激闘の沼


 湖の中央にボコボコと大きな泡が立つ。

 そこから、成人男性の胴体ほども太さのある蔓が身を伸ばした。

 周辺の天をつくような木々にも負けないほどに伸びたそれが、ラーディオスの背を襲う。


「メンカ!」

「!?」


 せっかく高感度のセンサーを持ちながらも、物思いにふけっていたメンカは対処が遅れた。

 蔓が背中を強かに打ち、銀の巨神が前のめりに倒れる。

 その手から少年が投げ出された。


「あっ」


 倒れたラーディオスのすぐ目の前の地面に、少年の小さな身体が叩きつけられる。

 その背骨が折れ曲がるのを、巨神の視神経はしっかりと捉えた。


「あ……ああ……」


 メンカの力なく開いた唇から漏れる、意味をなさない呻き。

 それを聞いて、スゥの胸は喜びに弾む。


(やった……!)


 少年の死はメンカにとって辛いものだ。

 これで今度こそ、メンカはスゥに全てを任せ、心の奥に引きこもってしまうに違いない。

 もう2度と表に出て来ようとはすまい。


 そうなれば全てが元通りだ。

 スゥはメンカの代わりに表に出て、全ての痛みを引き受けられる。

 大切な姉を守り、自分が生まれた意味を果たすことができる。


 だけど、そうはならなかった。


 奥歯を噛みしめ、涙を浮かべ、血が滲むくらい拳を握りしめるほどの悲しみに襲われてなお、メンカは魂の座を譲り渡そうとはしなかった。


「なんで!?」


 予想が外れたスゥは混乱する。


「全部あたしに任せればいいんだよ、姉ちゃん! 辛いことや失敗は、全部あたし。そうすれば姉ちゃんは楽でいられるんだよ!?」

「…………」


 巨大蔓の第2打が放たれた。蛇のように襲いかかるそれを、ラーディオスは転がって回避。

 それに巻き込まれた木々が薙ぎ倒される。

 山火事でも起きたかのように巨大な土煙が立つ。


「あたしなら平気さ! 班長が言ってたじゃないか、生まれ持った役割だよ! だから!」

「……なにが、生まれ持った役割、だ!」


 メンカが吐き捨てた。


「誰が決めた役割だ!? 神か、仏か、それとも悪魔か! そんな奴等、まとめてラーディオスで葬ってやる!」

「姉ちゃん……?」

「定められた役割だろうが、偶然降りかかった不運だろうが! 大事な人が苦しんでるのを見るのが辛くないわけない!」


 メンカはアロンズケインを引き抜いた。

 それは柄を伸ばし、ラーディオスの背丈よりも長いロッドとなる。

 気合とともにそれを振れば、動きを阻害する周囲の木々は根こそぎ倒壊した。


「人に裏切られるのはそんなに辛くない。わたしが勝手に期待して、当てが外れたってだけだから。失敗するのも仕方ない。わたしは万能に程遠くて、できることでも時にはできないって、それだけだから。でも、わたしが傷つかないために大切な人が傷つく辛さには、耐えられない……耐えられるようになりたくない!」

「…………」


 スゥは言葉を失う。


 飛んでくる巨大蔓をロッドでなぎ払うラーディオス。

 械獣は標的をロッドに変えた。心棒に絡みつき、巨神から武器を奪い取ろうとする。


 けれどそれはメンカの狙い通りだった。

 手首ごとロッドを回転させれば、蔓が一房に巻き上げられる。

 すかさずアロンズケインを大地に突き刺す。

 蔓の動きを封じたメンカはパルマ・ジャヴェロットを発射。

 熱線が蔓を断ち切る。


 しかしそれは、瓶子草械獣にとってたいした損失ではなかった。

 先程断ち切った分の何倍もの蔓が湖から飛び出す。避けきれない。


「がッ……!」

「姉ちゃん!?」

「……この痛みも、本来わたしが受けるべきものだ……。わたしが人格までこしらえて逃げたから、スゥはずっと……!」


 転倒したまま、ラーディオスは湖を撃つ。

 水蒸気爆発が起こり、蔓の何本かが宙を舞ったが、手応えはないに等しかった。


「水中ではビームの威力が大きく減衰する。械獣相手には有効打にならない」と辺村。

「近づいて引っこ抜くしかないの……?」

「もしくは、ラピサー・ソリスルクスで湖水ごと蒸発させるかだ」


 蔓が巨神の四肢を拘束。メンカはラーディオスを粘液化させて脱出。


「液状化したまま、湖底まで行けないか?」

「やってみる!」


 結論からいうと、できなかった。

 粘液形態は数秒しか維持できないらしい。

 湖の手前で、ラーディオスは元の姿に戻ってしまう。


 待ち構えていたように、無数の蔓が銀の巨神を襲った。

 複雑な軌道を描いて振り下ろされる鞭は、光速で放たれるメーサーとは別の意味で避けづらい。


「耐えろ、はね飛ばされるな。敵は目の前なんだ!」


 ラーディオスを押し戻そうとする蔓の猛攻に、メンカは足を踏ん張って耐える。

 巨神の感じる痛みは少女の身体にも伝わっていた。


(……痛い)


 許してくれと懇願したくなる。

 あなたたちの命を奪いに来てすみませんでした。もう2度としません。

 そう言って逃げ出したくなる。


(こんな辛いことを、わたしはずっとスゥに押しつけていた!)


 自分が妹のために払った心の痛みなんて、身体に降りかかる苦痛の百分の一にも満たない。


 頭をかばった両腕は、打たれすぎてもう感覚がなくなっている。

 蔓の先端が頬をかすめた。皮膚が切り裂かれる感覚。


(それでも、スゥが苦しむよりは遥かにいい……!)


「やめてよ、姉ちゃん、やめて!」


 勝手に流れ落ちる涙は、スゥが零したものだ。

 メンカがスゥの傷つく姿を見たくないように、スゥだってメンカの傷つく姿に心を痛めずにはいられない。


「でも、スゥが気に病む必要はないんだよ。だって――本来、この痛みを受けるべきはわたしだったんだから」


 幼い自分の弱さが、痛みを押しつけられるだけの理不尽な人生を妹に与えてしまった。

 スゥには本来、痛みを受ける筋合いなどなかったのだ。

 逆にメンカが傷つくのは至極当然のことである。


(ずっとあなたにすまないと思ってきた。でも、自分の背負うべき痛みを自分だけで耐えられるようになったら――)


 その時こそ、自分達は本当の姉妹になれるはず。

 メンカはそう信じている。


 すり足で大地をならすようにして、銀の巨神はわずかずつゆっくりと、しかし着実に湖へ近づいていく。


「あと、ちょっと――!」


 やがて爪先が、湖水に浸った――が。


「ぎゃっ――!?」


 これまでと違う種類の痛みが、メンカに悲鳴をあげさせた。

 ラーディオスの爪先が溶け崩れている。


「あ、足ッ……、足が溶けて……!」

「オアシスの水が強酸に変わっているのか!?」


 瓶子草サラセニアは食虫植物だ。

 名前通り瓶子へいしのような筒状の葉を持っている。

 その底には液体が貯まっていて、入り込んだ昆虫エサを溺死させ、内部に繁殖する細菌によって分解吸収する仕組みだ。


 械獣サイズに巨大化したことで、その消化液はもはや湖と同化していた。


 倒れたラーディオスに蔓が巻き付き、投げ飛ばす。

 間合いは振り出しに戻った。


「メンカ、歯を食いしばれ」


 溶解液の効果は足首にまで進行している。

 辺村は右足の切り離しパージを実行。

 足首の関節が爆発し、そこから先が脱落する。


「…………ッ!」


 切り離された足はもはや足の形を留めていなかった。

 小型犬ほどの大きさの芋虫めいたものが群れだって齧り付いている。

 細菌が械獣化したものだろう。


 メンカはパルマ・ジャヴェロットで足ごと細菌械獣を消し飛ばした。


 これからどうすればいい?

 遠くからのビーム攻撃は湖水に阻まれる。

 溶解液のおかげで接近すらできない。


「何してる、ラピサー・ソリスルクスで一気に吹っ飛ばせばいいだろう」

「駄目だよ……。ベムラハジメは昔のこと、知りたいんじゃないの?」


 ラピサーを使えば1発だが、それではラボも吹き飛んでしまう。


「……馬っ鹿野郎、変な気を回すんじゃねえよ。ちょっとときめいただろうが」

「ごめん、それには応えられないかも」

「ちっ。だがまあ、あれだ! 気にするこたぁねえ! やっちまえ、メンカ!」

「わかった!」


 メンカはラーディオスを上昇させた。

 蔓の届かない場所でラピサー・ソリスルクスを起動させる。


『1st Instance......Guilty――』


 その時だった。

 オアシスが、大爆発を起こしたのは。

 そして膨れあがった火球は、ラーディオスをも呑み込んだ。


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