第162話 ベルシスにて

――アネーロ視点


私とバンディットは、それぞれの従者を連れて魔族領に潜入していた。ストローム王国での戦いで自分達の実力不足や魔族の脅威を間近に感じ、このままではいけないと一念発起したのだ。人族の領域に侵入してくる魔族を撃退するだけでは、いつまで経っても戦いは終わらない。いずれ必ず敵の本拠地に侵入し、魔王の首を取らなければならない。その前段階として魔族領に侵入したのだが、ここは我々が想像している以上に魔境だったようだ。


まず、まともな街や村の数が少ない。それほど期待していなかったものの、驚くほど人の住む集落がない。人族の領域と比べて人口が圧倒的に少なく、経済活動が小規模な事も理由なのだろう。そして、人に比べて圧倒的に多い魔物の数。魔物は本能的に魔族に従う習性をもっているため、彼等にとって脅威にはならないのだろうが……正直これには悩まされた。いくら修行のために潜入しているとは言え、一時間と休まる時間がない。常に交代で魔物の対処に当たっていたので最初は寝る暇も無かったぐらいだ。しかしそのおかげなのか、最近我々全員は短時間でも熟睡出来る特技を身に着けるようになっていた。


ギルドに持って行けば高値で取り引きして貰える素材など、ここではゴミと同然でしかない。素材を加工して卸す職人や商人もいないし、別に定住するわけでもないので自分達で利用しようとも思わない。だからいくら貴重な素材がとれても、持ち歩くのに邪魔だから捨てるしかないのだ。


もっとも、仮に職人や商人が存在していたとしても、魔族と接触するわけにもいかないので、我々には関係の無い事だが。


話に聞いていたとおり魔族領は複数の魔王による統治が続いている為なのか、それぞれの境界線には関所のようなものが複数確認出来た。数少ない街道には武装した大人数の魔族や、それに付き従う魔物の両方が目を光らせ、侵入者を警戒していたのだ。


全身が金色の鱗という目立つ容姿をしている私が原因なのか、一度ならず二度三度とそんな連中と戦闘となった時は死を覚悟したものだ。魔族の兵は末端まで強力な力を持っているため、油断すれば即、死が待っている。誰一人欠けることなく連中に勝利出来たのは奇跡としか言いようがない。だが、そのために得がたい経験が出来たのも確かだ。


そうこうしている内に何ヶ月経ったのか、苦労して倒していた魔族や魔物共も、最近では簡単に討伐出来るようになっていた。


「……ふう。これで終わりだ」

「ご苦労さん。よし、これで一旦修行は終了だな」


襲いかかってきた恐るべき魔物――獅子の体に山羊の頭、そして蛇の頭をした尻尾を生やした、いわゆるキメラという魔物の息の根を止め、一息ついた私にバンディットが声をかけてきた。自分で言うのも何だが、ここで厳しい戦いを繰り返していたおかげで、我々は当初と比較にならない強さを手に入れられたと思う。剣や槍を扱う技量は勿論、それを操る膂力、大地を蹴る瞬発力、何があっても取り乱さない冷静な判断力を身につけている。バンディット率いるバリオス組の魔法は次第に強力になっていき、今ではかなりの重傷も瞬時に治せるようになっていた。攻撃魔法もなく、ただの回復魔法とポーションだけでここまでこられたのだから、運にも恵まれていたのだろう。


キメラから槍を引き抜き、ブンと振って血糊を飛ばす。この槍も最初に持ってきたものと違い、戦いの結果魔族から奪い取ったものだ。激しい戦いが続けば武具の消耗も激しいため、今は全員がちぐはぐな装備を身に着けている。私は槍を肩に担ぎ直し、バンディットへと目を向けた。


「あまり長く国を空けるのもマズい。ストローム王国での騒動以来、人族の領域で何があったのかまるで情報がない。予定通りこの辺で帰るとしよう」

「俺達が暴れた影響で魔族領の戦力が少しでも減ってれば良いんだがな」

「ああ。だが、いつまでもここに居るわけにはいかない」


魔族領から私とバンディットの国は遠い。徒歩なら移動するだけで二ヶ月はかかっても不思議じゃない距離にあるのだ。今から帰っても、半年ほど国を留守にしたことになるだろう。


「とりあえず、一番近いボルドール王国を目指そう。そこから乗合馬車でも探した方が歩きより早いだろ」


バンディットの意見に皆が頷く。ボルドール王国と言えばラピス殿がいる国だ。以前見かけた彼女の圧倒的な強さにどれだけ迫れたか腕試しをしてみたい誘惑に駆られるが、今回は顔を合わせても挨拶だけにとどめておこう。そんな事を考えながら、我々は魔族領を後にした。


長い時間をかけ、危険な魔族領から何とか無事にボルドール王国へと入国出来た我々に、驚くような情報が入ってきた。ボルドール王国内で内乱が起こり、多数の死者や行方不明者が発生したと言うのだ。魔族領に近い街にある安宿の一階でそんな話を聞かされた時、私は思わず近くに居た酔っ払いに詰め寄っていた。


「その話は本当なのか? いったい何がどうなってそんな事態になったのだ?」


私の迫力に圧された酔っ払いは、酒ではない意味で顔を青くしながらも、詳しい事情を教えてくれた。


「長兄のスティードと、次兄のマグナ王子が……今は陛下か。と……とにかく、その二人の派閥がぶつかったんだよ。結局勝ったのはマグナ様みたいだけど、王都やその周辺じゃ随分死人が出たみたいだぜ」

「…………」


自分達が知らない間にそんな事態が起きていたなんて、予想もしなかったことだ。まさか内乱とは……。その上スティードの後ろで暗躍していたのがレブル帝国と言うではないか。あの皇帝からは良くないものを感じたが、ここまでの事をしでかすとはな。


「こうなったら俺達も急いで戻った方が良いな。ラピス嬢達の顔を見たいのはやまやまだが、レブル帝国が俺達の国にもちょっかいを出すかもしれないぜ」

「うむ。バンディットの言うとおりだ。我が国にも内乱の火種が燻っている可能性がある。出来るだけ急いで帰るとしよう」


翌日。馬を何頭か手に入れた我々は、それぞれの国を目指して街道を東進した。バンディット達とは再会を約束して途中で分かれ、我々三人はベルシスを目指す。途中何度か休憩を入れたものの、ほぼ休まず駆け抜けたことで、先に馬が潰れる結果になってしまったが。


「ただいま戻った!」

「アネーロ様!? よくぞご無事で!」


城門の前にある兵士詰め所から飛び出てきた衛兵は、我々の顔を見るなり目を丸くしていた。当然だろう。ストローム王国の一件以前から国を出ていたのだ。一年近く戻って来なかった勇者一行が連絡もなく戻ってきたのだから、驚くのも無理はない。


「ボルドール王国の事を耳にした。至急陛下に取り次ぎ願いたい」

「承知しました。少々お待ちを」


待機所に案内され、しばらく待たされた後に謁見の間へと通される。多忙な陛下の貴重な時間を割かせて申し訳なく思うが、無駄な時間をかけて敵の侵入を招いては意味が無いからな。


謁見の間の最奥で玉座に座る陛下は、以前と比べて少しやつれているように見えた。炎と称されるその真っ赤な鱗は艶がなく、その体から感じられる覇気も以前ほどではない。いったいどうしたものかと訝しんだが、人の目のある謁見の間で、それを直接問いただす訳にはいかなかった。


「久しいなアネーロ。無事なようで何よりだ」

「ご無沙汰しております陛下。ろくに連絡も差し上げずにいる無作法をお許しください」


私の挨拶に陛下は苦笑しながら答えてくれた。


「良い。もともとお前は自分の武を磨くことにしか興味のない男だ。礼儀などは最初から期待しておらん。それより、本日はどうした? まさか私の顔を見に戻った訳ではないのだろう?」

「その件ですが陛下。ボルドール王国で内乱が起こったことはご存じでしょうか?」

「勿論だ。かの大国が乱れては、我が国にもどのような影響があるかわからんからな。戦況は逐一報告させていたし、戦後処理に何が起きたのかも把握している」

「では、レブル帝国が裏で糸を引いていたという話もご存じでしょうか?」


私がそれを口にした途端、謁見の間の雰囲気が明らかに変わったのがわかった。左右に立つ武官や文官が露骨に目を逸らし、笑みを浮かべていた陛下の眉間に皺が寄ったためだ。


「……留守にしていたお前は知らないだろうが、我が国にはレブル帝国から協力要請が来ている。かつての勇者――ブレイブが姿を変えたラピスを使い、魔族と通じて世界を混乱させようとしているボルドール王国を共に討つようにと……な」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る