08 同じ神に
所詮、自分は若造に過ぎないのかと。
その考えはルー=フィンを苛立たせた。
彼は概して冷静な若者であったが、それは言うなれば自らの分をわきまえていたということであり、感情が希薄な訳ではない。
露わにしないようにしていたそれを刺激し、彼をただの若者のようにしているのは、ヴォース・タイオスという男だ。
彼は腹を立てていた。それは必ずしも、タイオスに対してだけではない。
初めて人を殺したのは数年前。泊めてもらった神殿から金を盗んだ賊を追ってだった。
町のなかで騒ぎを起こすことは避け、街道上で成敗をした。気持ちのよいものではなかったが、神の代行を果たしたという思いはあった。
コミンの町では、娼館の護衛や春女を殺した。やはり快くはなかった。それでも、ハルディールを手助ける〈白鷲〉を成敗するために、躊躇すべきところではなかった。
実際のところ、彼は神の使者ではなく、殊にいまはヨアフォードの駒だ。神殿長の思うままに、盤上を進まされているにすぎない。
もっとも若者は、それが養父同然の男への恩返しになると考えていた。ヨアフォードのためになり、〈峠〉の神、そしてシリンドル国のためにもなる。理想的だ。
ただ、その理想に自分が追いつかないという事実がある。
ルー=フィンはいまだ、ハルディールを仕留められずにいる。
機会は幾度もあり、それを逃したのは必ずしも彼の能力不足ではなかったが、それはまるで、神の加護がハルディールにあることを示しているかのようだった。
(そのようなはずはない)
(あれはラウディールの息子なのだから)
ハルディール個人には罪はない。彼はただ、王子であるだけだ。
しかし、神を軽んじた為政者にして、我が子可愛さに実弟とその愛人を殺し、実甥まで殺そうとした男。その息子が神に祝福されるはずもない。ルー=フィンは疑わなかった。
そう、ハルディール自身に罪はなく、それ故に神は、年若い少年を死なせたいとは思わないのかもしれない。
だが――次代のシリンドルを担うべきは、ハルディールではない。
彼は自分が王に相応しいなどと考えたことはなかったが、ラウディールの息子では駄目だと感じていた。個人的な遺恨だけではない。王子を補佐するアンエスカはラウディールの政策を続行させるに決まっているからだ。
神はないがしろにされる。あるべき儀式は削られていく。それに任せていれば、やがて神殿は力を失い、王家だけが神を崇めることができる、などという奇妙なことになっていくだろう。
ラウディールがそこまで企んでいたかどうかは、判らない。だがヨアフォードはそれを案じたのだ。そして進言に行き、事態が急変した。
(神は)
(神殿長ヨアフォード様をこそ、助けているのだ)
「ルー=フィン様」
一部僧兵には、彼が次なる王だという噂が出回り出していた。
もとより信仰心の強いルー=フィンは神官や僧兵に信頼も篤かったが、これまでは若造と見て、自分より下と考える者もいた。
しかしいまでは違う。
王になる人物。
少し前までは、ヨアティアが間違いなく次期神殿長だった。だが王女の件以来、彼への敬意は失われており、今度は虜囚となったということもあって、かの子息が完全に父親から見限られたことは既に知られていた。
なかには、あわよくば自分が空いた後継者の椅子に、と考える年長の神官もおり、そうした連中はこぞってルー=フィンの覚えをめでたくしようと考えた。
何の裏もなく、若者を神の指示した新たな王であると純粋に考える者もいる。
心の底はどうあれ、彼らはみな、望んでルー=フィンに従おうとしていた。
「巡回をしてきた兵から報告がありました」
年下の若者に丁重にしたのは、僧兵団長ログトだった。
「〈青空通り〉と〈三毛猫小路〉で、民たちが柵を作り、われわれに石を投げようと待ちかまえているようです」
いかがしましょうか、などと彼は尋ねた。
「民たちは何も知らず、王家を伝統的に崇めているだけだ。目を覚まさせてやらなければならない」
ルー=フィンはそう言った。
「シリンドルの民を傷つけたくはないが、われわれに刃向かうようでは仕方ない。ただし、遺恨を持たれてものちのち厄介だ。なるべく避けるようにするが、出会った際は可能な限りは殺さないように心がけろ」
「承りました」
僧兵団長は礼をした。
ハルディール王子を殺し、シリンドルを正しい道に戻す。それはルー=フィンにとって正義だった。
自分が王になることが正しいと思う訳でもないが、〈峠〉の神がそう導くのであれば、彼が拒否することはない。
「神殿長の最終指示を待って、出陣だ。館にたどり着いたら、まずはハルディールに呼びかけるつもりでいる。もう一度、ラウディールの行為について話し、それから、掃討だ」
そこでルー=フィンは、少し間を置いた。
「連中が出てこないのであれば、火をかける」
銀髪の若者が言えば、ログト団長は少し顔色をなくしたが、もう一度了承の言葉を口にすると僧兵らに指示を伝えに戻った。
(もうこれ以上、ハルディールに逃げ行く先はない)
ルー=フィンは思った。
(彼の生家が、彼の終焉の地だ)
若い剣士はその緑色の瞳を憎き男の息子がいる方角へと向け、祈りの仕草をした。
同じ頃、皮肉なことにハルディールもまた、同じ神に祈っていた。
その姉は少年王子の肩に手を置き、安心させるようにうなずいた。
「大丈夫よ、ハルディール。神はあなたを見守っているわ。シリンドルの子たるあなたと、私を。そしてシリンディンの騎士たちを」
「それを疑いはしない、エルレール」
王子は笑みを浮かべて王女を見た。
「ただ、神は手出しをされない」
「そうね」
姉王女は同意した。
「解決するのは、われわれ自身でなければならないからよ」
軟禁時には疑念を抱いたエルレールも、いまではそう答えを出していた。
「どうにもならないときにだけは――〈白鷲〉を送ってくださるけれど」
「〈白鷲〉!」
ばん、とレヴシーが卓を叩き、王子と王女はびっくりした。少年騎士は謝罪の仕草をする。
「そう、それのことを聞いてなかった。いったい〈白鷲〉の件はどうなってるんです、殿下」
「二十年前に〈白鷲〉と呼ばれた人物は、亡くなっていた」
彼は簡潔に真実を告げた。
「そう、だったんですか……」
レヴシーは落胆を隠せなかった。ハルディールは首を振る。
「案ずるな。〈峠〉の神は、このたびの出来事に新たな騎士を送ってくださっている」
「信じます」
顔を上げて少年騎士はうなずいた。
「或いは、送られていないんなら、俺たちだけでもどうにかできるってことですね」
エルレールの説を立てて、レヴシーは言った。そうねと王女はうなずいたが、王子はそれには答えなかった。
「ハルディール?」
「いや」
何でもない、と少年王子は手を振った。
彼は、ヴォース・タイオスを〈白鷲〉だと考えている。アンエスカとニーヴィスには、そう言った。
だがいま、それを告げることは躊躇われた。タイオス自身が頑なに否定することはもとより、証拠の護符もない。レヴシーの言い様を支持するなら、〈白鷲〉が送られたということは「彼らだけではどうしようもないことだ」という解釈にもなる。仮にそうであったとしても、若い彼の心では容易に肯んじられないところもあった。
神の助けにすがりたい気持ちと、奇跡に頼るようでは情けないという思いは、シリンドル王子の内に同列に存在したのだ。
「それより、アンエスカの出した課題を早く片づけることにしよう。彼は僕らに任せるようなことを言ったが、最終的には修正を入れること、間違いない。彼が戻ってきたときに目を通すべき書面を用意しておかなかったら、どんな仕置きを受けるか」
おどけて彼が言えば、姉と友人は笑って同意した。
もちろん、アンエスカの「課題」は冗談を交えながら考えられるようなことではない。彼らは笑いを納め、どんなことを民に話せばよいか、真剣に検討した。
民の多くはハルディールの味方だと彼らは思ったが、それは期待に過ぎないことは判っていた。
先ほど僧兵に石を投げるなど戦おうとしていた者たちは確かに彼を支持するだろう。だがどちらにつくとも決めかね、状況を静観している者も多いはずだ。
ハルディールには、それを責めるつもりはなかった。責められるべきはヨアフォードである。彼はそこを見誤りたくなかった。
だからこそ、迷っている者たちに呼びかける言葉も必要だ。
僧兵たちが王子にひざまずいたのは、敬意もあっただろうが、きっかけはタイオスの台詞だった。あのとき彼が「王子殿下の御前だ、剣を納めろ」と声を上げなかったら、彼らはみな死んだか、よくても大きな怪我を負い、エルレールは連れ去られただろう。
(やはり)
(僕はタイオスが〈白鷲〉であると思う)
どうにかしてタイオス本人と、それからアンエスカにそれを認めさせたいものだ、などと思いながら王子は考えを進めた。
シリンドルの日が暮れる。
黄昏てゆく窓にふと目をとめたハルディールは、騎士団長はまだ戻ってこないのだろうかと訝った。
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