09 有り得た分岐のひとつ

 父親から緊急の呼び出しを受けたヨアティアは、急いで山の麓の神殿へと向かった。

 使用人の告げてきたところにより、彼はタイオスの裏切り――と言うより、初めからあの戦士が彼につく気などなかったことを知った。

 ルー=フィンに負けず劣らずヨアティアのは煮えくり返り、タイオスはハルディール王子の信頼を得る傍らで、大きな敵をふたり作っていた。

「父上。俺に」

 ヨアティアは神殿長の部屋にたどり着くと、挨拶の類を省略して言った。

「俺にタイオスを殺らせてくれ」

「ルー=フィンに任せろ。お前よりも確実だ」

 ヨアフォードはそう答えた。

「お前はアンエスカだ」

「アンエスカ?……そうか、あのときから組んでいたのであれば当然、殺害などしていない」

 ヨアティアは次期神殿長に相応しくない罵詈雑言を吐いた。

「俺をたばかった奴ら。判った、アンエスカでもいい。確かにタイオスには、俺は敵わぬやもしれん」

 正直に力の差を認めながら、ヨアティアは指を鳴らした。

「だがあの、口ばかりの頭でっかちなら、俺の剣でも充分、退治できるだろう」

 ヨアティアはふんと笑った。

「油断はするな。あれは狸だからな」

「断じて。必ずや、首を」

「いや」

 ヨアフォードは首を振る。

「殺すな」

「何ですって?」

「どんな手を使ってもいい、生かしたまま私の前に引きずってこい」

「いったい、何故ですか」

 ヨアティアは戸惑った。

「イズランは私怨かなどと言ってきたが、必ずしもそうではない。確かにあの男は小憎らしいが、苦しむ姿を見て心弾む顔でもない」

 ヨアフォードは少し笑ったが、すぐに表情を引き締めた。

「だが、あの男しか知らぬことがある」

 彼はそう言った。

「死んでいなかったのであれば、却って幸いだ。聞き出す手段はいくらでもある」

 神殿長の目が怪しく光った。

「王女だ」

「は……あの」

 息子はぎくりとし、父の言葉の続きを待った。

「お前にエルレールを任せるのは気にかかるところだが、まさかこの危急の際におかしなことは考えまいな」

「は、決して」

 冷や汗を浮かべながら、ヨアティアは答えた。

「アンエスカは王女奪還にくる。残りの僧兵の半数を引き連れよ。エルレールを守り、場合によっては人質として、アンエスカを捕らえよ」

「お任せを」

 謹慎を解かれ、新たな任を与えられたことに、ヨアティアは笑みを浮かべて敬礼の真似事をした。

 息子を見送った神殿長は、唇を横に引っ張って、頑丈な拵えの背もたれに寄りかかった。

(急激に問題が持ち上がった様子だが……そうではない)

 彼は考えた。

(当夜、ハルディールを逃したことこそが問題だった。愚かにも王子が戻ってきたのであれば、あの日の続きだというだけ)

 事態はむしろ自分に都合のいいように動いている。ヨアフォードはそう感じた。

 騎士を逃したのは痛いが、王女はこちらの手元。あの夜に有り得た分岐のひとつにすぎない。

 そう、問題はない。彼は思った。

(〈峠〉の神は我とともにある。これは事実なのかもしれんな)

 神は彼の満ち足りた未来に必要な立役者をシリンドルに引き戻し、あの日の続きをやり直させてくれている。いや、彼の側には魔術師も増えたくらいだ。

 イズランは王子の居所を間違うという失態を犯したが、いまとなってはそう大きな問題ではない。だがそこをつつけば、ただ座して参謀面で意見をしてくるだけではなく、もう少し積極的に協力もしてくるだろう。アル・フェイルは、ヨアフォードにシリンドル国を渡したいのだから。

 彼がそのようなことを考えたとき、まるでその思考を読んだかのように、扉を叩いて姿を見せたのはイズランだった。

「ヨアフォード殿。少しお時間をよろしいでしょうか」

 灰色の髪の魔術師は、後ろ手で扉を閉めながら言った。

「何だ」

 神殿長が応じれば、イズランは長いローブを引きずるようにしながら彼の方へやってくる。

「ヨアティア殿に、王女の警護を命じられたようで」

「盗み聞きでもしていたか」

「とんでもない。ご子息がそう仰って兵を集められていただけです」

「それがどうかしたか。また何か、参謀のような口を利くつもりか」

「とんでもない」

 イズランは笑みを浮かべて、また言った。

「私は、兄弟子たっての頼みで、協力者としてここにおります。つまらぬ心得違いでヨアフォード殿のご機嫌を損ねるなど」

「用件を言え」

 魔術師の台詞を遮って神殿長は命じた。

「ヨアティアにエルレールを任すな、というようなことでなければ、何だ」

「アンエスカという男を生かしておくお考えについて、お尋ねしたく思いました」

「そのことか」

 ヨアフォードは唇を歪めた。

「シリンドル内のことだ」

「アル・フェイルに洩らす気はない、と?」

「そう取ってもよい」

「誤解のないように申し上げておきますが、ヨアフォード殿。私はアル・フェイル宮廷魔術師たる兄弟子の依頼を受けていますが、アル・フェイル王からは何も言いつかっていない。あなた様が口外を禁ずれば、従いましょう」

「よく言うものだ」

 神殿長は笑った。

「私からお前に報酬は出ていない。つまり、余所から受け取っている。それがアル・フェイル宮廷でなければ何だ? 兄弟子か?」

「魔術師というものは、必ずしも金銭で動くとは限りません」

 イズランは言った。

「魔術的事象――『不可思議なこと』の原因、理を知るためなら、金など一スーも要らぬ、ということもあります」

「ほう」

 ヨアフォードは片眉を上げた。

「ではお前は、どんな事象について知りたいと思っているのだ」

「無論、〈峠〉の神です」

 間を置かず、魔術師は答えた。

「シリンドル国発祥の伝説は、比較的、どこにでもある類のものだ。神が正直者や善人を助ける。七大神の神話にも、似たものは数多くあります。特殊ではない」

「ならば何がお前の気を惹く、魔術師」

「これまでのやり方、ですよ。神殿長」

 肩をすくめて、灰色の髪の男は言った。

「不勉強ながら、この話が上がるまでシリンドルのことはほとんど知らずに過ごしてきました。カル・ディアでヨアティア殿らに同行したときにも、まだ知識は浅かった。ですがこちらを訪れて調べれば調べるほど、興味深いことばかりです」

「成程。日がな一日おとなしくしていたかと思えば、シリンドルについて調べていたか」

「そうなります」

 イズランは認めた。

「峠は普段、開放されている。ですが時折、閉ざされる。悪天候のときなどであれば事情は判りますが、いちいち閉ざさずとも、余程の急ぎでない限り、誰もが足をとめるはず。第一、天候だけが理由とも思えない」

「穢れの日のことだな」

「やはり何らかの意味合いがあるのですね。根拠は」

「遠い昔に王家が定めたものだ。まだ、王が神殿長を兼ねていた頃にな。神話ならあるが、いま語ってやる時間はない。調べたければ、あとで調べるといい」

「簡単に言えば、昔からの決まりごと、という訳ですか」

 したり顔でイズランはうなずいた。

「その日に山に入れば、現実に何か不具合が?」

「さあな」

 ヨアフォードは唇を歪めた。

「〈シリンディンの騎士〉が、峠の神殿の周囲を守る。誰も入らぬようにと」

「峠の神殿には、何が」

「祈りのための祭壇だけだ。ほかには何もない」

 彼は苛々と手を振った。

「見たければ、見てくるといい。もともとはあの神殿ひとつだったが、ささいな行事にまで峠に登るのが厄介だと言うので、麓に建てられて久しい。いまではこちらの神殿で、ほとんどの行事をこなしている。上の神殿は、簡素な祭壇があるだけで、空っぽだ」

「伝説の頃の祠と変わりない、ということですか」

 イズランは両腕を組んだ。

「何もないならば、何故、騎士は穢れの日に神殿を守るのか?」

「ただの伝統だ」

「――本当に、何もないのですか?」

「何を疑う、魔術師」

 神殿長は笑った。

「王にのみ開かれる扉、というものがあると聞きましたが」

「あれか」

 ヨアフォードは肩をすくめた。

「確かに、ある。その奥には王だけしか入れない。私も何があるのかは知らぬ。だが何もないと言われている」

「言われている? それを信じていらっしゃるのですか?」

「何かがあろうとかまわぬ。仮に宝物でもあるのなら、歴代の王も放っておくまいよ。そうした俗物的なものではなく、信仰に関わる何かであったとて、これまで王たちが取り出して見せびらかしておらぬということは、重要なものではないのだ」

「……ご自身の目で確かめられたいとは、思わないのですか」

 イズランは意外そうだった。

「聞いているのだろう。その扉は王にのみ開かれると」

「ですが、開けば、入れるでしょう」

「その先に神殿長は付き添わない」

 神殿長はそう答えた。魔術師は判らないと首をひねった。

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