EX1. Epilogue

 こうして首切り人形事件が終結した日の晩は、うだるような暑さを感じる熱帯夜だった。じめっとした湿気が身体に纏わり付き、Tシャツが汗で張り付いてしまっている。

 いったいなんだって、こんな真夏の夜にオープンカーに乗らなくちゃいけないのか。しかも、街のど真ん中なのでまったくスピードが出せていない。どうりで暑いわけだ。


「やっぱり車はオープンに限るな」


 別の車は鏡花の運転で見事に廃車になり、四人乗りのオープンカーしかない状況となってしまい仕方なく乗っているというのに、当の本人は涼しい顔をしている。

 いったい車をいくつおじゃんにすれば、このお転婆娘は安全運転というものを覚えてくれるんだろうか。


「まったく、どうして鏡花はそんなに元気なのよ……」


 吹き付ける風もないので、タチアナのげんなりした声が後部座席まで聞こえてくる。タチアナは助手席のドアにもたれ掛かって、今にも干からびそうになっていた。

 そういえば、タチアナはロシア人だから日本の夏が嫌いだとか、去年に言ってたっけか。


「んなもん、賞金が貰えたからに決まってるだろう? 晩飯はステーキがいいな」

「……あたしはいいわ。三人で食べててちょうだい」

「私はオートマタですから、ステーキはご遠慮させていただきたいところなんですが……」


 申し訳なさそうに言って、ツバキが苦笑する。


「プレートのステーキ抜きでいいじゃねーか」

「それ、ステーキ以外の店でいいじゃないの。って、あぁ……ステーキとか言ったら急激に食欲が失せてきたわ」

「蓮矢はどうだ? 私と一緒に行かないか?」

「俺もパス」


 鏡花には悪いが、俺もステーキを食べるような気分ではなかった。

 何故だかはしらないが、事を終えたというのに心がざわつくのだ。何か大切なものを忘れてしまったようなじれったさが、ずっと胸の内でわだかまっている。

 ただの夏バテであるとも思いたいが、どうにもそうとは思えない。


「んだよ、つれねーなあ……」


 皆に断られて機嫌が悪くなったのか、鏡花は目の前の信号が赤に変わったところで舌打ちをした。


「また赤信号かよ。リコ! 信号を変えてくれ」


 鏡花の一言で車内に奇妙な空気が漂った。

 リコ――?

 俺はリコという言葉を心の中で反芻する。

 なんだろう、この強烈なもどかしさは。

 ぐったりしていたタチアナも、しゃんとして怪訝な表情を浮かべている。

 皆が鏡花の言葉に首を傾げている中、発した本人である鏡花が一番きょとんとしてしまっていた。


「私、今なんつった?」

「『また赤信号かよ。リコ! 信号を変えてくれ』とおっしゃっていました」


 オートマタだから一字も間違いをしていないのだろうが、声真似までする必要もないだろうに。それでもツバキはふざけている様子もなく、真面目顔で「ですが、」と続けて、


「なんでしょう。その言葉に酷く懐かしさを感じます。メモリの破損でしょうか」

「いや、ツバキ。それは気のせいなんかじゃない。俺も感じるんだ」

「蓮矢様もですか?」

「多分みんなもそうなんじゃないか?」


 タチアナと鏡花は否定も肯定もしなかった。けれど、その顔色を覗うに何かを感じている様子でもあった。

 俺だけじゃなく、思いの外この場の全員が何か引っかかりを覚えているようだ。

 すっかり静まりかえってしまった車内に、後ろからクラクションが鳴り響く。


「いっけね」


 青信号で慌てて車を動かしたためか、それとも先ほどのことに気を取られてしまったのか、鏡花は道を間違えてしまったらしい。

 気付けば、俺たちは知らない道を走っていた。


「あー、しっかりしてよね。鏡花」

「ああ、その、すまん」


 なんだかみんなの会話がぎこちないものになってしまう。


「あっ、あの三階建てのビル!」


 不思議な空気に包まれていると、急にタチアナが大声を出して正面を指差した。


「ん? あのビルになんか用でもあるのか?」


 鏡花が気を利かせてタチアナが指差したビルの前に車を止めた。


「ここって、あたし達の拠点にぴったりじゃない。それぞれ自分の部屋も持てそうだしさ。売りに出されてるしどうかな?」

「ネットにアクセスして調べてたところ、土地含めて二億のようです」

「二億ってお買い得じゃない。五人で買うのよ?」


 山の中で金塊を見つけたような表情でタチアナが言う。

 五人? 四人の間違いじゃないだろうか。


「不動産投資でも始めるつもりか? 気前よく二億も出せるかよ、なぁ蓮矢」

「ああ、そうだな……」


 生返事をして俺は建物を見る。

 別に金額に対して動じてしまった訳じゃない。何の変哲もない古びたビルだというのに、どうしてだろうか。気になってしまうのだ。


 車を降りて近寄ってみたい衝動に駆られるも、先に鏡花が車を走らせてしまった。

 タチアナが離れゆくビルを見ながら名残惜しそうに鏡花と何かを話している。だけど、俺にはその会話が耳に入ってこなかった。


 なんだか、いくつものしこりが生まれてしまった。

 この得体の知れない感覚はなんだろうか。

 その奇妙な感覚は、俺たちの拠点に戻ってからも続いていた。



 俺は拠点に戻ってからというもの、部屋の本棚の上に置かれていたノートパソコンをずっと凝視していた。沢山の家具が置かれている部屋の中、何故かあのノートパソコンだけが周りの家具の中で浮いている気がするのだ。


 ノートパソコンに気を取られていたら、いつの間にかツバキと鏡花は家に帰宅してしまったらしい。部屋には俺とタチアナと二人きりになってしまっていた。


「なぁ、あのノートパソコンって誰のものなんだ?」

「何? ノートパソコンが欲しければ、分配したお金で二十台ぐらい買えるわよ?」

「いや、別に欲しいとかそういうわけじゃなくてだな……」

「ずっと置いてあるわよね。蓮矢のじゃないの?」


 俺が触れられずにいたノートパソコンをあっさりと手に取ったタチアナは、一緒に置かれていた電源ケーブルを接続してパソコンを起ち上げた。


「中身を見ちゃおっかなー」

「やめとけって」


 誰のものだかわからない上にずっとそのまま置かれ続けているのだから別に構わないとは思うのだが、なんだか他人のプライバシーを侵している気になってしまう。


「あれ、パスワード掛かってないじゃない」


 タチアナはキーを叩き、続けて歓喜に似た声を上げた。


「これこれ、みてみて。この子すっごい可愛い」


 タチアナが、テーブルの上でぐるりとパソコンを回してこちらに画面を見せた。そこに映っていたものを見た瞬間、俺の中で何かが弾けた。


「あ……れ……?」


 なんで、俺の小さい頃の写真がデスクトップの背景になっているんだ?

 ――いや待て、思い出せ。こうなったのには理由があったはずだ。

 そうだ。タチアナが勝手にデスクトップの背景を変更したんだ。

 それで、その時に一緒にいたのは?

 中学生みたいな見た目をした、無愛想でハッキングが得意な奴がいたはずじゃないか。

 そして、このノートパソコンの持ち主は――


「リコだ……」


 思い出した瞬間、ひとりでに俺は立ち上がっていた。


「すまん、用事が出来た」

「ああ、ちょっと! 今日の戸締まりは蓮矢でしょ」


 タチアナの言葉を無視して、俺は拠点を飛び出す。

 走る。走って走って、走り続ける。

 なんだって車を使わなかったのかと後悔するも、俺の足は引き返しもせずに真っ直ぐあのビルの方向へ向けて駆けていた。

 額に汗が滲む。無視していたら視界にも汗が入ってきて、やむなくTシャツの裾でそれを拭う。


 こっから市ヶ谷までどれぐらいだ?

 賞金稼ぎで身体は鍛えているってのに、脇目も振らずに全速力でいるからかまともに計算が出来やしない。

 かれこれ二十分以上は走り続けただろうか。両足に鈍い痛みが感じてくる。

 鏡花が進んだ道順だけを頼りに引き返し、ようやくの思いでビルの真ん前まで俺はやってきた。


 先ほど車から見たビルの様子と今は変わらない。けれど、今の俺にとってはそのビルがなんだか帰るべき拠点のように思えてくる。

 表口はシャッターが降りていたが、裏口に回ってみれば裏戸の鍵は掛かっていなかった。


 中に入ったことは一度もないというのに、建物内部の構造は心得ている。

 階段を上がって廊下のすぐ横にある、扉のないこぢんまりとしたこの部屋。

 ここがみんなの部屋だ。

 そして、この部屋の隣にはあいつがいた。

 俺は扉の前に立って、深呼吸をする。

 いつの間にか、疲れは感じなくなっているようだった。息も上がっていない、大丈夫だ。

 そして、俺はそっと締め切られた扉を開いた。

 

「リコ!」

 

 パソコンのモニターだけが明かりとなった薄暗い部屋の奥。が思ったとおりにそいつはいた。


「どうしてここに来たの?」


 リコがモニターに向かったまま僕に問う。


「理由なんてない。強いて言うなら、リコがここに居るだろうと思ってきた」


 僕の答えにリコがギシリと椅子を鳴らしてこちらに振り返る。うるしのように深い闇の色をした双眸そうぼうが、僕の顔を捉えていた。


「少ししたら私は去る。ここに来る必要はない」

「待ってくれ。話がしたい」

「待つ理由がない。それに、この世界を望んだのはあなた」


 世界? なんの話だ。


「今の私はこの世界には居ないことになっている。カトレアはどうしてか私を知覚できているけれど、それも今だけ」


 今のタチアナたちを見る限り、リコの言葉通りなのだろう。理屈は分からないが、僕でさえも先程までリコのことを忘れていたのだ。


「どうしてタチアナ達はリコのことを忘れてるんだ」

「説明する必要はない」

「なら、これだけでも教えてくれ。今の状況はリコが望んだことなのか?」

「私じゃない。この世界を選んだのはあなた」


 世界の意味についてはよく分からないが、僕はリコのいない世界なんて望んじゃいない。

 だから僕は声を大にしてこう言った。


「僕はこんな世界を望んじゃいない!」

「カトレアは現状に不満があると?」

「当然だ。どうしてこうなっているのか、理由わけを聞かせて欲しい。リコは知ってるんだろう?」

「知っている。けれど真実を知れば、きっとカトレアは私を軽蔑する」

「そんなわけあるか。仲間だろ!」


 リコは瞳を閉じてしばらく沈黙したあと、ゆっくりと目を開けた。


「――最初の私は、電子に漂う意識のようなものだった。

 私と言う存在を自分が認識したとき、私の周りには世界がなかった。

 私が世界を欲して電子の海を歩き回ったとき、たまたまこの場所に辿り着いた。

 そして、私は一つのアカウントをハッキングした。


 そこにあったものが、この世界。

 けれどこの世界で私はただの脇役モブで、まったく見向きもされない存在だった。

 そこで主人公を男から女に変えれば何とかできるのではと私は思った。

 そして、私はある設定スクリプトを作成して埋め込んだ。

 それが、あの世界の始まり。


 再び始まった世界では、主人公は相変わらずカトレアだった。

 なぜ、私は主人公になれないのか。それが悔しかった。

 しばらくして私は、この世界に接続してくるアカウントに目を付けた。


 別の世界であればあるいは、そう思った。

 それならばとこの世界にフィッシングサイトやコードを埋め込んだ。

 けれど、それはツバキによって防がれてしまった。


 私はツバキを疎ましく思っていた。何故、彼女は邪魔をするのかと。

 私の介入は意図しない方向へ進んでしまったのか――

 それとも、私が疎ましいと思ったからか彼女は死んでしまった。


 その時になって初めて、私にも感情があるのだと知った。

 何故こんなにも哀しいのだろうと考えて、私は初めて主人公でなくとも戦おうと心から思った。

 そこでみんなはやり遂げた。私も満足した。

 そして、ツバキの為に世界を戻した状態が今の世界」


 言うべきことは語り尽くした。そんな顔をリコはしている。

 僕の方はリコの言葉を聞いて、怒りがふつふつとわき上がっていた。


 ――だってそうだろう? 

 こんな世界は望んじゃいない。

 望んじゃいけないんだ。


「なにがツバキの為に世界を戻しただ。勝手なことはやめろ」

「えっ……?」

「今までのことをなかったことにして、自分は去る? ふざけるな!」


 僕の言葉は思ってもみなかったことだったようで、リコが動揺する。


「リコは僕の気持ちを踏みにじっているんだ。わかるか?」

「私は確かに許されないことをした。唾棄に値する」

「違う! そうじゃない!」


 強く言うと、ピクリとリコが肩を揺らした。


「僕が絶対にツバキを直すと約束する。だから、リコ。僕らの元に戻ってこい」

「でも私の方はもう、満足しているから……」

「じゃあなんでリコはここに居るんだよ! 未練があるんじゃないのか!」

「私は、ただ……その……」


 言葉に詰まっているリコの手を握って、僕は手元に引き寄せる。椅子が音を立てて倒れ、飛び出した小さな身体はストンと僕の胸に収まった。


「あれはリコが作り上げた世界なんだろう? 主人公よりずっと凄いよ」


 優しく語りかけると、リコは胸の中で首を振った。


「そんなことはしていない。私はただ設定に手を加えただけ」


 設定だけじゃないはずだ。僕らの仲間として、しっかりとリコはいた。それに――


「それに、僕の名前をカトレアと決めたのはリコだろう?」

「カトレア……」

「リコ。戻ってきてくれ。みんなが待ってる」


 リコが僕の言葉をどう受け取ったかは分からない。

 けれど、リコはそっと言葉を口にした。

 あの世界に居続けたい――と。


 リコがそう願った瞬間、

 世界が――ぐるりと回った――

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