は友達の分も、と三個の勾玉を受け取った。

「助けてもらったうえに、土産もんまで頂いちゃって。ほんと、ごめんね」

「いいのいいの!」

 白い少女が、残った玉を両手で覆い、擦り合わせると、ざりざりという音をたてて勾玉は粉砕された。

 空子は一瞬勿体無いと思ったが、粉微塵こなみじんの結晶が光の粒に変わり、白い少女の手からはらはらと地に落ちてゆく様を見て、死者が地の下に還るイメージを抱いて、——なんとなく安堵した。なんだか涙が出そうだ、と思った。

 ふと、後ろから肩をちょんちょんとつつかれ、空子が振り向くと、黒い少女が空子のすぐ後ろに立っていた。

「あ、えっと——」

 表情がほとんど変わらず、二重瞼は眠たそうに半分方閉じられているため、感情が読み取れない。

「これ。あなたの靴」

 見ると、黒い少女は片手で空子のミュールをぶら下げている。先ほど空子が蹴り飛ばしたのを拾って、持ってきてくれたようだった。

「あっ、ありがとう。すいませんっ」

 差し出されたミュールを受け取り、空子は頭を下げる。

 黒い少女は薄っすらと微笑みを浮かべた。顔をよく見ていないと見逃しそうなほどに僅かな、優しい変化であった。

「——それで、今のって結局、何だったんすかね……?」

「あー、説明は、難しいなー! 尸澱シオルっていうんだけどね! 分かんないよね!」

 白い少女は、頭を掻きながら困り顔で笑う。

 空子にとって、過去に聞き覚えのある単語が飛び出した。

「簡単に言うと。死んだ人の霊が。ああいったに入って動かしているの」

 緊張を解いた様子で、自分の髪を撫でながら黒い少女が説明する。

「狐の方は。墓場の骨壺の中から。焼かれた骨を掘って食っていた。それで火を噴いたり。分身したりできるようになった。と思う。それから最後の奴は。死んだ猿の体にいわゆる死霊——尸澱シオルが入って。動かしていた」

「へ、へえ……」

 黒い少女は顔を変えずにさらりと言うが、大変な内容の話であった。空子は改めて、背筋が冷えるのを感じる。

「あまり上等でない奴らは。自分の身体を持てないで。死んだ動物などの中に入って動くの。肉を食べたいから」

「夏の夜はね! あんまり遅くまで外にいない方がいいよ! お化けが活発に動くから!」

「はいっ、了解でっす」

「あなた。用がないなら。もう帰った方が良い」

 黒い少女に優しく言われ、空子は大きく頷いた。

「じゃあ、私らも帰るね! ばいばい!」

 白い少女が笑顔を絶やすことなく、空子に向かって大きく手を振った。

「あっ」

 空子は慌ててミュールを履きながら、二人に向かって声を張り上げる。

「あの、えっと! 二人の名前とか、教えてもらえないっすか?」

 白と黒の少女二人は一瞬、顔を見合わせた。

 白い少女が、空子に向かって見得を切るように、大仰なポーズを取って叫んだ。

「『ふたりはエトピリカ』っ!」

「……語呂が悪すぎ」

 黒い少女が呆れてそっぽを向くと、白い少女は照れ隠しのように、もう一度空子に向かって手を振った。

 二人が星の光の戻った空へと身を消した後も、空子は少しの間、その空を見上げてから帰宅した。

「やっぱり、そうだったんだなあ……」

 また会うことになるのだろう。空子はそう予感した。

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