第75話

 カチカチカチ……




 ようやく状況を理解した彩芽は、甲板で一人吐き終えながら考えた。


 このまま何もしなければ、今夜、時化が治まったタイミングでまた時間が戻る可能性がある。

 今は早朝なので、残された時間は推定で二十時間程度だろう。

 二十時間の間に、バトラ夫人だけでなく、同じ状況にある全員を助ける手立てを考えなければならない。




 第一に、バトラ夫人を始めとした体調不良の原因が分からない。

 同じ船に乗ってきた人と言う共通点が現状の最有力だが、決めつけるには早すぎる。


 第二に、原因が毒や病気にしろ魔法にしろ、人によって効き目が違う事だ。

 バトラ夫人は一番に調子を崩し、イラグニエフは知らぬ間に死んでいた。


 第三に、タイムリープ現象についてだ。

 恐らくと言うか、十中八九魔法が原因だろうが、何が原因か分からない。

 それが分からなければ、全員を救えたとしてもまた時間が戻ってしまう。




 彩芽は、そう言えばマンドレイクの保存溶液が漏れ出して猫が死んでいた事を思い出し、すぐに船の倉庫へと足を向けた。


 大時化の時に行った、あの時とは雰囲気が違い、窓から外光が差し込んでいる。

 入り口には、倉庫番をしているらしきフィンが、猫のリーンと遊んでいた。


 彩芽は、無事なリーンに手を振り、リーンが「ニャン」と答えると、フィンに気付かれる事無く、そっと倉庫に足を踏み入れた。


「確か、この辺に……」


 倉庫を進んでいくと、すぐに一番奥へと到着してしまう。

 しかし、木箱が壊れた積荷は見当たらない。

 どうやら、まだ木箱は壊れていない様であった。


 倉庫には、異常は見られない。

 どうやら、大時化の船の揺れか何かで木箱は壊れるのだろう。


 彩芽は倉庫番のフィンに気付かれずに倉庫を出ると、次はバトラ夫人の所在を探し始める。

 一番に体調を崩すのであれば、近くにいれば何か気付く事があるかもしれない。


 一等客室のある方へ向かうと、そこにはタンブル侯爵と船長の姿があった。


「あの! タンブル侯爵様!」


 彩芽は、勇気を出して侯爵に声をかけた。

 すると、タンブル侯爵は船長との話を切り上げ、彩芽の方へとやってきた。


「どこかでお会いしましたか?」


「あ、あの、奥様の友達の友達で、挨拶をと……」


「……妻の……それは……ふむ……」


 タンブル侯爵は、彩芽の言葉に、どうしようか悩んでいる風であった。

 元姫娼婦である妻の、友人の友人を名乗る女が突然話しかけて来た。

 それが良い知り合いなのかどうか、確信が持てない様である。


「失礼ですが、妻の友人と言う方の名前は?」


「す、ストラディゴス、さん、です……」


「……スト?」

「巨人の」

「ああ、彼なら私も以前、城で会ったことがあります……そう、彼のご友人、と言う事なら、まあ……」




 タンブル侯爵に案内され、一等客室の一つに招かれる。


「バトラ、ストラディゴスさんのご友人の、え~」


「彩芽と言います」


「アヤメさんが、お前に挨拶をしたいと」


「あら? あらあら、ストラディゴス様のお友達?」


 椅子に座ってゆったりと編み物をしているバトラ夫人の体調は、特に悪く無さそうであった。


「はじめまして、バトラ夫人。あ、え~えっと、身体の方は?」


「え? ああ、ありがとう、順調よ」

 そう言って、バトラは自分の腹を愛おしそうに撫でた。


 どうやら、まだ体調に変化は無い様であった。




 * * *




「あら、ストラディゴス様もこの船に?」


「はい。一緒にマグノーリャに」


 彩芽はバトラ夫人と船室で二人きり、会話を交わす。

 扉の外では、タンブル侯爵と小人族の青年の話声が聞こえるが会話の内容までは分からない。


「そう、それなら、どうしてあなた一人で? ストラディゴス様は?」


「え? あ、え~と、私一人の時にタンブル侯爵様を見かけて声をかけたので、深い意味は」


「ふ~ん」


 バトラ夫人はその点では、あまり気にしていない様であった。


「あ、あの、最近身体の調子が悪かった事とかありますか?」


「え? 別にないけど」


「そ、それじゃあ、変わった物を食べたりは?」


「特に思い当たらないわね。どうして?」


 彩芽は、有利に立ち回れるようにと思考を巡らせる。


「え、えっと、その実は、伝染病が流行っている噂があったんです。それで、私、不安で、みんなに聞いて回ってて……」


「伝染病!?」

 バトラ夫人は彩芽の口から突然、物騒な単語が飛び出し、目を丸くした。


「あと、実は船に積まれている薬が底をついているんです」


「アヤメさん、その伝染病って、危ない物なの?」


「聞いた話だと、最初は体調が悪くなって、気が付くと身体に斑点が浮かんできて……その、死んだ人もいます」


「斑点? 斑熱かしら?」


「あ、私、そう言うの詳しく無くて」


「……それで、私に話を?」


「はい……」


「私は大丈夫だけど、その話、あまりみんなにはしない方が良いわ。だって、薬が無くて、伝染病の人が乗っているかもしれないんでしょ? パニックになるわよ」


「あ、は、はい。そ、そうですよね。ごめんなさい……」


 バトラ夫人に諭され、彩芽は思わず謝ってしまう。

 だが、問題は確実にやってくる危険が、刻一刻と迫っている事である。


 憶測で危機感を煽っては、確かにバトラ夫人の言う通り問題がある。

 だが、確定事項であれば情報をオープンにして対処しなければならない。


「あ、で、でも、船にマンドレイクって薬草の積荷があって、船医さんがその薬は効くかもって」


「マンドレイク? 毒草の?」


「はい……あ、ああ、船に乗る時に誰かが話してるをの聞いたんです、けど」


「船医は、もう知っているのね?」


「え? あ、あ~、別の船の船医さんに以前聞いて……」


「バトラ、アフティラに着くぞ」

 タンブル侯爵が扉を開けてバトラ夫人に声をかけた。


「ええ、あなた……わかったわ。教えてくれてありがとう、アヤメさん。悪いのですけど、今はこの辺で。これから約束があるのよ」


「お約束、ですか?」


「ええ、夫の付き添いよ。港に着いたみたいだから、あなたも上陸するなら支度をした方が良いわ」


「あ、あの、ストラディゴスさんと、また会いに行って良いですか?」


「ええ、もちろんよ。町長様の御屋敷を借りて、そんな気取った物じゃないけど食事会をしているから、いつでも来て」




 * * *




「アヤメ、船の探検にでも行ってたのか?」


「なっ!?」


 船室に戻ると、ストラディゴスとルカラが上陸の支度をしながら、のんびりと待っていた。


 どうやら、彩芽が早朝に部屋を抜け出してから、船を彷徨っていたと思っているらしい。

 大間違いではないが、そんな小学生の少年を相手にしている様な態度をされるとは思わず、彩芽は心外だと眉間に浅く皺を寄せた。


「二人共、真面目な話があるんだけど」


「真面目な話?」


「なんですか?」


「私がタイムリープしてるって言ったら信じてくれる?」


 彩芽は、意を決して話を切り出した。

 もしも二人に事情を理解して貰えたら、協力して貰える事になる。

 それは、二十時間と言う短いタイムリミットの中では、事態を早く把握する為にも、大きな力となる筈である。


「……タ、タ何だって?」


「ごめん。言い方を変えるね。私は、多分、魔法にかかってて時間を戻ってるみたいなの」


「時間を戻る? どういう意味ですか?」


 ストラディゴスもルカラも、まるで彩芽の話がピンと来ていない。

 二人は、そもそも時間と言う物を真面目に考えた事も無ければ、時間を扱った科学やフィクションに触れたことも無い訳で、当然と言えば当然であった。


「私にとって、今日の朝は三回目なの」


「???」「???」


 ストラディゴスとルカラは顔を見合わせる。


「どういう事ですか?」


「ああ、俺も良く分からん」


 理解はしていない。

 だが、二人は彩芽の話を、真面目に聞いている。

 この姿勢は、この世界に魔法があるからこそもあるが、二人が彩芽を信頼しているからの方が大きいだろう。


「説明するね」




 彩芽は、今日の夜が来ると、明日の朝では無く、また今日の朝が来ると言う現象の中に彩芽がいる事を、二人に丁寧に伝えた。

 同時に、今日、これから、今まさに到着したアフティラから時化が原因で出られ無くなり、その間に大勢が原因不明の体調不良で倒れ、少なくとも一人は死ぬのを見た事も伝えた。


 彩芽の話を聞いた二人は、タイムリープと言う概念と、危機が迫っている事を理解してくれた。




「なあ、その話が本当なら、俺達は、その、もう伝染病にかかってるのか?」


 不安そうに彩芽に聞くストラディゴス、目で不安を訴えるルカラを前に、彩芽は一つの事に気付く。

 バトラ夫人が体調を崩すタイミングが分かれば、それで原因が絞り込めるかもと思ったが、その仮説は揺らいでいた。


 彩芽とずっと一緒にいたストラディゴスとルカラの身体に斑点が浮かんだと言う事は、二人はどこかのタイミングで感染している筈なのだが、彩芽は、一緒にいて何の違和感も感じなかった。

 食べ物も、同じものを食べているので、経口摂取の線は薄い。


 つまり、体調不良の原因が何にしても、それは観察していて「今感染した」と分かる類の物ではない可能性が高かった。


「わからない……」


 いつ襲い掛かってくるか分からない脅威。


 彩芽は、ヴェンガン伯爵が仕掛けていた呪いを思い出し、鳥肌が立った。

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