二幕:覚醒 4




「なんという……なんということだっ!」


 男が一人、驚嘆の声を上げていた。

 仮面で覆われた瞳を見開き、男は驚愕に顔を歪ませる。戦慄する身体を落ち着かせるように蹲り、嗚咽にも似た声を吐き出す。


「まさか、まさかアリキーノが敗れたというのか? ただの夢幻体に?」


 それは俄かに信じがたいことだった。

 鋼鉄の怪物。この都市の人間がエネミー・オブ・クロームと呼ぶ、彼の生み出した愛し仔――悪しき爪マレブランケ。その一柱たるアリキーノが、無力な夢幻体に敗れたなど。

 しかし今、このノスタルギアに響き渡ったあの声。

悲痛なる断末魔は、間違いなくアリキーノが上げたものである。

 ならば、それが意味するところを、彼は誰よりも理解している。故にこそ彼の困惑は余人の理解をはるかに上回るものだった。


「……信じ難い。信じ難い!」


 唇を噛み、男は苦悶する。しかし、それも僅かの間のこと。


「……ふむ。聊か、取り乱しすぎたようだ。申し訳ない」


 誰にともなく、彼は謝罪の言葉を口にした。あるいは、そこに彼以外の何者かがいるのか、もしくは彼にのみ聞こえる何かがあるのか……


「しかし、興味深いではないか。現界より招かれし魂の器。ただそれだけの存在であるはずの夢幻体が、アリキーノを打ち破れたのは何故か?」


 芝居がかった口調で語る男は、眼下に広がる鋼鉄の都市を睥睨し、微笑する。


「それとも……あるいはこれもまた、あの方の意思なのだろうか?」


 物思いにふけるような口調と共に、男は振り返って頭上を仰ぐ。


 ――ゴゥン……ゴゥン……

 ――……ゴゥン……ゴゥン


 男の視線の先には、鈍い駆動音を響かせる巨大な蒸気機関があった。


「――ああ、師よ。もうすぐです。もうすぐ、我々の手によって階差機関は動き出す。今回はイレギュラーがあったようですが、問題はありません。基本機構はすでに成り立っている――一つ欠いた程度、幾らでも調整が利く……」


 くつくつと、男が嗤う。


「だからあと一つ。あと一つで、すべてが整う――だから、次はしっかりと用意してくれたまえ」


 誰にともなく、あるいは姿なき誰かに向けて、男が――観察者ディサイポルが言う。



 ――……ザ…………ザザザ……ザ……



 ノイズが、頭上から響いた。

 巨大な蒸気機関から零れる微かな音に、観察者は笑った。


「素晴らしき哉。素晴らしき哉。再誕の時はもう間近。階差機関ディファレンス・エンジンの下――遍く世界は、漸くあるべき形になる!」



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