第91話 竜王
――ディエーリア視点
頭がおかしい。ラピスちゃんに対してそう思った事は今まで何度もあったけど、今回ばかりは極めつけだった。魔物の中で別格の存在であるドラゴン。その中でも歳を経て力を増したドラゴンばかりが巣くっていると言われる竜の巣に乗り込んで、竜王やその配下と戦おうなんて発想――頭がおかしいとしか感想が出てこない。
初めて入った竜の巣は、私の想像していた物とかけ離れていた。巨大なドラゴンの多くがねぐらとするはずだから、てっきりゴツゴツした岩場を想像していたのに、実際には巨大な神殿だったからだ。と言ってもそれは奥地の話であって、もちろんそこに来るまでは私の想像した場所だったけれど。
「ここが竜王の神殿だよ。入ったのは三百年ぶりだけど、全然変わってないな」
どこか懐かしさを感じさせる表情でラピスちゃんはそう言った。道中、彼女は群がってくるドラゴンを文字通り蹴散らしながら、私達に説明してくれた。
「厳密に言うと、俺達が目指しているのは竜の巣の最奥にある、竜王の神殿なんだ。あそこは竜王達が住みやすく、他の生物が入ってこれないように色々な仕掛けがされている。例えば空気が薄かったり、重力が普通より強力だったり、魔力のコントロールが難しかったりするんだ。でもその分、鍛えるにはもってこいの環境だと断言できる」
聞けば聞くほど行きたくなくなる場所みたい。私達が苦労して倒した幼竜より遙かに大きく凶悪なドラゴンを、ラピスちゃんは苦も無く倒していく。竜の巣に足を踏み入れてから何度となく襲撃を受けその度に怯えていた私達だったけど、段々感覚が麻痺してきたのか、次第に何も感じなくなってきていた。
普通の冒険者なら飛びつきそうなドラゴンの死骸を放置して進み、ようやく辿り着いたのが竜王の神殿だった。巨大な山脈だから山の頂上にでもあるのかと思ったけれど、私達が辿り着いたのは山頂どころか地下深く。一体誰が作ったのか、汚れ一つ無い大理石で作られた長い長い階段を下りていき、日の光などとっくに見えなくなった頃に地下全体が淡い光を放っている場所が近づいてきた。階段を降りきった先は壁一面に光の魔法がかけられてでもいるのか、地の底だというのに昼間と変わりないほど明るく開けた場所。一本が通常の神殿にあるものの十倍以上ありそうな巨大な柱が奥へ奥へと続いている。
神聖さよりも異様さが際立つ環境に圧倒されつつ、私達は自分の体に起きた変化に気がついていた。
「お、重い……!」
「息も苦しいわ……。呼吸するだけでもしんどいかも……」
「魔力が上手く練れない! かなり集中しないと、簡単な魔法ですら使えないわね」
事前に説明を受けていなきゃ、ここに来た時点でパニックになっていたかも知れない。目を白黒させている私達と違って、ラピスちゃんはいつも通りの涼しい顔だ。理不尽だと解ってるけど、なんかムカついてきた。
「この先に竜王達がいるはずだよ。彼等は滅多に動かないはずだから、たぶん今でもいると思う。早速行こうか」
私の気持ちを知ってか知らずか、そう宣言したラピスちゃんは振り返りもしないで歩き出した。こんな所に置いて行かれてはたまらないし、心細いのもあって私達は慌てて後を追う。すると先に進むにつれ、次第に私達の口数が減っていった。
「なんか……さっきより息苦しくなってない?」
「うん……これって殺気……じゃないけど、凄い存在感だね」
カリンの呟きに応える。彼女が言ったとおり、私達が進んでいる方向――つまり神殿の奥から、とんでもないプレッシャがひしひしと感じられていた。これがたぶん竜王の気配なんだろうけど、姿も見えない内からこれってどうなの? 既に普通のドラゴンじゃ足下にも及ばない程強烈だよ。
次第に誰も話さなくなって、コツコツとただ足音だけが広大な神殿で響いている。ただ前に進むだけで辛くなるなんて想像もしてなかった。一歩進むごとに地獄に近づいているような錯覚をして、時々足が止まってしまう。それは私だけじゃないらしく、ラピスちゃん以外は似たり寄ったりだった。
「ついたよ」
俯いて歩く事だけに集中していた間に、いつの間にか一番奥に来ていたらしい。ふと顔を上げた私の目の前には、金色に輝く一枚の壁があった。竜王がいるはずなのに壁? 竜王はどこにいるの? と思って左右を見渡したら、シエルとカリン、ルビアスの三人が今まで見た事も無いような表情で上を見上げていた。つられて私も上を向き、その瞬間固まってしまう。私達の遙か頭上、見上げる大きさだったボルドール王国の王城よりもまだ上の位置に、巨大な――あまりにも巨大なドラゴンの頭があった。あれが……竜王? と、認識した途端に底知れぬ恐怖に襲われる。自分の意思を無視して体が勝手に震えだし、カチカチと歯の根が合わない。気絶出来たら楽なのに。中途半端に鍛えた精神力のおかげでそれも出来ない。本能と理性の両方で理解出来る。あれは絶対勝てない。今まで戦ってきた魔族なんて、あれに比べたら羽虫も同然だ。この世にこんな存在がいるなんて……!
身動きも出来ずにただ震えるだけの私達。その前に立っていたラピスちゃんは、少しの動揺も感じさせない様子で一歩前に出る。その背中を見ているといつも通りの安心感があるけど、彼女も怯えているのかな? それとも、竜王を前にしても怖くないの?
「久しいな、エストレヤ」
見るだけで人を卒倒させそうな外見とは反比例に、その無数の牙が並ぶ凶悪な口からは、穏やかで優しげな声が漏れた。エストレヤって……誰の事?
「その呼び方も久しぶりだな。竜王――いや、ティアマト」
恐怖でまともな思考が出来ない私達を余所に、ラピスちゃんは笑いながらそう答えた。
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