第2章:械獣黙示録
第7話「ひとを継ぐ者」~蟷螂型烈断械獣ヴァガモー 登場~
父の思い出
メンカは夢を見ていた。
自分が夢の中にいるという自覚はある、だが思うようには行動できない、そんな夢だ。
見慣れたドアの前で、母と、見知らぬ中年男が話している。
ドアはメンカが母と暮らしていた賃貸住宅の玄関ドアだ。
つまりここは彼女の家――だった場所――ということになる。
母は記憶より少し若く見えた。
自分は今、スゥの過去の記憶を見ているのだと、メンカは察する。
だとすれば、あの男は誰だろう。
会話している2人はこれっぽっちも楽しそうに見えなかった。
まさか夫婦ではあるまい、とメンカは思った、のだが。
「父さんだよ」
背後からスゥの声。
だが振り返ったメンカの瞳に映ったのは、幼稚園児くらいの小さな子供のもの。
目線が同じことから、自分もそうなのだとメンカは理解する。
実際、あらためて確認した自分の掌は紅葉のような、というほどではないにせよ小さい。
「メンカが生まれたのはもっと後だから知らなかっただろうけど、あれが父さん。父さんだった人」
出ていこうとした父は、しかしドアにぶつかった。
インプラント・チップからの信号で開くはずの扉が、開かなかったからだ。
父が出ていく前に、母は父の登録情報を消してしまっていた。
この家を管理するシステムにとって、もう父はサービスの対象ではない――彼はもうこの家の人間ではないのだ。
一瞬、母に批難の眼差しを向けた父だが、何も言わずにノブを回して出ていった。
娘には一瞥もくれない。
「おかあさん」
脚が勝手に動いて、メンカを母の元へ運んでいく。
過去のスゥが取った行動をなぞっているのだ。
「おとうさん、どうして――」
「うるさい!」
メンカは蹴り飛ばされた。
固いフローリングに後頭部をぶつける。
「なによその眼は!? 私は充分我慢した! あんたがいるから、あのろくでなしを今日まで置いていてやったけど、もう無理! もう限界!」
母が何を言っているのか、メンカにはわからない。
スゥが耳打ちする。
「父さんは、地球奪還計画に反対していた。地球には既に生態系が確立していて、それを荒らしてまで人類は地球を求めるべきじゃない、人類はハビタットだけで充分生きていけるって」
「危険思想の持ち主だったわけね」
「投獄されたことも何回かある。周りからもずっと白い目で見られてた。それでも母さんはこの日までは父さんを追い出そうとしなかった。あたし達のため――いや、この時点だと『あたしの』ため、か」
片親家庭に対する偏見はハビタットでも健在だ。
「あんたが我慢しなきゃ娘さんはどうする、って周囲からグチグチ説教されて、世間体が大事だった母さんは我慢してきた」
よくある話だ、とメンカは思った。
何の責任も負わないのをいいことに、横から他人の人生決定に口を挟む連中。
同情してやる必要はないよ、とスゥは薄く笑う。
「そうしている間にあの女は、全部あたしが悪いことにした。7T-271-28が生まれてきたから自分は余計な苦労をする羽目になった、あいつさえいなければって。でもって、父さんを追い出したのと一緒に、母さんは娘を捨てることにした。精神的な意味で」
メンカが生まれた時点で、母親は母親としての役割をほぼ放棄していた。
あれにはこういう経緯があったのか、とメンカは納得する。
もっとも、納得したところで許す気は毛頭ない。
母につけられた火傷の痕とその時の痛みは、今もしっかりと刻み込まれている。
「……なんでこんな記憶、見せたの?」
「姉ちゃん、昔知りたがってたじゃんか、父さんのこと」
「あなたがずっと隠してたわけがわかった。でもこう、もっといい思い出、ないわけ?」
「ないよ」
スゥは即答する。
「父さんはさ、同じ考えの奴等とつるんでる方が、家族といるよりずっと楽しかったんだ」
あたしがもっと賢くて、父さんの話を理解できて、そのうえで父さんをヨイショしてやれれば、話は別だったかもだけどね――とスゥは苦笑する。
「……姉ちゃん」
「なに?」
「あたしは、家族が――いや違うな、あたしを必要としてくれる人が欲しかった。だから姉ちゃんを作った。あたしに守ってもらわなきゃならない弱い存在で、同時にあたしが甘えられる存在」
「だから妹じゃなく、姉だったわけ」
「あたしは、辛いのは自分の方だけだと思ってた。姉ちゃんの辛さなんて考えもしてなかった。母さんを悪く言えないな。勝手に不幸ぶって、他人に迷惑かけて……」
「……それでも」
それでもメンカはちゃんと見てきた。スゥが自分を守ってきたことを。
たとえ発端が我が身可愛さであろうとも、今はちゃんとメンカを対等の人間として、守ってくれている。
「あなたが守ってくれたから、わたしはここにいるんだよ」
「姉ちゃんは、まだあたしと家族でいてくれる……?」
もしメンカが自分を許さないのならば、自ら意識の底に沈み、2度と浮き上がるまいとスゥは決めていた。
かつてゼツトーリョーが持ちかけてきたような『治療』を受けてもいい。
この身体も
仮に姉がスゥには承服できないような死を選んでも、決して異を唱えるまい。
死刑判決を待つ囚人のような顔のスゥに、メンカは困ったように微笑んだ。
「馬鹿。そんなの当たり前でしょう」
メンカはスゥを抱きしめる。
「新しく生んだ人格に辛いことを押しつけることもできたのに、あなたはそうしなかった。自分が辛いことを引き受けようとした。そんな優しいあなたを、嫌いになるはずがないよ」
その代わり、とメンカはスゥの瞳をじっと見る。
「言ったでしょう。もう、どっちがどっちのために辛いのを我慢するとか、なしにしよう。2人で助け合うの」
姉妹は額を重ね合わせ、瞼を閉じた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
――そうして、メンカは固い床の上で目を覚ます。
CATのキャビン、そのベンチの上だった。微かな振動。移動している。
微かに異臭。獣臭さを煮詰めたような、洗ってない犬のような。
「ん、目ェ覚めたか」
ピンクがメンカを覗き込む。
「わたし……生きてる……?」
「ラーディオスが新しい形態を発動させたんだ。今度は赤い、見るからにタフなやつ。それで砲火の衝撃に耐えた」
そこは覚えている。
スゥが動かしたのに、何故ダークグリーンの姿ではなく新しいものになったのか。
(きっとあたし達の仲直りの記念に、ラーディオスが気を利かせてくれたんだよ)
(……そうね)
まだ疲労が身体に残っている。
スゥの考えは都合のよすぎるものだが、今はそれでいいとメンカは思った。
「……それで、今は……?」
「まずはキャンプTに帰還中だ」
ブルーの声。
気絶している間に防護服は剥がされていた。
今、自分が下着みたいな格好でいることに気づいたメンカは、反射的に腕で身体を隠す。
「痛ッ!」
動かした腕に痛みが走る。肘の辺りには包帯が巻かれていて、赤く血が滲んでいた。
「ラーディオスから降りたときに、木っ端か何かで切ったんだろうな。あと、おまえみたいなガキに欲情する奴なんていねえから、気にすんな。それより、あれ、何かわかるか?」
「あれ……?」
ブルーがキャビンの奥を指差す。
それを目で追ったメンカは息を呑んだ。
簡易組み立て式の小型檻に、あの『犬人』が1体、放り込まれていた。
衣服が違うので、絶遠が連れて行ったのとは別個体とわかる。
先程から感じていた異臭は、それから放たれていた。
鼻を覆ったメンカに、「たまらねえよな」とブルーが苦笑いを浮かべる。
「おまえを回収した場所の近くに倒れていた。面倒だから放っていこうって言ったのに、173が」
「いいだろ」
ピンクは膨れっ面をした。
ペスに似てたんだよ、と口の中でモゴモゴと呟く。
飼っていた犬の名前らしい。
「ま、ハビタットに送ればいい研究対象になる。俺達の評価点にもなる――」
そう言って意味もなく窓の外を見たブルーは、顔を強張らせた。
「おい……。道が違うぞ」
いつの間にか、窓の外は砂漠ではなく、雑木林の中を走る荒れ果てた道路となっていた。
「班長、道、間違ってますよ?」
運転席のレッドに声をかけるピンクだが、返事はない。
車は未知の領域に向かって走り続ける。
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