毎日が南の島の夏休み
ロッドユール
第1話 出発
「残ったのはこのおんぼろのスバル55だけね」
夏菜(なつな)はスバル55の白い小さなボディを見つめた。
「さて、パパは死んだし、家も借金取りが持ってったし、ママは一度も会ったことないし」
夏菜は、手の平をパンと叩くと、突如十年前に思いつきで父親が建てた、ガラス張りのキューブが滅茶苦茶に組み合わさった、昨日まで自分の家だったヘンテコな家を見上げた。
「おねえちゃんどっか行くの?」
そこへ横合いから誰かが夏菜に声をかけてきた。
「ん?」
夏菜が声のした左横に顔を向けると、そこに隣りの家に住む幸子(さちこ)がにこにこしながら立っていた。
「旅に出るの」
夏菜は、幸子を見ながらスバル55の低い屋根を軽く叩いた。
「走るの?これ」
幸子は小さく頼りなげに見える、おんぼろのスバル55をまじまじと見つめた。
「もちろん。相当な骨董品だけど」
「へぇ~、すごいんだね、お前」
幸子はスバル55の丸いライトの上をやさしく撫でた。
「スバル55は名車中の名車よ。スバル55以上の車なんてこの世に存在しないわ」
夏菜はそう言いながら、スバル55の後部の、そのあるかないかの狭いトランクルームに、革製の大きなトランクを放り込んだ。
「さあて」
夏菜は、トランクを放り込んだ両手をパンパンとはたくように叩いた。
「出発だわ」
「一人で行くの?」
幸子が訊いた。
「そうよ」
「わたしも行く」
そう言って幸子は期待に胸を膨らませる子どものように、実際、まだ子どもだったが、ぴょんぴょんと笑顔で夏菜の背後で飛び跳ねた。
「わたし、学校辞めたの。もちろんお母さんにもお父さんにも先生にも内緒だけど」
「あなた案外かしこいのね」
「へへへっ、もうわたし十二よ」
「学校なんか行く奴はバカよ。こんなに世界は広いのに」
夏菜は真っ青に晴れ渡った空を見上げた。
「さっ、行きましょ」
夏菜はスバル55の運転席のドアを開けた。
「うん」
幸子は元気いっぱい答えると、スキップするようにして助手席側に回り込み、スバル55に乗り込んだ。
夏菜はスバル55のエンジンを勢いよくかけた。
ブル~ン、ブルル~ン、プスプスプス~、ブル~ン~
スバル55の小さなエンジンが勢いよく回り出す。
夏菜が重いギアを繋ぎ、アクセルを踏むと、おんぼろのスバル55は、カラカラと軽薄なエンジン音と共に走り出した。
「走った~」
幸子がパチパチと手を叩く。
スバル55は、新しい二人の旅の先へと向かって走り出した。
「ところで、あなたお金ある?」
スバル55が走り出してすぐ、夏菜が幸子を見た。
「おねえちゃん無いの?」
助手席にちょこんと座る幸子が夏菜を見返す。
「ガソリンを満タンにして、このサングラスを買ったら、無くなったわ」
夏菜は、自分でも気に入っているそのかわいい、形のよい鼻の上にかけられたバカでかいサングラスを上下にクイッ、クイッ、と右手指先で動かした。
「私は今朝お母さんからもらった今月のお小遣いと、使わないでとっておいた二千五百円があるから、ええっと、全部で三千円あるわ」
「それだけあれば十分よ。さっ、行きましょう」
「うん」
夏菜はさらにスバル55のアクセルを踏み込んだ。
空はどこまでもきれいに青く、その真ん中で太陽はギラギラと燃えていた。これから二人が行く、すべての世界は強烈な光のエネルギーでいっぱいに輝いていた。
スバル55は二人を乗せて、そんな世界へ向けて、プリプリと小さなエンジンを揺らしながら走って行った。
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