06 説得などは無意味

「ニーヴィス」

「引退騎士か」

 ルー=フィンは鼻を鳴らした。

「そちら側で再度剣を取っただけでも愚かしいことなのに、訓練から離れた身で私に挑むとは」

 剣士はふたりを順番に見た。

「両方、一緒でもかまわないくらいだ」

「言ってくれるねえ」

「相手にするな、タイオス。殿下を」

 騎士は右手に剣を持ち、左手でタイオスの肩をぱんと叩いた。

「――頼む」

 ふ、と戦士は息を吐いた。

「判ったよ」

 彼は一歩、退いた。

「死ぬなよ」

 簡素な、それは戦士たちの挨拶。死と隣り合わせだからこそ、重みのある一言。

 街道を生き抜く暮らしなどやっていないニーヴィスにそれが通じたものかどうか戦士には判らなかったが、元騎士はかすかに笑みのようなものを浮かべた。

「行くぞ、ハル」

「タイオス、でも」

「それが奴の仕事って訳だ」

「でも、僕だけ逃げるなんてことは」

「何度も言わせるな! 王子の仕事は!」

 タイオスは怒鳴った。ハルディールは目を見開く。

「少なくとも、お前を守ろうとする奴をはらはら見守ってりゃいいってもんじゃない」

 声を荒らげたことに謝罪の仕草をするとタイオスは剣を収め、ハルディールの腕を取った。

「ここはニーヴィスに任せろ。行くぞ」

「逃がすか!」

 ルー=フィンが彼らを追おうとした。

「相手は俺がすると言っているだろう」

 ニーヴィスが立ちはだかった。

「どけ!」

 ルー=フィンは鋭く、細剣を突き出した。

「お前も殺せと言われている。遠慮はしない」

「生憎だが、俺はそうそう死なない」

 元騎士は素早く後退しながら、嘯いた。

「引退騎士と舐めてるなら、痛い目に遭わせてやろう」

 言ってニーヴィスは踏み込んだ。カァン、と細剣同士のぶつかる音が響く。そうする内に、王子は後ろ髪を引かれながらも、戦士に連れられて彼らから離れた。

 二合、三合。

 路地裏に、冷たい音が鳴り渡る。

 ニーヴィスは、タイオスが「自分なら保つのはせいぜい数合」と考えていたよりも長く、銀髪の若者の攻撃を防いでいた。ニーヴィスが残ったのは正解だったようだ。

 だが、ルー=フィンの指摘した通り。彼は引退した人間だった。

 騎士の座を退いてからも訓練は欠かさなかったが、現役以上のことはもとより、同じことをやっていた訳でもない。身についた能力は簡単に消えないとは言え、衰えている自覚はあった。

 それでも、彼はタイオスにハルディールを任せ、自分がこの場に残った。それはタイオスの考えとは違って、「自分の方が保つから」という判断によるものではない。

 ――この先、自分よりもタイオスの方が、王子の役に立つと考えたからだ。

 死ぬつもりはない。愛しい妻と、彼女の腹のなかにいる、まだ見ぬ子供のためにも。

 だが、どちらかが身を挺して王子を守らねばならぬとしたら、それは自分だと思った。

(死ぬものか。必ず、生きて帰る)

 きわどいところでルー=フィンの剣を避け、ニーヴィスは呪文のように考えた。

 右脇腹に痛みが走った。

 彼は懸命にこらえた。

 生きて帰る。ハルディールの即位を迎え、平和なるシリンドルで、妻と子を愛し続けるために。

 若者の速い動きが、男を翻弄した。

 左腕に痛みが走った。

「まだだ」

 ニーヴィスは増えていく傷を無視した。

「――シリンディンの騎士」

 ルー=フィンは呟いた。

「引退者と笑ったことを謝罪する。見事だ」

 そう言うと銀髪の剣士は、緑眼を細めた。

「いいだろう」

 呟くと、ルー=フィンは一歩、退いた。

「名高い〈シリンディンの騎士〉の実力、この剣でもって知りたいと思っていた。見せてもらう」

「その名を冠するのは少々気が引けるがね」

 ニーヴィスは唇を歪めた。

「――シリンドルにあだなす者と、引退者だろうと騎士であった俺、〈峠〉の神がどちらに力を貸すか。考えてみるまでもないことを試してみるかい」

 彼が言えば、若者はそれには答えず、まるで正式な決闘でもするように細剣を身体の前に立てた。ニーヴィスも一歩退き、同じようにする。

「ティオド・ハントの子、ニーヴィス。〈峠〉の神シリンディンの名において、シリンディンの騎士の名誉を汚すことなく、我が国の未来のため、戦いに挑む」

 ルー=フィンの態度を受け、ニーヴィスはそんな言葉を述べた。皮肉でも茶化すのでもない。本心からの誓いだった。

 惜しむらくは元騎士であることだが、引退後でも騎士団の名誉を守る必要はあり、守ることもできる。

「ケイダール・シリンドラスの子、ルー=フィン。神の裁きに従う」

 短く、ルー=フィンが返した。

(くる!)

 その動きは、あまりにも速かった。

 ニーヴィスは愕然とした。

 ルー=フィンはいままで、もちろん本気だった。ああは言ってもニーヴィスを見くびってはおらず、手を抜くなどしなかった。

 だがそれでも、これまでの彼はニーヴィスを障害物のように見ていた。意識は、去ったハルディールとタイオスの方にあったのだ。

 その意識が、ニーヴィス・ハントにはっきりと向いた。

 まるで雷光のようだと、畏怖に似た感情がニーヴィスの内に湧き上がった。

(〈峠〉の神よ)

(俺に力を)

 かろうじて、彼はルー=フィンの初撃を受けとめた。間を置かず、次には彼から打ちかかる。

 ルー=フィンの腕前のこと、彼はよく知っている。銀髪の剣士が僧兵らと刃を合わせる姿はもとより、ヨアティアとのそれも見たことがあった。

 ヨアティアは訓練としてでなく、隙あらばルー=フィンを殺すか、そこまでいかなくとも酷い傷を負わせるつもりでいた。だが銀髪の若者――当時はまだ少年だった――は、訓練の範囲内で、徹底的に神殿長の息子をやっつけてしまった。

 あのときはただ大した少年だと思い、騎士になる気はないのだろうかと呑気に期待していた。

 他国の剣術大会で並みいる強豪を打ち破ったと聞いたときも、まだ。

 それが繰り返されるようになり、不審に感じたこともあったが、糾弾されるべきほどのことではないと考えた。神殿長の子飼いで終わるには惜しいと、そう思ったが――こうして剣を戦わせることになるとは。

 ルー=フィン自身は、強くシリンドルを愛していると見えた。何故、同じ愛国心と信仰を抱く者同士が敵対せねばならないのか、そこにニーヴィスが覚える矛盾、憤りはタイオスの比ではなかった。

 何故、ルー=フィンはシリンディンの騎士ではないのかと。

 一方で、ルー=フィンも考えた。何故、これだけの技能を持つ男たちが揃いも揃って盲目的にシリンドル王家に尽くすのかと。王家への忠誠と神への信仰、そして国を思うことはそれぞれ異なるものであると彼らが気づけば、争う必要もなかったのにと。

(だが)

(説得などは無意味)

 彼らのどちらもそこに気づいていた。

(神よ、照覧あれ)

(その加護を我に)

 剣と剣が打ち合わされる。二度、三度、四度。

 ニーヴィスは冷や汗の浮かぶ思いだった。現役を離れた彼がこれだけ保っている、それでもう神の加護を使い果たしたようなものだった。

 ほんのわずかな目標の狂いが、致命傷を呼ぶ。いや、対ルー=フィンであれば、ニーヴィスが思うままに剣を操れていても。

 雷光が走った。

 ニーヴィスにはそう感じられた。

 しかし、空は乾いて晴れている。元騎士が雷神ガラサーンの降臨だと感じたのは、若く実力と未来ある剣士の、決着をつけるべき繰り出された一打だった。

(神よ)

 シリンディンの騎士を辞しながらシリンドル王家のために命を賭した男が三度みたび祈りを捧げたとき、神は彼に慈悲を与えた。

 最期に、ニーヴィスの脳裏に浮かんだのは、愛しい妻の顔だった。

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