第89話 過去のブレイブ

――アプリリア視点


私の名はアプリリア。現在五つに分かれた魔族領の内の一つを治める魔王よ。他の自称魔王と違い、私は力押しを好まない。何事もスマートに、効率よく進めていくやり方が性に合っているの。現在の魔族領は北東に私、南東にトライアンフ。北西にピアジオ、南西にドゥカティ。そして中央に復活したばかりの魔王――アグスタ。かつて私達の主だったアグスタ。仕えていた頃は尊敬もしていたし、その力に脅威も感じていた。


でも、それも過去の話だ。まだまだ若輩だった頃と違って、今の私はかつてのアグスタを凌駕する力を手にしている。勇者に敗れ、魔族全体を崩壊一歩手前まで追いやったあの無能が今更出てきたとこで、一体何が出来るんだか……。まあ、それは今考える事じゃないわね。今重要なのは、私の部下であるフツーラが持ち帰ってきた情報――勇者ブレイブ生存の情報よ。


勇者ブレイブ――魔族と人族による大陸の覇者を巡る大戦が始まり、魔族が世界制覇をする直前に突如現れた人間の勇者。ありとあらゆる武器や魔法を使いこなし、圧倒的な個人戦闘力で一気に形勢を逆転させてしまった化け物。名のある魔族を次々と討ち取り、その圧倒的な戦闘力で全ての魔族を恐怖に陥れた存在。そのブレイブが生きていると言うのは、決して無視出来る内容じゃ無かった。


話すように促すと、フツーラは冷や汗をポタポタと垂らしながら、しどろもどろでブレイブの目撃情報を語り始めた。


「今回、王族や街の人間を人質にすると言う作戦でしたが、それを邪魔したのがブレイブやその仲間だったのです」


フツーラの話によると、コイツの潜む屋敷に乗り込んできた一人の女、それが勇者ブレイブだと言うのだ。このフツーラと言う男、頭は悪いけど腕はそこそこ立ち、数多く居る私の部下の中でも比較的強い方だったりする。それがその女に手も足も出ず、一方的に完封されたというのだから驚きだ。そのラピスという女が、以前トライアンフの手下であるラクスを追い詰めた女と同一人物だというので、コイツはブレイブである事を確信したらしい。


「素手で武器を砕き、徒手空拳で魔族の相手が出来る人間なんて、ブレイブ以外に存在しません! それに奴から感じた殺気や身のこなし、それは間違いなく過去にこの目で見たブレイブのものと瓜二つです。技術を伝承しているだけと言う可能性もありますが、三百年経ったこの時代で、たまたま俺と戦ったのがブレイブの遠い弟子である可能性は低いと思います」


確かに、普通の人間がいくら鍛えてもそんな真似は出来ないはずね。人間と言うのは種族的にそこまで強力な力は持っていない。魔力ならエルフ。腕力ならドワーフやリザードマンの方が確実に上回っているはず。その常識を覆したのがブレイブと言う存在だけど、流石に鍛えただけであんな化け物と同等になれるとも思えない。


「なるほど……。お前の言うとおりなら、そのラピスとか言う女が姿を変えたブレイブなんでしょうね。しかし……その目的は何なのかしら?」

「そ、それは……申し訳ありません。俺じゃわかりません」


そう言って再び頭を下げるフツーラ。ま、相手は仮にも勇者だった男だ。コイツ程度に見透かされるはずも無いか。


「ふむ、事情は理解したわ。今回は相手が悪かったという事で処罰するのは勘弁してあげる」


命が助かった安堵からか、フツーラは喜色を浮かべて頭を上げた。けど、すぐにその表情が凍り付く。まるで虫けらでも眺めるような冷たい目で、私が見下ろしていたからだ。


「勘違いしない事ね。とりあえずの処罰は勘弁してあげるけど、お前を許したつもりは無いのよ。名誉挽回したいなら、今後の働きで返しなさい」

「も、もちろんです! 何なりとお申し付けください!」


地面に頭を擦りつけるように平伏したフツーラを眺めながら、私はコイツにどんな仕事を与えるか少し考える。


「そうね。じゃあお前はラピスを見張りなさい。あいつが何の目的で名前や姿を変えているのかを調べ、そして奴の弱みになりそうな部分を探るのよ。お前に与えた腕輪があれば、たとえ街中を神聖魔法で覆われても変装したままでいられるはず。決して目立つ事無く、気取られる事無く、一人の人間として潜伏してみせるのね。それが出来れば今回の失態は勘弁してあげるわ。でも、もしまた失敗するような事があれば――」

「必ず! やり遂げて見せます! お任せください!」


再び漏れ出した私の殺気に当てられ、フツーラが真っ青になってそう宣言した。まるで野良犬でも追い払うように手を払うと、入ってきた時の倍以上の速さで部屋から出て行ってしまった。ょっとビビらせすぎたかしら?


「それにしても……ふふ。まさかブレイブが生きていたなんてね!」


今でも鮮明に思い出す。まだ年若い娘だった私の心に、消える事の無い恐怖を刻みつけた存在。あの当時じゃ勝負にこそならなかったけど、今なら何とか出来るかもね。でも、直接戦うような馬鹿な真似はしない。万が一にも自分が死ぬ可能性があるなら、それは回避すべき戦いなのだから。


「上手く誘導して他の魔王を倒してもらわなきゃ。とりあえず、トライアンフとぶつけないとね」


人気の無くなった暗い部屋で、私は食器棚からワイングラスを取りだしてその中身を満たす。鼻を抜けていく芳醇な香りが、私の気分を更に高揚させてくれた。面白くなってきたわね。喉を通るワインの味を楽しみながら、私は一人笑みを浮かべた。


§ § §


ストローム王国における一連の騒動――魔族の侵攻から人質騒ぎまである程度片がついたので、俺達はスーフォアの街に戻ってきていた。これで再び平和な日常が戻ってくる……と大部分の人が思っていたみたいだけど、少なくとも俺達パーティーはそんなのんびりしている場合じゃ無いと思っていた。


「今回は運良く勝てましたが、次もそうなるとは限りません。師匠、私に更なる稽古をつけてください!」

「私も付き合う。今回はギリギリだったからね。もう少し余裕のある戦い方をしたいわ」


今回の事で思うところがあったのか、ルビアスとディエーリアの二人は危機感を感じていたみたいだ。特に普段何かとサボりたがるディエーリアがやる気になっているなんて、よっぽど危ない目にあったに違いない。チラリと視線を向けると、シエルとカリンも付き合うつもりのようだ。よし、そう言う事なら……。


「そうだな……。俺も今回は魔族を取り逃がしたし、一度自分を鍛え直したいと思ってた所なんだ。一度まとまった休みを取って、全員で訓練しようか?」

「さんせーい!」

「師匠も鍛えるのですか? これは楽しみです!」

「ラピスちゃんが鍛えてるとこは見た事無いものね。興味深いわ」

「強さの秘密が探れるかも……」


……なんか色々と期待してるところ悪いが、そんなに大層な事はしてないと思うぞ。ただ、今の訓練所で行われているメニューが生ぬるく感じる程度ってだけで。


「ところでラピスちゃん、どこか行く当てはあるの?」


カリンが首をかしげながらそう問いかけてくる。一瞬腕を組んで考え込んだ俺だったけど、真っ先に頭に思い浮かんだ場所が一つあった。


「竜の巣に行こうと思う。あそこなら訓練相手に困らないし、居るだけで体が鍛えられるから、腕を磨くのに最適な場所だよ」

『……………………』


なぜか絶句する四人。意外な反応にこっちが戸惑ってしまう。


「ラ……ラピスちゃん。竜の巣って……あの竜の巣よね?」


絞り出すようなシエルの言葉に頷きで返す。


「他に竜の巣があるかは知らないけど、俺が行くつもりなのは大陸中央にそびえる霊峰の事だよ」


それを聞いた途端、彼女達は絶望的な表情を浮かべた。カリンはあんぐりと口を開け、シエルは頭を抱え、ルビアスは難しい顔で黙り込み、ディエーリアはお腹を抱えてうずくまってしまう。


「あ、あんな所に行くつもりなの!?」

「自殺行為じゃ無いかしら……」

「ううむ……流石師匠と言うべきか……」

「私ちょっとお腹が痛くなってきて……留守番してていいかな?」

「ダメダメ! 強くなろうと思ったら、ある程度は無茶しないとね。大丈夫! 絶対にみんなを死なせたりしないから!」


一人和やかに笑う俺とは対照的に、彼女達は死を覚悟したような顔をしていた。

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