4

「買い物に来てたの?」

「夏物が欲しくて」

「で、福園御一行様に鉢合わせしたわけだ」

 僕は返事をする代わりにオレンジジュースを啜った。

「あの人たち、ほんと露骨だよね。ザ女子って感じ」

「まあ」

「これは俺の持論だけど、仲良くなるっていうのは閉鎖的とか排他的になるのとは違うと思うんだ。よそ者はお断りって雰囲気が本人たちにとっては楽しいのかもしれないけど、傍から見るとあんまり気持ちのいいモノじゃないと思うんだよね」

 僕は驚きのあまり、目を見開いていた。こんな考え方があるのか。今まで僕は、彼女たちの行動は仕方ない、とそう思っていた。ここまで冷静に分析したこともなければ、彼女たちが悪いという選択肢はどうしてか僕の中には無かった。だから本当に驚いた。

 目の前の彼は、僕に優しい眼差しを向けて口を開く。

「君はいつも平気そうな顔してるけど、ちょっとくらいは寂しいでしょ」

「……別に」

「少なくとも最近の彼女たちは、態度が露骨だから深入りしない方がいいよ。彼女たちのせいで君が悲しくなるのは違う」

 きっぱりと断言するような口調だった。

 多分僕はこの時の彼の口調が気に入ったのだと思う。気付いたら僕は彼相手に、これまでずっと溜めこんで出口の無かった愚痴を延々と吐き出していた。彼は僕の言葉にちゃんと耳を傾けてくれた。僕が嫌だったことを言うとその度に辛辣な言葉をここには居ない彼らに浴びせる。ごくたまに、僕が怒られる時もあった。どうして誰かに言わなかったんだ、と責められた。彼に責められているのに、僕はそれが嫌だとは思えなかった。多分、彼が僕を心配して言ってくれていることが分かってたからだ。

 あっという間に時間が過ぎて、僕の電車の時間が近付いてきた。これ以上遅くなると両親からの追及は避けられない。僕は紙袋とバックパックを持って立ち上がった。

 沙苗以外の人とこんなに話したのは随分と久しぶりだ。僕の心は日頃からは想像も出来ないほどに軽かった。

 いつも僕は、男と女の境界線をふらふらしている自分を責めてばかりだった。今日彼と話して僕はちょっとだけ自分を責めるのを止めた。それだけで、僕の心は羽毛のように軽くなったのだ。彼と居ると本当に驚きばかりだ。

 光希君ともたくさん話した。光希君は身体が弱くて、学校にあまり行けていないことを知った。具合の悪い日は、一日中ベッドで寝ているか、ピアノに触っているかの二択らしく、今日の僕のような訪問客がすごく嬉しいようだった。僕も光希君に喜んでもらえて、照れくさかったけどなんだか嬉しかった。

「今日はありがとう。楽しかった」

「うん。色んなことを話してくれてすげー嬉しかった。またいつでも来て。光希も喜ぶし」

「そうだな」

「累ちゃん、ばいばい!」

 見送りに来ていた光希君が言った。僕は助けを求めて、彼の方を見る。彼はほんの数秒逡巡したのち、口を開いた。

「あ、あのさ。嫌ならいいんだけど、下の名前で呼んでいい?」

「いいよ。僕も呼んでいい?」

「勿論、じゃあまた明日ね。……累」

「えーっと、またな、と、知希。光希くんもまたな」

「うん!」

 僕は大きく手を振る光希くんに手を振り返し、小野寺家を後にした。




 初めて知希の家に行ってから三週間が経っていた。

 私はその間にもう一度知希の家を訪れていた。どうしてか分からないが、小野寺家に居るとすごく落ち着くのだ。

 それに知希と光希くんと三人で過ごす時間はとても穏やかで安心する。それに最近の光希君は調子がいいらしい。身体が弱いなんて信じられないほど元気だった。

 光希君は私が男の時もあれば、女の時もあることを感覚で掴んでいるようだった。本当に恐るべき感性だと思う。知希は全く説明していないのに、私のことを「女の子で男の子なんでしょ」と言ったらしい。でも、呼び方が“累ちゃん”なのは、女の子の方が似合ってるからだそうだ。それについては何とも言えないが、光希君がそう呼びたいなら光希くん自身の考えを尊重したいと思った。



 その日は一日中雨で、雷が鳴っていた。私は放課後の教室で雨が止むのを待っていた。スマホにイヤホンを繋いで、音楽をシャッフルで流す。

 そのまま何かをするわけでもなく、ぼんやりしていると少し眠くなった。うつらうつらと船を漕いでいるのが分かったけど、抗えなかった。

 目を覚ますと、隣の机に知希がいた。きちんと制服を着て、ネクタイもしていた。ジャージではない姿が見慣れなくて、一瞬焦る。

「おはよう」

「……なんでいんの」

 私は右耳のイヤホンを外す。

「見かけたから様子見に来た。それに、学校で話せる機会も珍しいかと思ってね」

 珍しいからなんだというのだ。知希の言葉は時々、意味が分からない。

「雨止んだね」

 知希の言葉に誘われて、外を見る。先程までの曇天が嘘のようだった。遠くに虹もかかっていた。

「私、虹嫌いなんだよね」

「なんで?」

「よくLGBTって虹に例えられるでしょ。でも、私みたいなのは虹よりも空みたいなものなのにな、って思うから」

「空、ね」

「変化するの。時間だけじゃなくていろんなものに影響されて。それに虹っていつも見えるわけじゃないから、やっぱり少数派って感じがして嫌」

 知希の反応はなかった。ただ黙って、虹を見ていた。





 私は意識を黒板に引き戻す。知希との会話を思い返していた。随分と饒舌にしゃべってしまったのが恥ずかしい。

 いつの間にか黒板には、見たことのない数式や記号が点在していた。うだるような暑さが教室内に籠っていた。窓の外には入道雲が見えた。

 視線を校庭へと向けると、蛍光色のギブスを着た男子生徒たちが見えた。その中で一際目立った動きをしているのが知希だった。

 下敷きで仰いでいた生徒が先生に叱責されているのを見て、余計に暑さを感じた。気付くと私は、ショートコントのような光景から目を逸らし、青々と茂った新緑の桜を見ていた。風が吹く度に枝が大きく撓るのが面白かった。

 授業をそっちのけで外を見ていたので、五分も経たないうちに私も叱責の対象になった。その後は先生の説教タイム。でもチャイムが鳴ると、先生はそそくさと教室から出て行った。恐らくクーラーの効いた職員室に帰って行ったのだろう。

 私はさっきの先生への文句を加奈子に話すために、身体を百八十度回転させる。加奈子は私が今から愚痴るのを察していたようで、苦笑していた。それは同時に加奈子なりの私が愚痴ることへの許可の表れだった。しかし、私が文句を垂れ流すよりも先に、加奈子に話し掛けた人物がいた。

「ねー加奈子っ!それと村谷さん!」

 またもや福園杏那だった。私に勝ち誇ったような笑みを向ける。私は少しムッとした。だが、今回に限っては私にも用があるらしい。

「合コン行かない?」

「えー。ちょっと杏那、相手誰よ」

「これがびっくり、あのR大なの!加奈子行くでしょ?」

「勿論!」

 加奈子が即座に言った。その反応に福園杏那もご満悦のようだ。

 R大というのはこの地域の成金や社長の子女たちが多く通う大学で、頭もかなり良い。玉の輿を狙うなら最適というわけだ。加奈子が参加を即決したのも頷ける。しかし、私はどうしてもその合コンに行きたくなかった。なぜなら私の兄がその大学に通っているからだ。もし万が一、鉢合わせでもしたらたまったもんじゃない。

「村谷さんは?」

「えっと私はいいかな。あんまり、そういうの得意じゃないし」

 これは嘘ではない。近頃の私は、家の外では男でいることが多い。流石に合コンを学校でやるとは考えにくい。学校の外でわざわざ女でいるのは私のバランスを崩してしまう。そのリスクを承知で合コンに行くメリットが私にはなかった。

「ふーん。残念だなー」とあまり残念がっていない様子で福園杏那が言った。

 私も別に興味が無いわけではないけど、リスクが高いうえに恋人が欲しいとも思えなかった。それだけのつもりだった。

 でも、女子というのはそうもいかない生き物で、次の日には私は福園杏那によって世にも奇妙な変わり者に仕立て上げられていた。

 男に興味が無いんじゃないか、R大では満足出来ないほどの欲張りなのではないか、美人な福園杏那に嫉妬してるからじゃないか。

 私が反論しないのを良いことに皆、言いたい放題だった。どれも不正解だ。そう言いたくても彼女達を前にすると、どうしてか身体がすくんでしまう。私は耐えるしかなかった。

 福園杏那と関わりのないクラスメイト達は、私を変わり者とはそこまで思っていないのが数日過ごした中でなんとなく感じた。

 しかし、福園杏那の取り巻き、もしくは友人らは私を変わり者だと影で噂した。「清純ぶりやがって」と廊下を歩いていただけで、けばけばしい女子グループに言われ、挙句、面白半分で他の合コンに誘われる。多分、理由なんて何でもよかったのだ。ただ彼女たちは私を攻撃する材料が欲しかっただけ。

 私はどうしようもなくて、溜息を吐いた。

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