第95話 過去の戦訓

――ルビアス視点


「なら、すぐに準備を――と言いたいところですが、まずはあなた達の傷を癒やさなければいけません。その液体を飲み干しなさい」


我々の目の前に置かれ、妙な臭いを放つカップを指さしながらセレーネは言う。とても人間が飲めるとも思えない異様な色と匂いに、私は思わず眉を顰めていた。チラリと左右を見ると仲間達も同じような表情をしている。


「あの、これは……?」

「特別製の回復薬です。傷の治療と魔力の回復、そして眠気を吹き飛ばしてくれる便利な薬です。三百年ぶりに作ってみましたが、思ったより上手に出来ました」


シエルの問いに、セレーネは少しだけ得意気な表情を見せた。……なぜこんな得体の知れないものを作り上げて得意気なのか理解しがたいが、人の姿に似せてはいるものの彼女はドラゴン。我々の常識に当てはめるべきではない。


一瞬互いに顔を見合わせ飲むのを躊躇したが、まさかセレーネが毒殺なんて面倒な真似をするはずがなく、この液体は本当に彼女の言うような効能があるのだろう。ならば選択の余地などない。一刻も早く師匠の元へ駆けつけるため、この程度の液体を飲み干すのは造作もない。私は意を決して目の前のカップを手に取り、息を止めてその中身を一気に喉の奥へと流し込んだ。


「――!?」


口の中に今まで感じた事もないような刺激と共に、胃を中心に体全体が熱くなる。ドブのような臭いで嘔吐しそうになるのを必死に堪え、両目を固く閉じて口を両手で押さえる。たった今飲み干した液体やその他の酸っぱいものがこみ上げて涙が出てくるが、それらを無理矢理飲み込んだ。


「ゲホッ! う……不味いなんてものじゃない……」

「今までで最悪の味ね……。でもそのおかげかしら? 傷もすっかり癒えたみたい」

「本当だ。どこも痛くない」

「……これで戦えるね」


ディエーリアが闘志の籠もった目でそう言った。そう。こんな液体を飲み干すぐらいが何だというのだ。今は師匠の事が最優先。他の些事に気を取られている場合じゃない。我々は誰に言われる事なく部屋の隅に行くと、無言で装備を調え始めた。


「元気になったようでなによりです。それでは戦いやすいように、私は一足先に外に出ています。戦いの場所はこの部屋を出てまっすぐ行った扉の向こう。私達ドラゴンなら狭く感じますが、あなた達人間が暴れるには十分な広さをもった場所です。準備が出来たらいつでも来なさい」


そう言って、セレーネは後ろも振り返らずに部屋を後にした。本当なら装備を調えた瞬間駆け出したいところだが、我々は顔を見合わせると一つ頷き、側によって顔をつきあわせた。セレーネは強い。流石に師匠ほど強くはないと思うが、何の作戦もなしに戦っても勝ち目がないのは前回で学習済みだ。感情だけで戦っても軽くあしらわれて終わり、気がついたらまたこの部屋というオチも十分に考えられる。それでも師匠の元に辿り着くのがいつになるかわかったものじゃない。なら冷静に戦力差を分析し、我々がどうやってセレーネに勝つのかの作戦を練るべきだろう。その為に、まず私が口火を切った。


「まず、我々の動きではセレーネについて行けない。彼女が本気になった速さがどの程度かわからないが、我々全員より圧倒的に早いのは確かだ」

「それに加えて攻撃も圧倒的ね。まだ攻撃を当てた事はないけど、防御力も同程度と考えた方が良さそうだわ」


シエルの補足にみんなが頷く。最弱と言われるグリーンドラゴンですら、熟練の兵士の攻撃を軽々とはじき返す程鱗が硬い。人化もでき、我々以上に知性を持ったドラゴンはソレより強力と考えるのが普通だ。


「でも、今回はかすり傷をつける程度で勝ちと認めてくれるんだよね? なら防御力はあんまり気にしなくて良いんじゃないの?」

「そうなんだろうけど、その傷すらつかない可能性も考えなきゃ」


カリンの言葉にディエーリアが反論する。そうなのだ。セレーネに我々の武器や技術がどれだけ通用するかわからない。渾身の一撃を当てたところで無傷でいられたら、我々には為す術がない。


「それは考えても仕方がないわ。私達は手持ちの武器や魔法で彼女と戦うしかないんだから、攻撃を当てると言う一点にのみ集中しましょう。で、問題はどうやって当てるのかなんだけど……」


シエルが言うと、全員が難しい顔で黙り込んだ。あの時――冷静でなかったとは言え、セレーネは我々全員を苦もなく叩きのめして見せた。目にもとまらぬ速さとはあれの事だ。しかし今まで厳しい戦いをくぐり抜けてきただけあって、我々はそんな程度で戦意を喪失などしない。自分も自信がないだろうに、パーティーのムードメーカーでもあるカリンは無理矢理笑顔を見せる。


「なんか……状況的に似てるよね。ほら、初めて魔族と戦った時を思い出してよ。あの時戦った魔族は私達より早くて強くて、とても勝ち目なんかなかったはずなのに、それでも互角に戦えたじゃない?」

「そうだね。あの時はラピスちゃんのアドバイスで戦況をひっくり返す事ができた。そのやり方を思い出せば、今回も何とかなるかも知れない」


ディエーリアの言うとおり、私は魔族との初邂逅を思い出していた。あの時、敵よりスピードで劣る我々に師匠は何と言っていたか? 相手が自分を上回る速さを持っていたら、目で見て判断してからじゃ遅い。『見る』のではなく『観る』のだ。全体をボンヤリと視界に入れ、相手の視線や息づかいから次の動きを予想する。今回はそれを極限まで高めればいいだけの話だ。


「セレーネに対処するには無駄な動きを一切捨てて、必要最小限の動きで立ち回るしかない。単なる勘だが、彼女には派手な攻撃が通用する相手とも思えないし、本当に地味で鋭い攻撃だけが唯一の攻撃手段になると思う」


私の意見に賛同するようにシエルが頷いた。


「私もルビアスに賛成。大技はこちらの動きも阻害されるから、私は今回みんなの援護に回るわ」

「なら、私も派手な精霊魔法とかは止めておくね。幸いこの神殿にはいろんな精霊が居るみたいだから、補助的な魔法と弓だけで援護するよ。なにより、私の剣の腕じゃ邪魔になるもんね」


ディエーリアがベヒモスを召喚出来れば良い勝負になるかも知れないが、無い物ねだりをしても仕方がない。それに彼女の弓と精霊魔法は超一流と言っても良い腕前なのだ。その彼女が補助に専念するというのなら、前衛の我々にとって心強い。


「と言う事は……今回私とルビアスが頑張らなきゃいけないね」


本当は余裕など無いだろうに、カリンは私に微笑みかける。私もそれに応えるべく、口元に笑みを浮かべた。


「そうだな。パーティーの前衛二人で敵を抑え込む――戦士として本来の役割通りになるのだから、むしろ望むところだろう」

「なら、作戦は決まりね。カリンとルビアスでセレーネを挟み撃ちにして、私とディエーリアは離れたところから援護に徹する。近くに居たらあっと言う間に全滅するかも知れないから、後衛はなるべく距離を空けておくわ。何か他にある?」


シエルの問いに誰もが首を振る。しかし、誰と言うわけでもなく、自然と全員が身を寄せ合い、静かに肩を組んだ。


「勝つぞ。何としても勝つ。絶対勝つんだ! 諦めない限りは負けない。何度倒れようが、

絶対諦めないぞ!」

「早くラピスちゃんに謝らなきゃいけないからね。もたもたしてられないわ!」

「私達が本気でやればなんとかなるって!」

「そうそう。こういう時はラピスちゃんの気楽さを見習わないとね」


飄々とした師匠の態度を思い出し、自然と笑いが漏れた。そしてそれぞれが武器を手に取り、静かに部屋から歩み出る。一歩進むごとに緊張が増し、ここから先に居るのが強敵だと本能が教えてくれる。しかし我々に恐れはない。勇者パーティーの力、見せつけてやろうじゃないか。

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