第70話

 タンブル侯爵の誘いを受け、夕食を共にする事となった彩芽、ストラディゴス、ルカラ、イラグニエフの四人。


 質素な港町の町長の家は、町一番の屋敷でこそあるが、修道院の様にまるで豪華さも派手さも無い。

 しかし、テーブルに並べられた振舞われる料理は、どれも海産物であるが、非常に美味そうであった。


「あ、魚のカルパッチョだ!」

 彩芽は、オイル漬けにこそされているが、生で食べられる魚を見て一人テンションが上がる。

 一方で、ストラディゴスとルカラは彩芽言うカルパッチョなる料理は知らないが、生魚を前に息を飲んだ。


 細かくされた木の実、野菜、果実がトッピングでのっていて、彩芽基準では、かなり美味そうである。


「厨房を借りて、船のコックに作らせました。お口にあうと良いのですが」


「あむっ! すごく美味しいです!」

 彩芽はカルパッチョにえらい喜ぶ。

 さすがに、この世界の料理人が作ったのだから、食中毒はあるまい。


「それは良かった。ストラディゴスさんも、お口に合いますか?」


「あ、ああ、侯爵殿……」


 こうしてちゃんと調理された状態だと、ストラディゴスとルカラも、侯爵のにこやかな薦めに一口目を口に運べば、あとは何も言わずに普通に食べ始めた。


 彩芽は「なんだ、普通に食べられるんじゃん」と内心思った。

 ストラディゴスとルカラは、彩芽のイヤらしいニンマリと笑った視線に気付きながら「ハイハイ、美味しいですよ」と表情で答え、生魚を口に運ぶ。


 イラグニエフは、と言うと、事情を知らないので、マイペースに、だが食事を夢中になって食べていた。




「イラグニエフ様は、フラクシヌズに受験されるとか?」


「あ、ええ、はい」

 イラグニエフは、緊張しながら、もごもごと食事を飲み込み答える。


「イラグニエフ様なら、必ず受かりますよ。専攻は何を? やはり、治療魔法ですか?」


「え~えっと、僕は、その、将来的には、城付きの魔法使いになりたいので、その、ゆくゆくは都市防衛魔法を」


「それは奇遇だ。フラクシヌズには、実は、私の祖父が長年勤めているので、ご入学されたら、是非お声をかけて見て下さい。バトラと曾孫の命の恩人とあれば、きっと力になってくれるはずです」


「タンブル侯爵のおじい様が? あの、務めていると言うのは、その、まさか教授として?」


「ええ。祖父は名誉教授です。以前は校長も務めていたので、ただ、変わった所もあるので、その辺はご容赦下さい」

 タンブル侯爵は可笑しそうに笑いながらワインを一口飲んだ。


「タンブル、名誉教授……まさか、あ、あの、都市防空論の!?」


「祖父の本をご存じで?」


「知っているも何も、僕は教授に師事したくてフラクシヌズに!」




 * * *




 夕食を終え、お開きとなった後。

 イラグニエフと侯爵は、侯爵の祖父の事で会話の話題が途切れる事無く、話が弾み、夜が更けて行った。


 タンブル侯爵は船の中継地点として、何度もアフティラの町に来ているようで、町長とは古い知り合いらしく、友人の様な間柄らしい。

 なので、挨拶だけしに顔を出した控え目な町長は、タンブル侯爵の恩人だと、イラグニエフに快く部屋を貸してくれた。


 こうして、タンブル侯爵と町長の厚意で、町長の屋敷に泊めて貰う事となり、イラグニエフはベッドを得たのであった。




 彩芽達三人は、酒場の二階に借りた部屋があると雨の中酒場へと戻る。

 雨脚は、行きよりは弱まっているが、それでも傘も合羽も無い状況では、びしょびしょに濡れるしかない。




「バトラさんの体調良くなって、本当に良かったね」

 ストラディゴスの手を傘と風よけに、彩芽が楽しそうに言った。


「そうだな……アヤメのおかげだ」

「ですね」

 ルカラもストラディゴスの手を傘に、雨の中、楽しそうである。


「マリアベールとイラグニエフじゃない?」と彩芽はきょとんとする。


「アヤメの思い付きだろ。始まりは」


「……そうだっけ?」


「アヤメさん、相変わらず、てきとうですね……」


「まあ、良いじゃない。ご飯も美味しかったね」


「ああ」

「はい」


「今度、作ってあげるね。コックさんにレシピ聞いたから。カルパッチョ」


「抜け目ないなぁ……」

 ストラディゴスは、ヤレヤレと笑う。


「でも、あれなら確かに美味しかったですから、私にも教えてください」


「いいよ」




 ストラディゴスの手を傘にしても、三人ともびしょ濡れになって、酒場に戻る。

 夜遅い為、客はまばらで、皆部屋に戻った様であった。

 カウンターには店主の姿も無い。


 三人は、借りた部屋に入って行く。




「ストラディゴス、心の目を閉じて」


 部屋の扉を閉じるなり、彩芽が帰り道で濡れた服を脱ぎ始めた。


「心じゃ意味無いだろ」

 ストラディゴスも慣れたもので、そっと背中を向け、自分も上だけ服を脱いで窓の外で絞る。


「私のも」


「はいよ」


 ストラディゴスの力で絞ると、服は傷みそうだが、脱水力は相当な物であった。

 部屋干しするしかないので、乾きの早さは重要である。


 パンイチの彩芽からノールックで服を受け取り、ストラディゴスは服を絞る。

 彩芽は、服をストラディゴスに任せ逃げる様にベッドに潜り込んだ。


 全裸になったルカラが服を絞ろうと近づいて来ると、ストラディゴスはルカラの裸は気にも留めていないらしく、普通に見ながら服を受け取って絞ってやる。


「ありがとうございます」


「ほら、身体拭いたら、さっさとベッドにでも入れ。身体が冷えるぞ」


「ルカラ~寒いから一緒に寝よ~」


 彩芽が甘える様に言うと、ルカラは彩芽のベッドに潜り込むが、すぐに後悔する。

「つめたっ!?」


「ああ~ぬくい~」

 彩芽はルカラを抱き枕の様に抱き込む。

 二人がベッドの中で体温を交換していると、ストラディゴスがルカラを羨ましそうにチラリと見た。


 ピレトス山脈の王墓でキスをして以来、二人の関係は二人きりになれるタイミングが無く、まるで進展していない。

 ストラディゴス的には、もう一歩踏み込みたい所であるが、初恋をこじらせた巨人としては着実なステップアップが理想的であった。

 それに、どうせなら二人の思い出に残る夜か、雰囲気が良い場所をセレクトしたいと、良くも悪くも理想が高くなってしまっていた。


「アヤメさん、どんだけ身体冷やしてるんですか……」


「ほら、私、脂肪が少ないから」


「ここにばっか無駄について……(羨ましい……)」

 ルカラは彩芽の胸を鷲掴みながら、自分の胸板を見る。


 そんな二人を見ながら、ストラディゴスは絞った服を部屋干ししていく。


「ねえ、ストラディゴス。明日はどうする?」


「明日か……時化がおさまったら船も出るだろうけどよ、この調子だと分からないな。まあ、明日にでもゆっくり考えようぜ」




 * * *




 ぐるるるるる


「ふわぁ!?」


 朝。

 彩芽は、ベッドから飛び起きた。

 腹が、シャレにならないぐらい痛い。


「えっ!?」


 そこは、船の船室だった。


 隣を見るとスヤスヤと可愛い寝息を立てるルカラと、窮屈そうに眠るストラディコスがいる。


「ス、ストラディゴス!」


「んぁ? どうしたアヤメ?」


「私達、いつ船に乗った!?」


「寝ぼけてるのか?」


「寝てる間にストラディゴスが運んだの!?」


「何言ってるんだ? 一緒に乗り込んだだろ」


「え、あれ……そ、そうだっけ?」

 彩芽には、まるで記憶が無かった。


「それよりも、顔色が悪いぞ。船に酔ったか?」


「ストラディゴスは、お腹大丈夫?」


「お腹って、まさか腹が痛いのか!?」


「その、ものすごく、痛い……です」


「だから、生魚なんかやめておけって」


「だってだって、それに、ストラディゴスも食べてたじゃん」


「食べてないぞ、マジで寝ぼけてるのか?」


「えぇっ!? 絶対食べてたって! うぷっ!? ぎぼじわる”い”……」


「ここで吐くな! 甲板に行け! おいルカラ起きろ彩芽がなんかヤバいぞ!」




 * * *




「おえええええええぇぇ……」


「ほら、そのまま全部、思い切って吐いちゃって下さい……」

 彩芽の背中を、心配そうにさするルカラ。

 心配そうにしてはいるが、顔が少し呆れている。


「だから言ったんだ。生で魚を食うなんて……本当にバカだな……」

 ストラディゴスも、少しだけ呆れていた。


「二人も一緒に食べたのに、なんで私だけ……えええええぇぇ……」


「「はぁ……」」と二人の溜息が重なった。

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