お休み前の怪談

夏炉冬扇

ツーリング

 土地勘が無いというのは、よくよく考えてみると怖いものでして、知らず知らずのうちに、その土地の曰く付きの場所へ踏み込んでしまうなんて事が稀にあるものです。

 これは、そんな土地勘が無かったが故に怖い思いをしてしまったという話。


 以前、私が施設警備の仕事をしていた際、毎回決まって同じ自販機業者の若いお兄さんが出入りしていまして、まあ、仮にその人を高橋さんと呼ぶ事にしましょうか……。

 その高橋さん……。私とは色々と話も合う事から、お互いに仕事中でありながらも非常に親しくさせて頂きまして、毎回来る度に二、三十分は雑談してるというのが日課のようになっておりました。

 どうせ時間内に決められた場所を回っていれば良いとの事で、私の勤めている施設でひと通りの作業を終えると、あとはのんびり警備室の窓口に座っている私とお喋りしてるんですね。

 時には賞味期限が近い飲料を「持って帰っても廃棄するだけですから、もし宜しければ」と我々に差し入れてくれたり……。

 気さくで明るいお兄さんなので、私も話し始めると、ついつい楽しくて話し込んでしまったものです。


 そんな高橋さんの趣味はというと、バイクが好きで、休みの日はちょくちょくツーリングに行くのだそうです。

 ただ、彼は私と知り合う二年程前に神奈川県に出て来たそうで、もともとは北海道の方なんですね。それ故、神奈川県内の名所だとか道路などは、まだまだ知らないところも多いわけです。


 ある日、例によって自販機の飲料補充の為に高橋さんがやって来ました。

 しかし、この日はいつもと違って随分とやつれてしまってる。


「あ〜、お疲れ様で〜す。なんだか随分とお疲れのご様子ですねぇ」


 いつものように私が笑顔で挨拶をすると、高橋さんは力無く微笑を浮かべて、少し困った表情を見せました。


「いやぁ、ここのところ、あまり眠れてないんですよ」

「え〜? 不眠症ですか?」

「いや、そういうのじゃなくて……寝る時間は電気点けっぱなしにしてるか、電気消しても無音にできないんですよ」


 随分とおかしな事を言うものだと思いました。

 そりゃあ、寝ようとしてるのだから部屋の明かりを煌々と点けていたら寝つきづらいでしょうし、電気を消しても音楽をかけてるそうなんですよね。

 眠る気があるのかと思ってしまう。

 でも、どうもそうじゃないらしいんですよね。


「何かあったんですか?」

「う〜ん……」


 彼は事の次第を話してくれました。


 遡る事ひと月ほど前の事らしいのですが、高橋さんは久しぶりの二連休という事もあって、愛車でもって大好きなツーリングに出かけたそうです。

 翌日も休みですからね。少しのんびりと昼頃から自宅のアパートを出て、


「さぁて、どこへ行くか……」


 と、アテもなくバイクを発進させました。


「なんだったら知らない道でも走ってみようか」


 どうせ時間はあるんですからね。

 新規開拓とでも言うんでしょうか。今まで通った事のない道を行ってみたいという衝動に駆られたんでしょう。

 スピードを上げて知らない山道をどんどんと走って行く。

 季節はというと、もうそろそろ初夏という時季ですから風を切っても冬みたいに肌に突き刺さるような寒さもなく、寧ろ気持ちが良い。

 くねくねとカーブの多い道の両脇には青々とした木々が生い茂り、天気も良いですから、その間から射し込む日の光が何とも言えないんですよね。

 まさに絶好のツーリング日和というわけです。

 知らない道をひた走って帰り道が分かるのかという心配が全く無いというわけではないのですが、まあ、山を降りて大きな通りにでも出れば自分がどこにいるのかも凡そ見当がつきますし、そこからなら多少時間はかかっても自宅へ帰る事が出来るだろうと、そんなに不安は感じてなかったそうです。


「あ〜、ここの景色は最高だなぁ」


 なぁんて、時々木々の途切れた場所から遠くに見える街並みを望み、バイクを止めては景色を楽しむ……。

 ツーリングの醍醐味ですよ。


 やがて、そうこうしているうちに、だんだんと日が傾き始めました。

 まだまだ山の中を走っているのですが、翌日が休みなので時間はあまり気にする必要もない。

 でも、高橋さん……連日の仕事の疲れが溜まっていたのか、バイクを走らせながらも、どうにも眠くなってきた。


「参ったなぁ。どこかでひと休みした方が良いかなぁ……」


 眠気をもよおしてる状態でバイクを走らせるというのは、いくら車通りの少ない山道といっても危ないですからね。

 どこか仮眠の取れそうな場所がないものかとバイクを走らせ続ける。

 そのうち、とある峠に差し掛かったところに広い駐車場が見えて来ました。


「あ〜、こんなとこに駐車場あるのか。ここで少し休んでくか」


 見れば近くに公園らしきものもあるし、登山道が近いようなので、日中はその駐車場を利用してる人も多いようなんですね。

 でも、さすがに辺りも暗くなって来ている時間帯。駐車場には一台も止まっておらず、高橋さんの一人貸切り状態ですよ。

 高橋さんはというと、その駐車場へバイクを止め、あまりにも眠かったですから、バイクに跨ったまま、ハンドルに突っ伏すようにして、そのまま眠ってしまったそうです。


 本人にしてみれば、ほんの二、三時間の仮眠のつもりだったんでしょうねぇ。

 ふと目が覚めると、東の空が白んで来ている。

 季節もそこまで気温の下がる季節じゃありませんし、バイクでツーリングという事もあって少しは厚着をしてましたからね。どうやら疲れと丁度良い気温ですっかり明け方まで熟睡してしまったようでした。


「随分と長く寝ちゃったなぁ。こんな不自然な体勢だったのに……」


 何時間もずっとバイクに跨ったまま寝ていたわけですからね。

 目が覚めたとは言っても、何となく体が重い。

 きっと、そんな姿勢で寝てたからだ……と、この時は気にも留めていませんでした。


 結局、その日は無事に自宅へ帰って来られたわけですが、次の日はまた仕事という事もあって、


「今日は少し早めに寝るか」


 と、部屋の電気を消して床に入りました。

 まだ体の怠さが残っていた事もあってか、やがてうつらうつらとして来たところ——


 タッタッタッタッ……


 何やら足音がする。


(隣の部屋か? ヤケにデカい足音立てるなぁ……)


 こっちはこれから寝ようとしてるのに妙に足音が気になって眠れない。


 タッタッタッタッ……タッタッタッタッ……


(ん? 待てよ……?)


 おかしい……。

 足音が近いんですよね。

 どう考えても、それ……自分の今いる部屋の中でしている。誰かが部屋の中を行ったり来たりして歩き回ってるとしか思えないんですよ。


 タッタッタッタッ……タッタッタッタッ……


 高橋さんは怖くなって枕元に置いてある電気スタンドをスイッチを入れました。

 室内が枕元を中心に白くぼんやりと照らされる。


 誰もいない……。


(やっぱり隣の部屋かな?)


 気のせいかと思い、また電気を消して目を瞑る。

 するとまた……。


 タッタッタッタッ……


 やっぱり自分の部屋の中で何者かが歩いてる音がする。それも遠ざかったかと思うと再び自分の枕元の辺りまで近づいて来るんですよ。


 タッタッタッタッ……タッタッタッタッ……


 こんな事が連日のように続き、高橋さんはすっかり寝不足になってしまったそうです。


「電気をつけてたり、電気を消してても音楽をかけてれば足音はしなくなるんですけど、真っ暗にして無音にしてると出て来るんですよねぇ……」


 高橋さんは心底困った様子でした。


「で、あとで職場の同僚から聞いたんですけど、僕がツーリングで仮眠取った場所あるじゃないですか。あそこ……ヤビツ峠っていうらしいんですよね」

「ああ……」


 その地名を聞いて私も察しましたよ。

 だってそこ……ヤビツ峠といえば神奈川県内でも有名な心霊スポットですからね。

 知らなかったとはいえ、随分と嫌な場所で仮眠を取っていたものです。


背負しょって来ちゃったんですかねぇ……」

「そうみたいなんですよね……」


 事故みたいなもので私も気の毒には思いましたが、彼の部屋に行った事も無いですし、私が行ったところで対処できるとも思えませんでしたからねぇ。

 一度、お祓いでもして貰った方が良いかもしれないという事だけ伝え、高橋さんも「そうですねぇ」と答えて、その日は別れました。


 後日、再び高橋さんがやって来たのですが、その時は私の知らない若手の方も一緒にトラックに乗って来ました。


「お? 今日はお二人なんですね」

「実は……この仕事、辞める事にしまして……今度から彼が来る事になりましたんで、よろしくお願いします」


 精一杯明るく振舞っていましたが、高橋さんは見るからに以前にも増して憔悴しきった様子でした。


「そうなんですかぁ。折角、楽しい話し相手が出来たのに残念です」


 これは私の本心でした。

 彼が来るのを毎度楽しみにもしてましたからね。

 高橋さんはバイク好きが高じて、神奈川県内でバイクのディーラーの仕事が決まっていたとの事でした。


 しかし、その後……彼は鬱を患い、そのディーラーの仕事も断って郷里である北海道へ帰ったそうですよ。

 私は彼と連絡を取るすべも無かったので、心配ではありましたが、彼が北海道へ帰った後の事は分かりません。

 北海道まで持ち帰っていなければ良いのですけどねぇ……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る