第55話

 精神の牢獄、記憶の迷宮で出会った少年は、セクレトであった。

 しかし、見た目が幼く、ミセーリアが見せた過去の映像の中では成人していた筈なので、訳が分からない。


「セクレト、王子……だと……」


「王子様だよ。すごいでしょ。でもね、誰も信じてくれないんだ……みんな言うんだ。僕は、もう死んでるし、僕は悪い事をした王様の子供だって……まだ生きてるのに……」




「マリアベール、どういう事だろ……」


「わからぬ……セクレト、お前は、どうしてここに? いつから?」


「わかんない」


「ぬぅ……セクレト、よいか? 我らは、ここから出たいのだ。お主も連れて行ってやるから、出口を探すのを手伝ってくれ」


「連れてくの!?」


「エドワルドは、こやつを探しておる。それに、見つけたからには放っておく訳にもいかぬであろう……可能なら、罪を贖わせなければならぬしな」




 三人はセクレトの案内で隠し通路を進んだ。


 すると、奥からうめき声が聞こえてきた。


 現在ではミセーリアの部屋に改造された部屋は、当時は必要最低限しか物が無い。

 だが、ここでミセーリアが生活をしているのは間違いなさそうである。


 さらに奥に進むと、そこは例の実験室があった部屋。


「隠れて、この先だよ。今ならここにいれば見つからないから」


「なぜわかる?」


「いつもそうだから」


「いつも、と言う事は、この記憶……いやタイミングか? 来た事があるのか?」


「うん。お姉ちゃん達は、無いの?」


「来たばかりでな……」


「ここではね、僕以外は、いつも同じ事をしてるんだよ」


「ループしてるって事?」


「ループ? わかんない」




 物陰に隠れていると、血まみれのミセーリアが鞭を持って通路を通り過ぎた。


「こっち」


 セクレトに誘われて先に進むと、現在では実験室となっていた部屋は、完全な拷問部屋となっていた。

 様々な拷問器具が運び込まれ、そのどれもが手入れもされずに使い込まれている。


「ゆる……して……くれ……」


 声が聞こえ、彩芽とマリアベールが見ると、壁に鎖で繋がれた全裸の男性が見えた。

 薄暗いが、それがセクレトである事は、見てすぐに分かった。


 大人と少年、二人のセクレトを前に顔を見合わせる彩芽とマリアベール。


「お姉ちゃん達、嫌な部屋でしょ。ここが僕が一番行きたくない所だよ。このいっつも怪我してるお兄ちゃんもね、セクレトって言うんだよ」


 小さいセクレトが、これで良い? と言う風に二人を見た。


 マリアベールの要望は、住人が行きたくても行けない場所の記憶は曖昧なのでは無いかと言う推測のもと、そこを攻めれば綻びが見つかりやすいだろうと言う意味での行きたくない場所である。

 こんな悪趣味な空間には、長居したくは無い。


 二人は、困惑しながら大きなセクレトを見た。


 全身を鞭で滅多打ちにされているが、どうやら死から蘇った後もセクレトは生きているらしい。


 恐らく、マルギアスの目から隠れているミセーリアから、日常的に拷問を受け続けているのだろう。

 その身体は全身傷だらけで、普通なら放置すれば死んでしまうが、魔法のせいで死ぬに死ねないのは分かっている。


「たす……けて……」


「ミセーリア、支配を解いたのか……どこまでも、むごい事を……」


 マリアベールが近づくと、大人のセクレトはその顔を見て、驚愕する。


「あなた……は……死んだと、ミセーリアは……確かに……生きて……おられたのですね……マリアベール様……」


 記憶の存在だとしても、当時の記憶が再現され、会話が成立する。

 これは、彩芽とマリアベールには都合がよい。


「セクレト、時の流れは違えども、結婚式以来だな……我はお前達のした事、許せるわけでは無い……だが、なぜ、あのような事を?」


 マリアベールは、セクレトの動機を気にしていた。


 普通に考えれば、同盟国を敵国とぶつけて消耗させるなんて発想は、正気の沙汰では無い。


 また、エレンホスやセクレト達が正気で無かったのなら、その原因が知りたかった。




「それは……」


「打倒マルギアス、奴らとの戦争の為の金、ミセーリア、我の魔法の秘密……」


「全てを……知っておられるのですね……どれも、その通り……さすがは、マリアベール様……あなたの言った……全てを手にしようとして……私は道を誤った……ですが……予言を止めるには……」


「予言……だと?」


「およそ四百年後……マルギアスが……全ての大地を支配し……その後、世界は……地獄になると……それを止めるには……フィデーリスを……楔としてマルギアスに打ち込む必要が……私は、予言の解釈を……間違えた……」


「その様だな……誰の予言か知らぬが……その予言は外れたようだ。四百年後も、今と大して変わらんよ……」


「マリアベール様……あなたが生きていて……よかった……私に言われても……嬉しく無いでしょうけど……あなたに……憧れていたんだ……ずっと、昔から……」




「お姉ちゃん達、そろそろ隠れないと、あの人が来ちゃ……」


 小さなセクレトが言い終えるよりも早く、世界が変わっていく。




「マリア……あなた、どうしてここに!? ヴェンガンは、あなたは死んだと……」


 突然背後に現れた記憶の中のミセーリアに身体をさらし、彩芽とマリアベールは絶句して振り返る。


「これは、これは違うの!」

 ミセーリアは手に持っていた鞭を後ろに隠し、酷く動揺していた。


「あなたは……マリアベール様……生きて……おられたのですね……」


 さっきまで話していた大人のセクレトは、傷の位置が変わり、記憶を引き継いでいない様子で、目の前に現れたマリアベールの生存をまた喜んでいる。

 牢獄側に配置された人達は干渉こそ出来るが、一時的な舞台装置に過ぎない様であった。


「ミセーリア、なぜ、このような事を……優しいお前が、なぜ……」


「マリア、聞いて! これには深いわけが!」


「セクレトが予言などと言う世迷言に踊らされた黒幕である事は既に聞いた。ミセーリア、我はお前に罪人を鞭で打つ事を教えた記憶などない……」


「ヴェンガンに聞いたのね!? あれは、あなたを失望させたくなくて!」


「結婚式では、罪の無い民を何人巻き添えにした……」


「知っているなら分かるでしょう! フィデーリス騎士団もマルギアスもエレンホスの奴らも、全員騙すには、必要だったの! 他にどうしろと言うの!? あなたは聞く耳を持たなかったじゃない!」


 もとはと言えば、ヴェンガンとミセーリアが嘘をついたのが、マリアベールとの協力が難しくなった原因である。

 彩芽は、ミセーリアが正論を並べている様で、何かおかしい事に気付く。


「ミセーリア、何人の民を、生き返らせた?」


「そ、それは……」


「助けられた者が相当いた筈だ……頭と心臓が無事であれば、死者さえも蘇らせるお前の魔法ならば……なぜ助けなかった……あれほど愛していた民を、どうして……同じ様に身を隠せば……身分を変えさせれば、それで済むのでは無いのか?! 何人助けた?!」


「……」


 ミセーリアは答えない。

 答えられない事が、回答である。


 ミセーリアは、結婚式の時、城内の混乱の中で死んだ無実であろう下級騎士も使用人達も、だれ一人蘇生させなかった。

 それどころか、自分の身代わりとしてヴェンガンに焼かれた使用人の遺体が、誰なのかさえ知らない。


「……ヴェンガンがお前を庇った時、そのまま嘘をついた事もだ……」


「あれは、ヴェンガンに言われて……」


「ミセーリアっ! その嘘は優しさでは無い! 王たる者が怒りから鞭をふるい、助けられる民を見殺しにし、身を隠して、王の何を示せるか! 恥を知れ馬鹿者がっ!」


 マリアベールは記憶の中のミセーリアを相手に説教を始めてしまう。

 記憶の檻が変化すれば消える記憶だとしても、言わなければ気が済まなかった。




 敗色濃厚な戦時下で、民の為に自ら首をさしだそうとしていた王の姿は、そこには無い。


 それ以前に、本当に首をさしだそうとしていたのかさえも、今となっては怪しかった。


 首をさしだすと言えば、周囲が止めるのは分かっていたのだ。

 頭脳明晰なミセーリアが、そんな予測が出来ない訳が無い。


 国が上手く回っている時は、それでも良かった。

 だが、追い込まれた時にこそ人は、隠していた本性を表す。




 無謀な和平の模索。

 愚王の妃になれる可能性。

 マリアベールの犠牲の容認。

 ヴェンガンと言う、ミセーリアを絶対に助ける存在への、言葉巧みな誘導。

 自分を危険に晒し、全てを奪ったセクレトへの拷問。


 マリアベールは、自分が溺愛しつつも厳しく育てたミセーリアを、王の中の王、賢王に育ったと思っていた。

 実際に、民に愛され、治世は世に知れ渡り、優秀な王であった事に間違いはない。




 だが、曇りの無い目で、改めて見てみれば、身の危険を感じると人を操り、身を隠し、民を犠牲にし、安全な場所で敵を拷問し続ける女がいる。


 見た目の美しさには似合わぬ、保身を第一に考えた女がそこにいる。


 マリアベールは、賢王の顔と、保身を考える愚王の顔、どちらが真のミセーリアか見定めなければならない。


「国を救うふりをして、我が身大事さに、自分をずっと守っていたのか?」


「違うわ! 私は民を救う為に!」


「では、なぜ民を導こうとしない?! 闘技場を建て、奴隷を与え、快楽ばかりを与え、なぜ誇り高きフィデーリスの民を貶める様な事を?! 導けぬのに、なぜ身を隠しながら王であり続けた?!」


「それは……」


「ミセーリア、これでは……お前は、もはや王では無い。ヴェンガンに汚れ役を全て押し付け、お前を愛しているヴェンガンさえも利用し、汚しているでは無いか!」




「ドミネーション」




「なっ!?」


 記憶の中のミセーリアに魔法をかけられた。


「死にぞこないが、私の気持ちも知らないで……でも、闘技場は、良い考えね……ヴェンガンが民の息抜きを欲しがってた……それに、奴隷……真面目なマリアにしては……」


「あれ? なんとも……ない?」


 彩芽は、普通に身体が動く事に気付く。

 魔法は不発に終わったらしい。

 どうやら、記憶の存在は魔法を閉じ込められた者には使えないらしい。


「そんな!? どうして私の魔法が効かないの!?」


「ミセーリア、我らを操り、どうする気だったのだ?」


 ミセーリアは質問には答えずに、突然鞭をふるい出す。


 破裂音と共に鞭の先端が飛んでくると、マリアベールがとっさに防いだ腕にあたった。

 マリアベールは、痛みに顔が歪む。


「ぐっ!? アヤメ、こやつら、魔法こそ使えぬようだが、絶対に刺されたりするでないぞ」


「マリア、あなたと仲直りしたかったわ……」


「こっちから願い下げだ馬鹿弟子が! 腐った性根を叩きなおしてくれる!」




 言った傍から、世界が変わる。

 ミセーリアの姿は無く、大人のセクレトも今回は、そこにいない。


「所詮、幻か……出口を探すぞ、アヤメ、セクレト。フィデーリスをあやつの好きにはさせておけぬ……」

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