第62話

「はっ!?」


 ストラディゴスが目を覚ますと、大空洞の天井の穴から差し込む光の中にいた。

 昨日の夜、丘の上で三人で色々話したのは覚えている。


 だが、なぜ自分は神殿を見下ろす丘の上で寝ているのだろう。


 ストラディゴスが訳が分からないまま身体を起こそうとすると、腹の上に何かが乗っている。


 首だけ起こして見てみると、横になるストラディゴスの腹の上には、毛布にくるまって猫の様に丸まった彩芽が寝ていた。

 まるで状況が分からない。


 消えかけた焚火のあとが、パチリと音を立てて爆ぜ崩れる。

 その音で、彩芽の毛布の胸元がモゾモゾと動き出し、息苦しそうにルカラが「ぷはぁ」と顔を出した。


 どうやら、彩芽に抱き着きつかれたまま寝ていたらしい。


「おはようございます……」

 ルカラがストラディゴスに気付いて小声で声をかけた。


「……おはよう……」


「もう、大丈夫ですか?」


「んっ???」




 彩芽に唇を奪われた直後。


 ストラディゴスは、心の準備をせずにキスをされた事で、幸せの波に耐えられず、冗談で無く鼻血を出して意識を失ってその場に倒れた。

 不意打ちのキスで気絶するなんて、彩芽には予想できない。


 その顔は幸福その物なのだが、二人は心配して起こそうとした。


 しかし、いくら頬を叩いても起きないので、仕方が無く彩芽が丘の上で一緒に寝てやると言い出し、ルカラも二人と一緒が良いと三人は神殿を見下ろす丘の上で、一夜を共にする事となった。




 気絶したストラディゴスの腹を椅子にして、毛布に二人場折りでくるまった彩芽とルカラは、焚火に当たりながらストラディゴスの事を話した。


 彩芽は、二人の出会い、どうして一緒に旅をする事になったのかを楽しく語った。

 ルカラは、ストラディゴスが彩芽を探しルカラを拷問部屋から連れ出してくれた時の事をしっとりと語った。


 それから、どちらともなく眠くなると、ストラディゴスに座ったまま二人は、互いの体温を感じながら深い眠りに落ちたと言う。




 ストラディゴスは、自分が気絶した事など記憶に無かった。

 彩芽とキスした直後に何があったのか、どこまでが現実で、どこまでが夢なのか。


「おはよ……」


 彩芽が目覚めた。

 ルカラを抱きしめ直し、眠気眼のままストラディゴスの顔を見る。


「おはよう……アヤメ」


「ん!? ルカラ……もしかして、おね……しょ?」

 彩芽は小さな声で「私が抱きしめてたから……ごめんね、気にしてないから……大丈夫だよ」とルカラに優しくする。


「何言ってんですか!? 私おねしょなんてしてません!」

 ルカラは、おねしょなんて冤罪だと否定した。


「でも、なんか……けっこう、濡れて……」


 彩芽とルカラがストラディゴスの腹の上から降りると、ストラディゴスのズボンに水気のある染みが出来ている。


「なっ!!!!????」

 ストラディゴスは、絶句した。

 二人が毛布にくるまって乗っていたので、汗で濡れていたと思っていた。


 ストラディゴスに突き刺さる、心配する二人の視線。

 追い詰められるストラディゴス。


「……ほんとごめん……私達が上で寝てたから……」

「ストラディゴスさん、ごめんなさい……こんな……我慢出来なくなるまで……」


「……っ////!!!?」


 いたたまれなくなったストラディゴスは、逃げる様に走っていった。


「違うんだーーーーーーーっ!!!!」

 と叫びながら。




 そう。

 おねしょ、では無かった。


 ストラディゴスは、昨晩、久しぶりに良い夢を見た。


 それはブラックアウト直後、シームレスに自然な流れで彩芽と良い雰囲気となった場面から始まり、最後には彩芽と二人ベッドへ向かう夢であった。

 だが、夢は良い所で終わってしまう。

 その柔肌に夢の中で触れる事も無く、気が付けば朝になっていた。


 つまりは、そう言う事だ。

 ストラディゴスは、淫夢も見ていないのに、夢精していたのであった。




 * * *




「……どっかて新調しないとなぁ……」


 彩芽はザーストンに切られたブラジャーを縫って自分で修理していた。

 だが、いざ着てみたが、着け心地が良くない。


 ルカラは彩芽の胸に羨望の眼差しを送りながら、市場で新しく揃えた男装束に身を固める。


「……ストラディゴスは?」

 まだ少し眠そうな彩芽がルカラに聞いた。


「帰って来ませんね……」




 扉が開き、洗い絞った下着を片手に、赤面したストラディゴスが帰ってくる。

 入ってくるだけでも勇気がいた筈だ。

 気まずい。


「おかえり」

「おかえりなさい」


「……ただいま」




「ストラディゴス。大丈夫! ちょっと前に私もやってるから!」


 彩芽がブラジャーを切られた時の事を言って慰めて来るが、もう触れないで貰いたい話題である。

「ドンマイ」という優しさが痛い。

 と言って、漏らしたのではなく夢精したのだなんて言える筈もない。

 言えば、二人を腹の上に乗せ、どんな夢を見ていたのかを聞かれかねない。

 そして、聞かれれば真実を言っても信じて貰えないのは分かっている。


「ふ、二人共、もう支度は済んだのか?」


「はい。今日出発するんですよね?」


「あ、ああ……マリアベールのが予定通りならな」


「もう終わっておる。それにしても、寝小便とはな……巨人の小僧。ふふふふふ、エドワルドには、この事は黙っておいてやる」

 工房の扉が開き、マリアベールが恩着せがましい悪い笑顔で、面白そうに出て来た。

 ヒドラ毒の傷が癒えて来たのか、本来の女性らしい声が戻りつつある。


 ストラディゴスは、勘弁してくれと、顔をピクリと引くつかせる。


 マリアベールの手には、刻印を刻んだストラディゴスの装備一式に、彩芽のジッポライター。


 そして……


「ルカラ、お前にも世話になった。これを」


 マリアベールはルカラに一振りの長剣を渡した。


「これは?」


「おねしょ小僧とアヤメのと同じだ。我の刻印を彫ってある。持っていけ」


 マリアベールがルカラに渡した剣は、マリアベールからルカラへの心ばかりの贈り物であった。


「良いんですか!?」


「フィデーリスの英雄には、相応しい業物だ。大事に使え」


 ルカラはマリアベールの言葉を聞いた時、耳元で小セクレトの喜ぶ声が聞こえた気がした。

 一度、一つになったからか、もしくは彼の欠片が、まだ中に残っているのかもしれない。


「ありがとうございます!」


 マリアベールは、ルカラが剣を受け取り腰に差すと、安堵した様な優し気な顔を見せた。


 マリアベール自身、セクレトの人生を自分が狂わせた事を気に病んでいる様で、セクレトと、何の罪もないラタの血を引くルカラに対しては思うところがあった。


 腰に剣を差し、男装束に身を包み、長かった伸び放題の髪を整え、彩芽とストラディゴスによってハーフアップにまとめられた凛々しくも美しい少女の姿は、小セクレトと幼き日のラタ、両方の面影をマリアベールに見せる。


「本当に、行ってしまうのか?」


「ああ、南東に進んで国境を超えるつもりだ」


「そうか、寂しくなるな……道中、気を付けて行くのだぞ。またフィデーリスに寄る事があれば、必ず顔を出せ。我はいつでも歓迎する」


「マリアベールも、エドワルドとお幸せに」


 彩芽の言葉でマリアベールは少し照れながら、首を縦に振り三人の姿が見えなくなるまで、名残惜しそうに見送ってくれたのであった。




 * * *




「よう、お前ら! 待てよ!」

 工事している部下達に指示を出していたエドワルドが、三人を乗せた馬車を見つけ、駆け寄ってきた。

「もう行くのか?」


「ああ」


「そうか……なあ、ストラディゴス、俺……」


「どうした?」


「いや……お前らに、借りが出来ちまったと思ってな」


「それなら俺達もだろ。お前がいなきゃ、アヤメはあの時……」


「……なぁ、ストラディゴス……俺達、まだダチで、いいんだよな?」


 エドワルドは、不安そうに聞いた。

 これを有耶無耶にせず、聞きたくて引き留めたのだろう。


 エドワルドは、マリアベールの完全勝利を確信して、ずっと秘密にしてきたエレンホス王国のスパイである事をバラしてしまったのだ。

 フィデーリスが、再び独立すると信じて。

 その時、ストラディゴスをマルギアスに逃がす為に。


 エレンホスは、マルギアスとは敵対関係にある。

 つまり、エドワルドは、フィデーリスの復興こそマリアベールの為に手伝っているが、本来は敵国人なのだ。


「バカ言うな」

 ストラディゴスは語気を強め、エドワルドに言う。

「当たり前だろ」


 ストラディゴスが「一時の別れだ」と、再会を約束してエドワルドに固い握手を交わす。

 彩芽は、マリアベールが乳繰り合っていると表現したのも、ちょっとわかると思った。

 この二人、友情と言う意味で相思相愛である。




「ルカラ様……道中、どうかお気を付けください」


 エドワルドは、ストラディゴスとの握手を終えると、ルカラに対して急にかしこまった。

 ルカラがセクレトの血筋の直系である以上、エドワルドからすると本来は回収するべき王族の血を引く者である。


 エドワルドは本来の立場上、ルカラの事は王家の人間として扱う必要があった。


 だが、ルカラはエレンホスに行く気など無い。

 奴隷をしていた時なら喜んで行っただろう。

 でも、行ったとしても艇の良い政略結婚の道具にされるのが目に見えている。


 だから、エドワルドはセクレトは回収出来なかったと国に報告し、回収せずに剣を教えたのだ。

 せめて、自分の身を自分で守れる様にと。


「様は、やめてください、エドワルドさん。ありがとう……」




 エドワルドはルカラに笑って、小さくお辞儀をして答えると、彩芽の方を見た。


「アヤメ、お前には、本当に世話になった。改めて礼を言わせてくれ」


「こちらこそ。腕、ちゃんとくっついて良かったです。相棒の彼にもよろしく」

 相棒の彼とは、黒竜のゾンビである。


「ああ、必ず伝える。ストラディゴスとルカラを頼むぞ」


「任せて下さい、って私が助けて貰ってばかりですけど……エドワルドさんこそ、マリアベールを幸せにしてくださいよ」




 エドワルドと別れ、馬車に揺られる三人。


「ごめんストラディゴス、忘れてた! フィラフット市場に寄って!」


「市場?」


「そう! ワインと葡萄、いっぱい買わなくちゃ!」


「そうだな!」


 彩芽の口から出た葡萄と言う言葉に、ルカラの目が輝く。

 ルカラは「葡萄を買ってもいいか?」と尋ねる様に自分を見る二人と目を合わせてから、応える様にフィラフット市場の方を見た。


 今までは、どこを見ても壁に囲まれていたフィデーリスの町は、改めて見ると城壁が無いせいか、空が広く感じた。


 悪い思い出しかないと思っていた町だったが、ルカラは、この町がルカラを彩芽とストラディゴスに引き合わせてくれた事を分かっている。




 通り過ぎる復興中のフィデーリスの街並み。

 町の人々は、三人の乗る馬車が通ると、皆が仕事の手を止め、手を振って見送ってくれた。


 一人になっても、セクレトと一つとなった自分達を守ろうと戦い続けた異国の女に。

 闘技場で殺せと叫んだ自分達を、結果的に救ってくれた、心優しい巨人に。

 フィデーリスに傷つけられながらも、フィデーリスを救った小さな英雄に。

 皆が感謝していた。


 町の外を見ると、いつでも出ていける遠くへと続く道が見え、復興の為に各地から集まった馬車が長い列を作っていた。

 草原には、一度は殺し合い、共に戦いもした獣の群が、森へと駆けていく姿が見えた。

 その先には、ピレトス山脈の雄大な姿がある。




 身を寄せ合って座る、巨人のせいで少し窮屈な馬車に乗り、三人の旅は、こうして始まったのであった。

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