第26話 量子もつれはありふれた現象

 つぎに「量子もつれ」とよばれる現象について縁観論での解釈を見て行きましょう。量子もつれとは二つの粒子がもつれと呼ばれる状態になるとたとえ遠くに離れていても相手の状態が即座に伝わりもう一方の粒子の状態もその瞬間に決まるという現象です。この「即座に」というのが不思議で光速を越えて情報が伝わることがないという相対性理論とは矛盾するため様々な憶測を呼んでいます。

 もちろん縁観論では「もつれ」と呼ばれるのは即今縁であると考えます。なにしろ「もつれ」ですから自ら即今縁ですと宣言しているような名前です。これはけして特別な即今縁ではありません。まだ粒子などの即今縁について詳しく知られていないだけでこの宇宙にありふれた即今縁です。むしろ即今縁を説明するためには格好の現象であるとさえ言えます。

 では縁観論による解釈をしてみましょう。粒子は論理集約点ですから二つの論理集約点が「もつれ」という即今縁を結びます。この即今縁は非常に強く相手の状態(挙動)を限定します。

 もつれという強い即今縁を結ぶと二つの論理集約点は強いペアとなってまるでひとつの粒子のように振る舞う事になります。この論理集約点が微視的であった場合は各種のパラメーターはまだ広く分布しているのでどこにあるかやスピンの向きなどのパラメーターは限定されていません。つまりどこにあるかという事よりも先にペアであることが決定している訳です。

 そして人間のような複雑深縁な論理集約点と即今縁を結び状態が極限に特定される事になった場合、特定されるのは片方の粒子ではなくペアとして一体の粒子の状態が特定されたと考えるわけです。

 サイコロを振った時「1」の目が出ていれば下に隠れているのは「6」と決まっています。サイコロは反対側にある目の合計が7になるように作られているのです。つまり「1」と「6」はペアであり「1」が上なら「6」が下、「6」が上なら「1」が下と言うように相手の挙動を極限に強く限定します。

 100組のカップルから一組に海外旅行が当たる抽選会のようなものです。二人同時に当たるのであってどちらかが決まってから相手が決まるのではありません。最初からカップルは決まっているのです。

 量子もつれの場合は粒子の場所や状態が特定されると言う現象と二つの粒子が目に見えない強い関係性で結ばれペアになっていると言う別々の現象が同時進行するのであたかも片方の状態が決まったその瞬間に相手に情報が伝わりその情報に基づいて相手が自分の状態を決めたかのような錯覚が起きるのです。

 そのため情報が光速を越えたと言うような勘違いが起きるわけです。粒子は場所や状態が特定される前からすでにペアを組んでおり、観察されるなどした場合に一体のペアとして状態が特定されるのです。どちらが先でも後でもないのです。ちょうどサイコロの「1」の目が上になるのと「6」の目が下になるのが同時であるように、どちらかが決まってから相手にその情報が伝わり相手の状態が決まるのではありません。

 即今縁とは今そこにある関係性です。つまりどこかに伝わるものであったり時間とともに空間を走るようなものではありません。二つの粒子は状態が決まらないうちから見えない強い関係で繋がれているのです。

 ここで縁観論について重要な考え方に触れておきます。無窮境界【むきゅうきょうかい】という考え方です。無窮境界とはこの論がシンプルなものであるならあらゆるものに境界がないという考え方です。つまり縁観論では人間も素粒子も同じものであると考えるわけです。ここから発展して粒子のような微視的な物質にかかわる現象は人間のような巨視的な世界でも同様の現象が起きておりそれらは本質的に同じものであると考えます。

 量子もつれの場合も当てはまります。この現象と同じ現象は我々の日常生活にありふれたものだと言うことです。例えば二人の子供がシーソーに乗っていたとします。一人の子供が下に降りているのを見たその瞬間に反対側の子供は上に上がっていることがわかります。反対側の子供が上に上がっているという情報はその瞬間にわかるのであってもちろん光速を越えています。

 反対の子供が上にあがっているかどうかは視界に入っていたとしてもシーソーの長さを光が走るまでわからないはずです。それがわかるのは二人の子供はシーソーに乗っているという強い即今縁で結ばれており片方の状態が決まれば当然に相手の状態も決まる事を我々は経験則などを通して頭で考えなくても当たり前の事として受け入れているからなのです。

 もう一つ例をあげましょう。あなたは一対の手袋をなくしてしまいました。探していたら片方だけ見つかりました。それが右手の手袋であればまだ見つかっていないもうひとつの手袋は左手の手袋だと言うことがその瞬間にわかります。もう一方の手袋は見ることすらできないのにその手袋が右手か左手か即座にわかってしまうのです。あまりに当たり前すぎてつい深く考えることをしませんが縁観論によればこれも量子もつれと同じ現象なのです。

 塀の影から犬が頭をだしていれば塀に隠れているのは尻尾であって頭ではない。これらには関係性があるのです。二人の子供はシーソーに乗るという関係があり、手袋は一対として扱われるという関係があり、犬の頭と尻尾は反対側についているという関係があります。サイコロも同様です。量子もつれも相手の粒子を極限に強く規定する関係がありペアとなっている粒子の片方の状態が決まるという事は相手方の状態も当然にきまるという事なのです。

 関係性、すなわち即今縁は見えなくても今そこに実在し万物の挙動を限定する役割をしています。この事は粒子のような微視的なものでも人間のような巨視的なものでも同じであると縁観論では考えるのです。

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