花魁鳥は夜に啼く

北大路真彦

第1話「放課後」

 それは異形の怪人であった。

 雨上がりの道路上に二本足で立ってはいるが、その全身は針の如き剛毛に覆われ、爪は長く鋭く、尻からは長く尾が伸びている。更には顔面の骨が完全に露出しており、かれがこの世の者ではないことを窺わせた。

 濡れたアスファルトにはいくつかの女人の亡骸なきがらが転がっており、腹部や乳房だったところが無惨にえぐり取られている。怪人が、人肉の柔らかい部分を食った跡であった。人体、なかんづく女の肉体は、かれにとっては旨い餌でしかなかった。

 怪人は牙を剥き出し、その隙間から汚らしく涎を垂らし、ぐるぐるぐると喉を鳴らして、数メートル離れた位置に立つ長身の青年を威嚇している。

 まるでアイドルのように整った面立ちの青年が、手入れの行き届いた茶色の髪を風に揺らし、柳眉をゆがめて怪人を睨みつけていた。

 己に対して明らかな敵意を向けてくる怪人から目を離さぬまま、青年は胸ポケットに手を入れる。

 取り出された、一枚のカード。それはトランプの、ダイヤのエースであった。青年がカードを左手首の腕時計へかざすと、文字盤から真っ赤な光が迸った。

 光は幾筋もの軌跡を描きながら青年の全身を覆い、次の瞬間、光沢のある軟質の防護スーツへと変化して身体に貼り付く。

 見るからに頼りなさげであった青年のからだが、太く逞しい四肢、分厚い胸板、広い背中、そして大きな翼を持つ「戦士」へと変身した。

 戦士が吼えた。

「法で裁けぬ地獄の鬼を、愛の力で祓う者! ——超法戦騎ちょうほうせんきレッドガル!」

 真紅のボディからは高熱が発せられ、周囲の道路から蒸発した雨の激しい湯気と、ゆらゆらとした陽炎とに囲まれている。背中から生えた巨大な翼でそれらを払うと、大量の湯気は一瞬で消えた。ぱちぱちと焚火たきびのような音が僅かに残る。

 怪人は一瞬怯んだ様子であったが、水蒸気の曇りが収まったのを確認すると大きく飛び上がって、変身した青年につかみかかった。

 青年——戦士は冷静に左足を振り上げ、空中の怪人を靴底で受け止めた。短い呻きを上げた怪人を、力任せに地面へ蹴り落とす。苦し紛れに繰り出された尾の攻撃を翼で払い除け、戦士は怪人の顔面へ踵を叩き込む。

 顔といわず、腹といわず、続けざまに何十発ものキックを浴びた怪人は、既にぴくりとも動かない。

 無様な格好で地に転がる怪人を一瞥し、今度は紅の戦士が宙へと舞った。

 腕時計から溢れる赤い光に全身を覆われ、灼熱の炎球と化した戦士は、背の大翼を操って、怪人に向かいまっすぐに高速落下してゆく。

 勝利を確信した戦士の横顔に、長い尾が叩きつけられた。

 それは地に伏した怪人の尾とは異なり、美しい黄金の艶毛に覆われていた。

「あっ、ちょっと! 何すんの!」

 真紅の戦士は受け身も取れず、己の手で地に倒した怪人の横に転がり、突然攻撃の手を向けてきた仲間・・の方を睨む。

「ふん。手前てめェ一人の戦場ステージじゃねンだよ」

 黄金に輝く獣毛を逆立て、しなやかな尾を鞭の如くしならせた戦士が、腕組みをしたまま不敵に笑っていた。

聖装獣騎せいそうじゅうきイエローハウンド、鮮烈苛烈に疾走だ! 行くぞオラァ!」

 黄金の戦士は目にも留まらぬスピードで地を駆け、真紅の戦士との距離を一瞬で詰めた。そのまま連撃を繰り出し、真紅の戦士の体力を少しずつ削ってゆく。

「おらおらおらおら、どうしたどうした? 手ぇ止めてんじゃねえぞっ」

「もー! 敵はあっちでしょ、やめてよう」

 真紅の戦士が半泣きになりながらガードに徹している傍らで、異形の怪人はのろのろと身を起こし、二人から離れようとする。

 満身創痍の怪人の前に、紺青色の滑らかな肌を露出した戦士が立ちはだかった。

深淵アビスより出ずるあお——海皇鉄騎かいおうてっきブルースクアーロ」

 全身に隆々たる筋肉の鎧を纏い、無精髭を蓄えた精悍な戦士は、怪人の頸部へ向けて、大鰭おおびれの生えた腕を静かに振るう。

 閃光が奔り、怪人の頭部が胴体から離れて地面に落ちた。

 怪人の生命を無慈悲に刈り取った青色の戦士が、その首級をむんずと掴み、怪人そっちのけで戯れ合う二人の戦士の方へ歩いてゆく。

「あっ」

「やべっ」

 二人の戦士は同時に手を止め、倒れた怪人の胴体と、青色の戦士とを交互に見遣る。

 青い戦士が、斬り落とした敵の首を高々と掲げた。

「お二人とも。今回の報酬素材パーツは、私が頂くということで、よろしいですわね」

「ええーっ」

 真紅の戦士が泣きそうな声を出す。

「だって、さっきの奴はあたしが頑張って——」

「遊んでいるからです。戦闘ゲームの世界は厳しいんですよ。……まだ手足も尾も残っていますから、剥ぎ獲って行かれては如何です?」

「あーあ、こんな瞬殺されちゃうとは思わんかったよ。——悪かったなァ」

 黄金の戦士が、真紅の戦士に向かって手を合わせ、拝むような格好をした。

「もう、ケイちゃん。ちゃんと協力プレイしようよー。こんな遊び方してたら、百円もったいないでしょーっ」

 ポッド状の大型ゲーム筐体から出てくるなり、両の拳を派手な色の頭上に掲げ、天美あまみ空子そらこは抗議した。

「いや、わりわりい。みんなで怪人いじめるより、お前らとバトった方が面白くてよ」

 憤慨する空子に続き、ショートカットヘアの少女、そして腰まで伸ばしたロングヘアの少女とが、筐体の扉を開けて出てくる。

 セーラー服姿のまま、学校帰りにショッピングモールへ寄り道するのが、彼女ら三人の日課であった。

「確かに、夏海なつみさんの仰る通りです。……ただ」

「あん?」

 ロングヘアの少女が、ショートヘアの方へ向き直って、言葉を続ける。

「自由度が高いのは良いですけれど、このゲームは、本来の目的を見失わせますね。共闘していたはずが、いつの間にか対人戦にもなってしまう。——まるで、黎明期のコンシューマゲームのようです」

「そこが面白いんだろ。原作付きの割によく出来てるよ、このゲーム」

 何事もすぐに理屈っぽく捉える癖のあるロングヘア少女に対し、ショートカットの方は、物事を小難しく考えるのが苦手な様子であった。

「ねーねー。コトちゃんも、ケイちゃんになんとか言ってやってよう。味方同士で闘ってたら、すぐにゲーム終わっちゃうじゃん」

「まあまあ」

 ぷんすか怒る空子を見て微笑みながら、ロングヘアの少女が通学鞄から小袋を取り出し、端を破った。小袋の中から蜂蜜揚げ豆をつまみ出し、空子に渡す。

「これでもどうぞ。クウコさん」

「あっくれるの? さんきゅ、いただきまーす」

 原色にぴっちりと塗られたネイルで甘い豆を受け取ると、空子はそれを頬張った。

 天美あまみ空子そらこ神影みかげ市立神影中学校一年一組出席番号女子一番。

 学年で最も小柄であるがゆえに、常々小学生に見間違えられるが、着飾ることには人一倍の関心を持った、おしゃれ大好き少女である。可愛らしいおでこを出して分けられた髪は、十二歳ながら、明るいブラウンに脱色されていた。

「おいしい! うっふー!」

 だらしなく口元を緩ませ、目を細めて、ぼりぼりと揚げ豆を噛む。食べ物ひとつで、空子のご機嫌はすっかり治ってしまう。

 その小動物然とした風貌からは想像できないが、空子は男子以上に飯を食う。そして、菓子ならばそれ以上に食う。

 ゆえに、友人たちは彼女を「クウコ」という仇名あだなで呼ぶ。

 仕草や行動は単純で粗削りであるが、感情表現が豊かで、誰に対しても素直で人懐こく、よく怒りよく笑う空子は、級友たちから妹分のように可愛がられている。給食を分け与えればいくらでも食べる彼女の元には、隣のクラスからさえ余ったカレーが届いたこともあった。そういった意味では、妹というより、ペット扱いされているのかも知れなかった。

「ふふ。次に夏海なつみさんが邪魔してきたら、二人で倒してしまいましょうね」

 ロングヘアの高身長美少女に頭を撫でられながら、空子は高カロリーな豆をぼりぼり頬張り続ける。

「おう、望むところだ。お前ら二人でかかって来いや」

 軽いストレッチをしながら、勇ましい口振りで二人を挑発するのは夏海なつみけい。神影市立神影中学校一年一組出席番号女子十番。

「あたしも、これもらいっ」

 腕を捻ってパキパキと鳴らしたついでに、景はロングヘアーの手元から蜂蜜揚げ豆を一粒奪い、口に入れる。

「こんなもんばっか食ってたら、喉乾いちゃうな」

 重いから、という理由で景は、肩よりも長く髪を伸ばしたことがない。決しておしゃれに興味がない訳ではないが、それ以上に身軽さや動きやすさを実感できる格好が好きだった。故にアクセ類や腕時計なども着けないし、制服のスカートもとりわけ短い。

 小学校ではミニバスケットボール部に所属し体育館を走り回るのが唯一の趣味であったが、中学校に入ってからは、兄の影響もあり、コンピュータゲームに興じるようにもなった。中でも、画面内を暴れまわり敵を倒すアクションゲームを好むのは、その好戦的な性格に因るところであろうか。

 この春入学した神影中みかげちゅうでも女子バスケ部に所属し、練習に汗を流してはいるが、「家の用事で……」と言い訳し、空子らとの帰宅部活動にも精を出している。バスケ部と同時に“寄道部よりみちぶ”にも入ったようなものであった。

 さらには遡ること数ヶ月前、景は空子の家で観せられたヒーロー番組の虜となってしまった。

 『超法戦騎ちょうほうせんきレッドガル』。今年二月から放送開始された、(本来は)未就学男児向けの特撮ドラマである。

 子供向け特撮番組であるはずのそれは、親世代が一緒に視聴することも意識してか、ストーリーは決して子供騙しでなく、特段小難しいわけでもないバランスで作り上げられており、スポーツ少女であった筈の景をファンにしてしまうのに十分な魅力を持っていたのだった。

「——さて。今日は水曜ですから、そろそろ帰らないと。『レッドガル』本放送に間に合いませんよ」

 制服の胸ポケットから、校内への持ち込み自体が校則違反すれすれの懐中時計を取り出し、二人に見せたのが龍泉寺りゅうせんじ琴律ことり。神影市立神影中学校一年一組出席番号女子十七番。

 こちらは腰までまっすぐに伸びた黒髪がトレードマークの佳人である。空子とは対照的に、全女子生徒の中でも一番の長身が目を惹いた。

 身長ばかりでなく、目鼻立ちや肌艶に加えて物腰や仕草のひとつひとつまでもが、少し前までランドセルを背負っていた小娘とは思えぬほどに洗練され、見た目や雰囲気だけならば、もはや女性としての完成形に近づきつつあった。

 水辺に咲く桔梗ききょうが秋の夕暮れに照らされたとき、その花はおそらくこのような姿に化身けしんするのであろう。

 ただしその内面は未だ成長途上であると評せざるを得ず、とりわけその麗しい唇から発せられる言葉には、時として致死量の附子ぶすが含まれた。それゆえに、他者とのトラブルも少なくないのだった。

 中学校に入学してから、琴律は数日間だけ文芸部に所属していたが、部で定期刊行している機関誌に載った先輩部員の作品を、低レベルだの下手糞だのと頭ごなしに断じ、幼い頃からの読書経験で培った豊富なボキャブラリーを弄して揶揄。怒り狂う先輩部員らとの口論の末に退部届を叩きつけた。以来、自分独りで小説作品をしたためているが、それを誰かに読んでもらう機会もつもりも今のところ、無い。

 もともと読書・漫画・アニメ観賞などのインドア趣味を持っていた琴律であったが、『レッドガル』の前作にあたる特撮ヒーロー番組『波動戦騎はどうせんきウェイバード』を空子に薦められて観始めたことで、趣味がこのほど“二次元から三次元へ進出した”格好になるのだった。

「録画予約してあるとはいえ、レッドガルはだいちゃんと一緒に観たいですからね」

「お。もうそんな時間かい」

「帰ろっか」

 三人は連れ立って歩き出し、ショッピングモールのゲームコーナーを後にする。

 たった今まで興じていたのは、『超法戦騎レッドガル』に材を採った格闘アクションゲームで、扉の閉まる大型筐体に一人ずつ入り込み、パノラマスクリーンに映った景色を舞台に、ヒーローになり切って共闘する、アーケード最新作であった。

 倒した怪人から素材を“剥ぎ取る”ことができ、それを収集して闘いに役立つ道具や装備を作れるという、狩猟とキャラクターの育成要素とを兼ね備えたこのゲームは、「怪人と同じ力を持った正義のヒーロー」という番組コンセプトに沿った内容で、ファンからの支持も大きかった。

 三人は、テレビでの番組視聴と、このアーケードゲームのプレイとを、並行して楽しんでいた。

 天美空子の派手な髪色については、入学当初、担任教師や学年主任らから注意勧告はあったものの、学業の直接的な妨げにはならないと判断され、取り分けて叱責まで至ることもなかったようである。本人としても「他の子よりも明るくて可愛い感じにしてるんだ」というほどの自覚であり、注意されるようなこととは思いもしなかった。

 気を好くした空子は次第に調子に乗り始めた。髪留めのヘアピンを十本近く使用してサイドの毛をぴっちりまとめ、手の十指に派手なネイルアートを施し、複数の指輪を填め、ルーズソックスを履き、ついでに両の手首や制服のスカートの周り、首元や携帯電話までにもジャラジャラとアクセサリーやら小物やらを付けて、登下校時ばかりか校内をも得意面で闊歩し始めた。

 一度甘い顔で許した服装を今更禁止することもできず、“ここまでなら良いが、ここからは禁止”という線引きも曖昧なところであるため、学校もこれを黙認する形になっていた。当然、空子の真似をして髪を染めたり、爪にマニキュアを塗って登校する女子生徒もいたが、教師たちも昔のように“不良化の兆し”という捉え方はせず、各人のお小遣いの範囲内での行動であれば、目を吊り上げて叱ったりすることはなかった。地方の公立中学としては珍しいほどの個人尊重主義であり、かなり自由な校風であると云えた。

 小学生の頃はアクセやコスメを観て回るか、小遣いで買い食いするか、などの事にしか趣味を持たず、中学校に入学しても帰宅部に所属している空子であったが、その実、六歳違いの弟・大地だいちと一緒に、あるテレビ番組にハマっていた。それが前述の『超法戦騎ちょうほうせんきレッドガル』である。

 当時の空子にとっては、学校と、帰りに寄り道する商店街や大型スーパー、そこで立ち読みする雑誌だけが文化の全てであった。そんな彼女にとって、それよりも“小さい”はずの夕方のテレビの中にこんなに夢中になれる世界があるというのは、まさに青天の霹靂だったのだ。

 実際に番組を観るまでは、男児オスガキの観る変身ヒーロー番組なんて、ヒョロくてチャラい“顔だけアンチャン”どもがぞろぞろ出てきてポーズを決め、ショボく殴りあうだけの幼稚くさい田舎芝居だろうと、空子は勝手に思い込んでいた。

 変身ヒーローものに刑事ドラマの要素を混ぜた、子供向けらしからぬ舞台設定。次回が気になって仕方なくなる、シリアスで容赦の無いストーリー展開。男同士で交わされる、暑苦しい台詞の応酬。CGを濫用せず撮影され、スタイリッシュかつスピーディでありながらも打撃の痛みと重みを感じさせるアクションシーン——。

 これらの要素はすべて、ギャル気取りの田舎中学生の脳天を叩きつけ、かち割り、奥深くへと入り込んで、揺さぶった。

『——だいちゃん、これ、毎週観てんの!? 何て番組だったっけ? レンタルとかあるかな? うー、とりあえず検索して、今までの分をネットで観れるか、調べねばっ』

 居間のテレビ画面とパソコンと新聞のラテ欄と携帯電話とをばたばたと往き来する自分の姿を、弟が面喰らいながら見ていた様子が忘れられない。

 以来、学校帰りにこうして親友らと、観賞会を兼ねた放課後茶会ティータイムの励行に至っている。いわば、これが彼女なりの部活動であった。

 真紅の戦士・レッドガルは、コウモリに似た怪人を殴りつけ、倒れたところを執拗に踏みつけ、天高く舞ったのち、火球に包まれた全身で体当たりを仕掛けた。

 その姿がぴたりと静止し、画面上には『TO BE CONTINUED……!』という文字が被さった。

「おー。やっぱ、ここで終わるのかぁ」

 番組はCMに入り、変身ウォッチと五十三枚のバトルトランプの機能を迫力たっぷりに紹介し始めた。

 天美あまみ邸内、冷房の効いたリビングにて、大型テレビを囲んた三人は、同時に息をついた。

「先週も、レッドフレイムを出したとこで終わらんかった? 今年は、こういうパターンで行くってことかにゃー。——あらっ」

 最後の一枚を口へ入れてしまい、ビスケットの袋はすでに空っぽであった。空子は袋を小さくたたみながら、次なる甘味を求めて、ぴょんと立ち上がる。

「ねーねーケイちゃん。そっちに、クリーム饅頭まんじゅう出してたよねー?」

「おう。あと一個だぞ」

 景から饅頭を受け取り、大口を開けて、立ったままかぶりつく。

「——ここまで観た限りだと、その回の終わり頃に変身して戦闘開始、必殺技を出して次回へ続く、っていうのが『レッドガル』のパターンみたいだな。そうすれば毎回、番組が前回の戦闘シーンの続きからになるから、目を惹きやすいんじゃねえ?」

「あらあら。もう二十話を超えるのに、毎回同じパターンで終わっている訳ですよね。今年は、大した構成ではないんですのね。今年の『レッドガル』も、昨年の『ウェイバード』と同じスタッフが作っているのでしょ。あれは毎回、次回がとても気になる終わり方をしてましたけど」

「いやいや、こういうのは様式美ってんだろ。敢えてパターンを決めて、そこから逸れんように毎回作ってくんだな。おんなじ必殺技でも飽きさせないで観せてくれるか、プロのお手並み拝見っちゅうとこだよ」

 熱烈な前作ファンである琴律に対し、景はシリーズ全体をひとつの作品群として愛するタイプであった。二人はそのまま、番組の演出方針について論じあう。

「あああ、そういうことなんだねー。たしかに今んとこ、同じ必殺技のレッドフレイムでも、毎回アングルとかが違うもんにゃー」

 クリーム饅頭に続いてチーズおかきをかじりながら、空子も頷いてみせる。

「これ、海苔と一緒とおいしいよ。塩味とチーズがちょー合う。コトちゃんも食べてみて」

「——なるほど。アニメのように、バンク映像ではないのですよね。お定まりの必殺技を、毎回異なる演出で見せようという趣向ですか」

 琴律は飲み終えた紅茶のカップを傍らに置き、横に立っていた空子を抱いて、自分の膝に乗せた。空子の手からおかきを受け取ると、一口サイズのそれを更に半分に割り、上品な仕草で口へ運ぶ。

 姉妹に見えてしまう範疇すら超え、下手をすれば親子ほども体格の異なる二人は、自然とスキンシップも多かった。

「でもにゃー。ちょっと敵、可哀想なんじゃないかねぇ」

「えっ? それは、どういうことですか」

「いや、悪者は悪者なんだけどさ。痛そうなこと、されすぎじゃないかなぁって」

 空子は琴律に後ろから抱かれる格好で、口を尖らせる。

 格好こそ背伸びしているが、表情も仕草も、空子はまだまったくの子供に見えた。大柄な琴律と一緒にいると、その対比で更に幼く見られがちである。

 琴律も、同級生でありながら元気にちょろちょろしているちび・・の空子が可愛くて仕方なく、彼女の隙を見ては抱き上げ、頬をすり寄せた。空子本人も今ではじたばた抵抗することもなく、おとなしく琴律にされるがままになっている。

「——それよりも、来週は誰だかのライバルキャラが登場するのでしょう。私は、そちらが気になります」

 琴律はやや吊り上がり気味の目を細めてにっこりと微笑み、話を変えた。

「あっそれ、大地の持ってる本で見た。イエローハウンドのライバルが出てくるんだよー。『かつての同僚』って書いてあった!」

 知ってるぞ、とばかりに空子が声をあげ、胸を張る。

「——そういえばさ」

 景が伸びをしながら琴律の方へ顔を向けた。

「ゲームでも使っといて、今更恥ずかしいんだけど。ハウンドってのは何だ? 犬?」

「猟犬、ですね。イエローハウンドが元警察官という設定ですから、そのライバルというかたも、当然——!」

「上機嫌だなァ、コトちゃん」

 景が呆れた様子で、満面の笑みの琴律を見遣ると、空子も本日四個目のおはぎを頬張りながら笑う。

「コトちゃんは、熱い友情ものが好きなんだもんね」

「ええ! 大好物です!」

「……コトの場合、クウコの思う友情とは少し違うなァ」

「警官同士なら体格も良いでしょうから、こってり濃厚な展開が期待できますねっ!」

 琴律が目を潤ませ、きらめかせた。

 うげぇ、とでも言いたげな顔で舌を出しながら、景が立ち上がる。空調エアコンの効いたリビングのカーテンを少し開くと、西日が眩しく差し込んで、冷えた部屋に季節本来の眩しさと暑さとを呼び込んだ。

「ところでクウコよ。あたしそろそろ、帰ろうかと思うんだがな。大地だいちってまだ帰って来んのか」

「あー。そういえば、帰って来なかったね。今日はやけに遅いにゃー」

 『超法戦騎ちょうほうせんきレッドガル』はテレビ夕陽ゆうひ系列にて毎週水曜十七時半~十八時の放送である。いま三人が観終えたのは録画ではなく本放送であるので、小学一年生が帰宅しないとなると、かなり遅い。

「大地が『レッドガル』に帰らんのって、おかしくねえか」

「水曜だというのを、忘れてるのでは?」

「友達のとことか、寄ってんのかにゃー。ゲームでもしてるとかさ」

 空子は食べ終えたチーズおかきの空袋とおはぎのパックとを一緒に丸めて、再び立ち上がった。

「でも、ケータイ持たせてるから、遅くなるなら電話してくるはずだし」

 言いながら自分の携帯電話を取り出し、弟の番号に電話をかける。

「……」

「大ちゃん、出ませんか?」

 琴律も帰り支度をしながら、心配顔である。

「んー、出んにゃー。呼んでるけどもね……」

「メールをしてあげては?」

「うん。大地と、あとお母さんにもメッセ入れとくよ。二人は気を付けて帰ってね」

 仕方なく携帯をしまうと、空子は友人二人を玄関まで見送った。

 天美空子あまみそらこたちの暮らす神影みかげ市は、人口二十万人ほどの地方都市である。

 海や山の景色は目を見張らんばかりに雄大で美しく、あちこちに残る遺跡や神話伝承の類には事欠かない。市制施行の歴史は古く、風光明媚な観光都市を自称してはいるが、景色がいくら良くても、腹は膨れない。やってきた観光客が金を落としたくなるスポットがほぼ存在しないのだから、それはある意味当然のことと云えた。

 県庁所在地であるにもかかわらず、神影市独自の産業と呼べるものは無く、若者はみな働き口を求めて県外へ出てしまうので、高齢化の歯止めは掛からない。駅に自動改札なども無く、映画館も県内に三つしか無く、コンビニですら国道沿いの数キロメートル毎にしか無い、都市と呼ぶのもおこがましく思えるほどの田舎町である。

 大型スーパーやファミレスの相次ぐ出店のせいで既存の商店街は軒並みシャッターを降ろし、苦肉の策で精神病院や刑務所を誘致、仕舞しまいには原発まで抱える始末で、神影市には“都会に住む人が、田舎に在ってほしいと考える施設”ばかりが増えた。それゆえ、地元住民から行政に向けられる目は厳しく、信用も低い。

 そんな町で、空子たちは生まれ育った。自分も親も友人たちも口にこそ出さなかったが、いずれはここを出て、どこか大きな町で働き、他所に嫁ぐのであろうと、誰もが思っていたのだった。

 結局、友人らが空子の家を出てから三十分ほどで、大地は帰宅した。

 ひとまずは安堵したものの、空子は弟を叱ることにした。両親もまだ仕事から帰らぬ時刻であったが、今後は無断で遅くなってはいけない、と教えてやるのが姉の務めだ、と思った。

 空子は軽く中腰になれば、小学一年の弟の目の高さで話すことができる。背からランドセルを下ろした大地に、空子は穏やかに問いかけた。

「あのさ、大ちゃん。お姉ちゃん、電話したよね。なんで出なかったん?」

「えっ? 鳴ったの、分かんなかった」

「……そっか」

 夢中で遊んでいて、携帯電話が鳴るのに気付かなかったのだろう。もちろん、遊ぶこと自体を咎めるつもりはない。しかし、夢中になるあまりに身に危険が及んでは元も子もないのだ。

「大ちゃん、一人だった?」

「うん」

「どこで、何して遊んでたん? そんなに楽しかった?」

 子供は泣いたり拗ねたりすると、話を聴けなくなる。空子は姉として、なるべく優しく訊ねかけた。大地は一瞬沈黙したが、姉の目を見て呟いた。

「——わかんない」

「えっ」

「何してたのか、憶えてない——かも」

「そんなこと、ないでしょ……?」

 言い訳に嘘をついているような気配はない。

 大地の携帯電話を確認したが、空子からの着信履歴は残っていなかった。かけた際には呼び出し音が聴こえていたのだが、電波か何かのせいで、実際には鳴らなかったのだろうか。

 首を傾げる空子を見て、大地が声をあげた。

「あっ。なんかね、お姉さんと話した。それで、お菓子もらって、食べた」

「……お菓子?」

 空子は一瞬、拍子の抜けた思いで大地の顔を見た。自分たちが菓子を貪っている間、大地も学校帰りに菓子を食べていたということか。しかし、それだけで帰宅が遅れるものだろうか。

「お姉さんって誰? 何のお菓子もらったの?」

「えっとね、色のきれいなやつ。硬くて、甘いやつ」

「綺麗なって……あめちゃん?」

「あれ飴かなぁ。ううん、飴じゃなくてね、かりかりの」

「かりかり……金平糖こんぺいとうかな?」

「あっ、そう。金平糖」

 どういうことだろう、と空子は再度首を傾げる。

「それで、お姉さんって? 知ってる人じゃなくて?」

「ううん、知らないお姉さん。でもね、すごいきれいで、可愛い人。髪、すっごく長い」

「ねえ、それって、どこかで売ってる金平糖?」

「うーん。違うかもしれない。手で持ってて、手にもらった」

 空子は薄気味の悪さを覚えた。

 大地の供述内容だけを事実として見れば、親切を施されたと見るべきであろう。大人が子供にお菓子をやる、それだけを切り出せば微笑ましい光景である。しかし、きれいなお姉さんであれ誰であれ、大人が学校帰りの見知らぬ児童に変なちょっかいをかけた、ということにもならないだろうか。それは今の世の中で、してはならないことになっているのだ。

 それに、もらった菓子を食べた、というのは良くない。しかもその人は、素手でそのままくれたと言うではないか。

「……大ちゃん。知らない人にもらった物、食べちゃダメだよね?」

「うん……ごめんなさい」

「それで、そのお姉さんとは、何のお話をしたんかな?」

「わかんない」

 これでは埒が明かない。ともかく、両親と友人らに、弟の帰宅を知らせるメールを送った。

 やがて両親が帰宅してから、夕食の前にも、空子はこのことを報告した。

 何を訊ねても「おぼえてない」「わかんない」としか言わぬ大地からこれ以上の情報が引き出せることはなかった。父も母も、特別に厳しく息子を叱ることはなく、彼の言う“知らないお姉さん”と、その者に“菓子をもらって食べた”という点について、空子を交えて話し合った。

 実害は無かったが一応警察に届けるべきか、とおろおろする母に対し、無事で帰ってきたし、腹が痛くなったわけでもないし、大事おおごとにしなくても良いんじゃないか、と父がそれをなだめる。

 お菓子をくれた大人をすべからく疑うべしというような世の中になってはダメだよ、と父は笑った。

 当の大地も睡魔に抗えず食卓で舟を漕ぐ始末で、本人の勘違いの可能性もあるだろうという父の言葉に任せ、今日は保留にしておこうか——と話が落ち着いた。

 ところが、である。

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