07 夢を見るのはもうやめろ

「そこで、エルレールからの伝言だ。新王に忠誠を誓えと」

「馬鹿なことを」

 絞り出すような声で、クインダンは言った。

「殿下がそのようなことを仰るはずがない」

「どうかな。あれは気位ばかり高いが、愚者でもない。お前たちの命を盾に取られ続けることを避けようと、署名に条件を出してきた。即ち、お前たちを解放し、今後も〈シリンディンの騎士〉として処遇すること」

 男は続けた。

「父上がそこに条件を乗せた。お前たちが新王に忠誠を誓うのなら、王女の望むようにしてやるとな」

 くっとヨアティアは笑った。

「騎士団の歴史もおしまいだと、ハルディールにはそう言ってやった。だが新しく立て直すのも悪くない、と父上はお考えだ。たとえば、アル・フェイルの馬鹿貴族の馬鹿息子を『騎士』の座に就けてやり、箔をつけて返してやる、という形を取っても」

「金で、騎士の地位を売るつもりか」

 クインダンはヨアティアを睨みつけた。

「よい案だろう?」

 ヨアティアはふふんと笑った。

「それは、〈シリンディンの騎士〉ではない!」

 明るい茶の瞳に怒りを燃やして、若き騎士は告げた。

「気位の高さだけは、王族並みよ。だがクインダン・ヘズオート、その気位が何かの役に立ったか? 王女を守って逃亡、まるで英雄のようで気分はよかったろうな。しかし結局は捕らえられ、こうしてみじめな立場に追いやられた」

「どのような立場にあろうと、我らは騎士だ」

 力強くクインダンは言った。

「それが空言からごとだと言っているのだ。いいか、聞け」

 ヨアティアは、少しだけ間を置いた。

「ハルディール王子は、尻尾を巻いて逃げた。〈白鷲〉の捜索など、逃亡の口実。あやつはカル・ディアの伯爵に庇護を求め、自分ばかり安全な場所に逃げ延びて、ほっと息をついている」

「何を馬鹿なことを」

 そんなことは有り得ない、とクインダンは一蹴した。

「それから、アンエスカは死んだ」

「な……」

 クインダンは目を見開いた。レヴシーも口を開けた。

「嘘だ」

「ほう、嘘か」

 ヨアティアはにやにやと笑った。

「王子とあの男が大事に大事に持って逃げた、これを見ても同じように言うか?」

 赤黒く血に染まったままの〈白鷲〉の護符が、彼らの前に示された。騎士たちは血の気が引くのを覚える。

「嘘をつくならば、これを見せて『ハルディールは死んだ』と言う方が効果的だろうな。だが、そのような嘘はつかない。王子は生きているが、シリンドルより自身の安全を選んだ。そんな王子に肩入れした男は、遠い地で無駄死にをした」

 これが事実だ、とヨアティアは言い放ち、護符の紐を指に通すと、つまらないおもちゃででもあるように、くるくると回した。

「奴らが伝説の男を連れて戻ってくる、などという夢を見るのはもうやめろ。ここにあるのは現実だ。ヘズオート、トリッケン。父上は、お前たちの能力を買っている。新王に仕え、新たな騎士団を形成しろ。それがシリンドルのためだ」

「能力を買うだと」

 クインダンは歯を食いしばった。

「おためごかしを言うな。我らは、誇りを売りはしない」

「すぐに受けるとは思っていない。何しろ、気高き騎士様だ」

 明らかに揶揄する口調で、ヨアティアは護符を指先にかけたまま、拍手などした。

「父上は、一日ほど時間をやれと。寛大な言葉に感謝するんだな」

「一日だろうと一年だろうと、考えは変わらない」

 きっぱりとクインダンは言った。

「去れ。つまらぬ要求は取り下げて、処刑の日取りでも決めてくるといい」

「大した度胸だ。だが、早計だ。お前はまだ若い。トリッケンもだ。栄えある未来を棒に振ることはない」

「そんな未来のどこにも栄えなんかあるもんか」

 レヴシーが言った。

「俺だって、断る。殺人者の言いなりになるくらいだったら、最後の〈シリンディンの騎士〉として死んだ方がましだ」

「残念だが」

 面白そうに、ヨアティアは笑った。

「処刑の段になれば、騎士の位は剥奪だな。お前たちが処刑されるときは、新王に逆らった愚か者としてだ」

 考えろ、と男は言った。

「お前たちが夢見たことは、何ひとつ実現されない。次の夢を見るといい。名誉ばかりを重んじた厳しい規律に困らされることもない。騎士を退いたニーヴィス・ハントのように、妻を娶って幸せに暮らすこともできる」

「知った口を利くな」

 クインダンは睨んだ。

「ニーヴィスが、彼がどれだけ悩んだか。いまも、自分が騎士のままでいれば何かできたのではと悔やんでいるだろう。王家と妻とで躊躇なく王家を採れないのならば退けと、団長の言葉に従ったことに苦しんで」

「その団長も、もういない」

 ヨアティアはクインダンの言葉を遮った。

「固い考えは捨てろ。過去のこともだ。これから先、何がシリンドルのためになるか、よく考えるのだな。少なくとも、かびの生えた古くさい騎士として死に行くことではないと、判るはずだ」

 それだけ言うと、ヨアティアはマントを翻した。無言のまま、僧兵が続く。階段を昇る音が続き、上階の扉が開閉される音が続いた。

「クイン……」

「聞けるものか」

 若い騎士は、縛られた両手で格子を殴りつけた。

「生き延びてこそ。そう思った。死んだウォードにも、そう誓った。だが、あのような」

「クイン」

 少年騎士が、再び呼んだ。

「あの……さ」

「――レヴシー」

 クインダンは顔を上げ、年下の騎士を見た。

「だが、それは私の考えだ。お前は、騎士になってまだ日が浅いのだし、何より若い。もしも、お前がそうすることで生き延びたいと言うのなら……」

「ば、馬鹿言ってんじゃねえよ」

 泡を食ってレヴシーは声を裏返らせた。

「年下だと思って、馬鹿にするなよ。だいたい、クインだって充分『若い』だろっ」

 少年はもっともな指摘をした。

「それに、さっき言ったことは本心さ。たとえ位を剥奪されたって、心は最後の騎士として死ぬ方が、ずっとまし」

 彼は繰り返した。

「俺が言おうとしたのはさ、その……」

 レヴシーは縛られたままの手で、鼻の頭をかいた。

「『新王』って、誰だろう、ってこと」

「――ああ」

 そのことか、とクインダンは、不自由な両手で可能な範囲で、謝罪の仕草をした。

「済まない。悪いことを言った」

「そんなのは、いいんだよ。でも」

「確かに、判らないな」

 青年は同意した。

「ラウディール陛下の御嫡出はハルディール様とエルレール様だけ。陛下の弟君は亡くなって久しいし、比較的近い血筋の子も娘だったはずだ」

 縁戚はいるものの、市井で暮らしている。シリンドルに貴族制度はなく、直系の王家と神殿長家以外に特権階級は存在しないのだ。騎士たちは尊敬こそ払われるが、法律的に優遇されていることはない。

「誰を担ぎ出してくるつもりか知らないが、忠誠など誓えるはずもない」

「当たり前だ」

 少年は鼻を鳴らした。

「でも……でもよ、クイン」

 威勢を弱めて、レヴシーはクインダンを見上げた。

「まじ、なのかな」

 少年はそっと続けた。

「アンエスカが、死んだって」

 「新王」のことよりも、レヴシーが本当に気にしたのはそれだった。

 ハルディールが自らの身の安全を図った、などという言葉を彼らは信じなかった。ただ、アンエスカが王子の身の安全を図ることならば確かに有り得ると思った。しかし、彼が死んだというのが本当なのか、騎士たちには判らない。

「あれは間違いなく〈白鷲〉の護符だったが、血が誰のものかなんて判りはしない。仮に彼のものだったとしても、怪我をしただけかもしれない」

 クインダンはそう言ったが、ヨアティアが自信たっぷりだったことは気にかかった。

「われわれの心をくじこうという出鱈目だと――思いたいが」

 しかしヨアティアの言う通り。それが目的ならば、ハルディールの死を告げた方が効果は大きいだろう。

「俺……嫌だよ」

 レヴシーは言った。

「アンエスカには、しょっちゅう怒られたさ。品がないとか言われて、腹も立った。でもよ。どんなに厳しくされても、俺はあの人のこと尊敬してるし、好きだ。――嫌だよ。死んだなんて」

 嗚咽が混ざった。クインダンは唇を結ぶ。

「心を強く持て。弱音を吐くな。それが奴らの狙いであれば、ヨアティアの言葉が出鱈目だと知れたとき、アンエスカに笑われるぞ」

「そう……そうだよな、うん、わかっ……」

 判ってる、という台詞は押し殺す声にうずもれた。

 本当にアンエスカが死んだのであれば、クインダンだって泣きたかった。

 だが、ここで涙を見せ、心くじくことは、ヨアティアの思惑通りになること。青年は耐え、少年をひたすら慰めた。

(王子殿下)

(どうか、〈白鷲〉とともに、一日も早いご帰還を)

 彼らはそれを願うしかなかった。

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