第110話 ソルシエールの街へ

ギルドが――と言うより、クリークさんが用意していた隠れ家は、驚いたことに街の中心部に近い所にあった。てっきり郊外や治安の悪いところにあるんだと思っていたから、これは意外だった。だからこそ貴族の私兵も見つけられていなかったんだろう。俺はたった今後にした宿から、金の麦亭に近い大通り近くへと戻っていく。周囲に人の気配は多いけど、誰もこちらをつけている様子はない。やがて俺は民家が多く並ぶ一画に辿り着き、目的の家の前に立っていた。


「……前にカリン達が住んでた所の近くか。隠れるのには打って付けだな」


出入りの激しい冒険者と言う職業が住む地域だけあって、突然見知らぬ親子が移り住んだからとしても、誰も気にしないだろう。クリークさんの配慮に感心しながら、俺は目の前のドアをノックした。最初は反応無し。一瞬留守かと思ったけど、中に人の気配はある。たぶんこちらを警戒しているんだろう。なのでもう一度ノックすると、諦めたのか覚悟を決めたのか、誰かがドアに近寄ってくるのが解った。


「……はい。! ラピ――」

「シッ!」


訪ねてきたのが誰か解った途端、声を上げそうになったセピアさんの口を慌てて押さえる。自分で言うのも何だが、この街で俺はちょっとした有名人だ。名前を聞かれただけで誰かの口から所在がバレるかもしれない。


「……戻ってらしたんですね」

「今日帰ったところです。それで、マリアさん達は?」

「ご無事ですよ。奥で隠れています。どうぞ中に」


夜なので部屋の中は暗い。人目を気にしてか蝋燭も使っていなかったみたいだから尚更だ。素早く光の魔法を天井付近に飛ばして部屋を明るくすると、途端にクローゼットからガタッと音がした。


「二人とも出てきて良いよ。俺だ。ラピスだ」

「お姉ちゃん?」


恐る恐るクローゼットから出てきたのはリーナだ。彼女は俺の姿を目にした瞬間、勢いよく飛びついてきた。


「お帰りなさい!」

「ただいまリーナ。ちょっと目を離してる間に怖いことになってたな。ごめんな」

「ううん、いいの。秘密基地みたいで楽しかったから」


子供ながらの健気さにこちらの表情も緩んでくる。リーナの頭を撫でながら、俺はマリアさんの様子も確認していた。どうやら怪我の類いもないらしい。


「ラピスさん、戻ってたんですね。無事で良かった。指名手配されたって聞いたから、どうなってるのか心配してたんです」

「ありがとうございます。でも大丈夫ですよ。こういう時のために鍛えてますからね」


そう言って力こぶを作ってみせると、そうでしたねと彼女は笑った。


「ラピス様。貴女がお戻りになったと言う事は、ルビアス様も――」

「もちろん一緒です。ただ、敵の目を眩ますためにそれぞれ別行動しているんですよ。俺は三人の無事の確認と保護、カリンとシエルは囮と王都の偵察、ディエーリアとルビアスは俺達の家とグロム様の城を偵察する事になってます」

「偵察ですか……ルビアス様が?」


不安なのか、セピアさんが少し眉を顰めた。街で暮らすようになって大分変わったとは言え、ルビアスは一本気で真面目な性格だ。嘘や誤魔化しが得意とはお世辞にも言えない。仮に兵士に問い詰められた時、旨く切り抜けられるか心配なんだろう。俺はそんな彼女を安心させるために笑いかけた。


「大丈夫ですよ。前ならともかく、今のルビアスは一人で何でも出来るようになってます。そこは信じてあげてください」

「ラピス様がそうおっしゃるなら……信じます」


部屋の中を見回す。いつでも逃げられるようにする為なのか、家具の類いは必要最低限だった。三人ともやつれた様子はないので食料は十分確保出来ているみたいだ。


「三人とも。いつまでもここにいると危険だから、とりあえず安全な場所まで避難しましょう。着替えや食料、最低限の物だけ持って出る準備をしてください」

「お姉ちゃん、何処に行くの?」


俺に抱きついたままそう尋ねるリーナに笑みを浮かべる。


「秘密の街だよ」


§ § §


三人の隠れ家で小一時間ほど時間を潰した俺は、周囲が静かになった頃行動する事に決めた。辺りに人の気配がないことを確認した後、素早く手招きして三人を家から出す。そしてリーナだけでなく、全員が繋がるようにロープで縛り始めた。


「大丈夫だと思うけど、一応念のためにね」


三人には、これから俺の魔法で空を飛ぶと説明してある。大人数の移動となると、以前の俺なら無理矢理引っ張って飛ぶしかなかったものの、今の俺なら話は別だ。修行によって神々の加護を更に得やすくなった俺は、二つ同時に魔法を使えるようになっている。飛行と重力制御の二つで、戦いに無縁な彼女達でも問題なく運べるはずだ。


「まさか空を飛ぶことになるなんて……」

「怖いですね。私、さっきから足がすくんで……」

「楽しみ~」


セピアさんとマリアさんは空を飛ぶことに消極的だった。リーナは怖いもの知らずのようで、空を飛べると聞いた途端喜んでいたが。


「準備は出来たね? よし、じゃあ三人とも俺に掴まって。魔法を使うよ」


緊張した表情で三人が俺の体を掴んだ。それを確認した後、俺は精神を集中させる。


「知恵の神ウィダムよ、力を貸してくれ」


詠唱とも言えない短い呟きの直後、四人の体がフワリと浮き上がった。


「う、浮いてる……」

「わわわ!」

「凄い凄い!」


初めての体験で狼狽える三人は、もう監視のことなど頭から消えてなくなっているんだろう。遠慮なく騒いでいた。でも問題ない。一度空に逃げてしまえば、飛行魔法を使えない兵士にはどうしようもないのだから。ある程度高度を取った後、俺はソルシエールの街がある森目がけて一直線に飛び始めた。


「か、風が凄い!」

「正面を見ないで顔を下に向けて! 息がしにくいから! 怖いなら目を閉じてていい!」


飛行魔法と重力制御の二つを使ったまでは良いけど、風の事を失念していた。三人には悪いけど、人目につくのも避けたいしこのまま行かせてもらおう。


「…………!」

「うう……!」

「すごーい! 凄く早いねお姉ちゃん!」

「そうだろ!? お姉ちゃんは凄いんだよ!」


大人二人が目をぎゅっとつむって恐怖と風に耐えている中で、リーナはまったく別の反応を見せていた。猛烈な速度で眼下の地面が流れていると言うのに、彼女はお構いなしではしゃいでいる。無邪気というか何と言うか、この子は将来大物になるかもしれないな。時間にしたら僅かな間だったけど、俺達は以前ソルシエールの操るウェアウルフの案内してくれた森の奥に辿り着いた。地面に降りた途端、セピアさんとマリアさんの二人は地面に崩れ落ちる。そんな二人を解放していると、近寄ってくる気配に気がついた。


「ひ! 魔物!」

「ラ、ラピス様! 魔物があそこに!」

「お姉ちゃん!」


流石にリーナも魔物は怖いのか、慌てて俺の背中に隠れる。そんな彼女達を庇いつつ、俺は正面から歩いてきた魔物へ対峙した。


「お前、ソルシエールの使いか?」


ウェアウルフは答える代わりに、いきなりその場で土下座した。


「ど、土下座!?」

「魔物がなんで……」


マリアさん達は突然の奇行に驚きの声を上げている。どうやら俺の予想に間違いないようだ。普通のウェアウルフが人間相手にこんな真似をするはずがない。間違いなくコイツはソルシエールから折檻――じゃなく、躾をされている個体に違いない。


「ゾルジエールザマガラ、オマエダヂヲデムカエルヨウニイワレダ。ツイデゴイ」


彼はそう言って立ち上がると、こちらの返事も待たずに背を向けて歩き始めた。行き先なら知っているので無視しても良いんだが、それをやると目の前の彼が後で酷い目に合わされるのが予想出来たので、ここは大人しく従っておく事にする。


「ラピス様……」

「大丈夫。あれは俺の知人の召し使いです。こちらに危害は与えないので、安心してついて行きましょう」


こちらに使いを寄こしたって事は、ソルシエールも大体の事情は把握していると考えて間違いない。その上で三人を受け入れてくれるつもりなんだろう。俺は安心しつつ、かつての仲間に心の中で感謝した。

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