05 何あれ

 無理をするなと誰もが口を揃えて彼に告げたが、彼自身は無理をしているなどと思っていなかった。

 場合によってはたいそう性質たちの悪い無自覚ということになったが、それは彼の意地ばかりでもなかった。クインダンの怪我を診た医師は、傷痕こそ残っているが、治っていると言わざるを得なかったからだ。

 青年騎士の回復が早かったのは、彼自身の鍛えた身体のためであったか、これまた神の加護であるものか、どちらにしても悪いことではなかった。

 シリンドルには大都市に見られるような剣の訓練所はなく、若者が剣を習いたいと思ったら自警団に積極的に参加するか、僧兵に志願するか、彼らと仲良くなって教わるか、余所へ行くか、という辺りだった。

 騎士団の自由訓練は定期的なものでもなかったし、剣を初めて持つような初心者が怪我をしないようにという程度の、本当に基礎的なことを教えるだけだからだ。

 過去にはもっと大きな規模で様々な訓練を行っており、そうして騎士候補が育っていったものだが、当の騎士が減っていけば手が回らなかった。

 ニーヴィスはアンエスカに教わっていたが、クインダンの時代には既に、余所での修行を余儀なくされていた。そうしたことも、騎士が減った一因だろう。悪循環という訳だ。

 いずれは、また「騎士団」と言ってもおかしくない人数が集まるかもしれない。

 それとも――衰退していくだけかもしれない。

 若い騎士に未来は見えなかった。ただ彼は、自分にできることをやった。

「センタス、もっとしっかり柄を握るんだ。それではすぐに落としてしまう。そう、それでいい。マイトは、肩に力が入りすぎている。身体が固くなって、却って危ない」

 はい、クインダン様、と生徒たちは実に素直に言うことを聞いた。

 こうした指導をすることは以前にもあったが、自分は若輩なのに、という気持ちもあった。ニーヴィスが辞めたときは、自分が頑張らなければと思ったものだが、彼が死んだという事実は痛かった。いつか戻ってきてくれるかもしれないと、そんなふうに思っていたところがあったのだろう。

 だが、ニーヴィスはもう騎士団には戻ってこない。妻のもとにさえ。

 痛みはあるが、過去は戻らない。

 彼らは未来を見据えるしかなかった。

 ふと視線を感じて、クインダンは振り返った。そこで彼は瞬時、戸惑う。

(どうして)

 困惑と驚きを覚えたが、青年は長いこと躊躇ってはいなかった。

「よくきた」

 彼はそう言った。

「あちらのふたりを頼む」

「……何?」

 銀髪の若者もまた、困惑した顔を見せた。

「手伝いにきてくれたんだろう? まさかお前が、いまさら基礎的な訓練を受けにきたとは思わない、ルー=フィン」

 それはニーヴィスを殺した男だ。

 しかしクインダンは、恨みを抱かぬようにした。

 あのとき、彼らの正義は違っていたのだ。仕方がない、で済ませられるほど割り切ることはできなかったが――仕方がないことだった。

「だが」

 ルー=フィンは躊躇っていた。

「私に指導を受けたがる者もいないのではないか」

「それは、やってみなくては判らない」

 クインダンはそう答えた。

「お前を怖ろしいと思い、憎む者もいるだろう。だがお前とて、シリンドルのためを思っていたのだということ、ハルディール様は認めていらっしゃる。アンエスカや……私もだ」

 苦いものはあった。しかし、本当のことだった。

「彼らを頼む。赤毛の少年は今日が初めてだ。その隣にいる少年は、重心がふらつきやすい。見てやってくれ」

「私は……人に剣を教えたことなどないのだが」

「誰にだって最初はある。だいたい私も、慣れている訳ではない」

 息を吐いてクインダンはルー=フィンを手招いた。

「ぐだぐだ言うな。見物にきただけか? そうじゃないだろう、お前も思ったんだ」

 騎士はまっすぐ、視線を合わせた。

「シリンドルのため、自分にできることをやろう、と」

 数トーア、ルー=フィンは反応を見せなかった。だがそのあとでかすかにうなずくと、そっと手指を動かした。それは、感謝の仕草であるように見えた。

「……何あれ」

 戸惑いがちに少年たちに声をかけたルー=フィンと、やはり驚いて戸惑った風情の少年たちを見ていたクインダンは、これまた戸惑った声に苦笑した。

「外出許可が出たのか、レヴシー」

「そんなもん。同じだよ、クインと」

 少年騎士はひらひらと手を振った。

「自分の身体のことは、医者より自分の方が判るに決まってる、とね」

「駄目だろう、休んでいないと」

「もう平気に決まってんだろ! 俺ばっか除け者にするなよな」

 憤然と少年は叫んだが、そのあとでわずかに顔をしかめた。

「ほら」

「何だよ」

「痛いんだろう」

「違うね」

「無茶をするな。後遺症でも出たらどうするんだ」

「それは俺も、散々クインに言ったと思うけど!」

「私は大丈夫だ」

「それなら俺だって大丈夫だよ」

「理屈になっていない」

「そっちこそ」

 〈シリンディンの騎士〉ふたりは、ただの若者たちのように言い合った。

「で、何なの、あれは」

 レヴシーは改めて、ルー=フィンを指した。

「手伝いにきてくれた」

 クインダンは簡潔に語った。

「いいのかよ、あんな……」

 少年は言いかけたが、黙った。彼もまた判っている。悲劇は、立場の違いが引き起こしたものであって、ルー=フィンの人格の問題ではないこと。

 ただ、まだレヴシーは、クインダンのように考えられない。年若い少年の世界は白か黒かであって、がらりとそれがひっくり返ってしまうことなど、想像しがたかった。

 灰色、という色の必要性もまた。

「アンエスカが許可したんだと思う」

 クインダンは団長の判断を言い当てた。もちろんアンエスカは、ルー=フィンが基礎訓練を受けたがっているなどとは思わなかった。自由訓練に参加する、それは即ち、指導する立場としてクインダンを補佐するということだと、団長は判っていて若者の好きにさせた。

「団長が許したんなら……まあ」

 仕方ないかとレヴシーは呟いた。

「じゃ、俺もやるよ、クイン」

「お前はまだ」

「平気だってば。いつまでも怪我人扱いはご免だね。だいたい、クインこそ、ほかに仕事があるだろ」

「何?〈峠〉の見回りは済ませたし、国境の巡回も――」

「エルレール様が、クインダンはまだかって怒ってるよ」

「う、嘘をつくな、嘘を」

 目に見えて青年騎士は狼狽した。

「まあ、怒ってるってのは嘘だけどさ。俺のところにきて仰るんだ、『レヴシー、クインダンは無茶ばかりね。私は心配でならないの』……」

「それだって嘘だ」

 クインダンは決めつけた。レヴシーはにやにやした。

「嘘かどうか、王女殿下にお聞きしてくればいいだろう。殿下の〈峠〉参拝につき合える神殿長はいないんだから、ほら、早く行った行った」

 彼は先輩の尻を叩いて、それから真顔を作った。

「ここは俺と……ルー=フィンに任せろよ」

 その言葉にクインダンは少なからず驚いた。だが、すぐに少年の気持ちを理解した。

 レヴシーもまた、騎士だ。ルー=フィンといがみ合っても何にもならないどころか、悪いようにしかならないと、判っているのだ。

 心に刺さる棘は容易に抜けずとも――自分にできることを。

「判った」

 任せる、とクインダンは言うと手を差し出した。レヴシーはその手を見て目をぱちくりとさせ、それから笑った。

「ようし、交替っ」

 ぱちんとその手を合わせてよい音を鳴らし、騎士たちはそれぞれの任務についた。

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