第86話 事件の裏で

粉々に砕け散ったガラスも気にせず部屋の中に飛び込んだ俺は、素早く周囲に視線を飛ばして気配を探した。誰も居ない? いや、そんなはずは――と思いかけたその時、部屋の隅にある表面の剥げた大きなソファに、体を預ける一人の男が目に入った。


「随分派手な登場だな。人間の間じゃ、窓を破って部屋に入るのが普通なのか?」

「!?」


男――魔族はそう言うと笑みを浮かべる。コイツ……俺に気配を悟らせなかった? いや、違うな。これは何か特別な方法を使っているはずだ。突入するまでは確かに気配があった。それが屋敷に入った途端、途端に気配が曖昧になって目標を見失ってしまったんだ。コイツが達人ならそもそも外から気配を探る事さえ出来なかったはず。と言う事は何か魔法なりアイテムなりで俺の認識を誤魔化しているんだろう。事実、目の前に居るというのに、魔族の気配は希薄なままだ。


「随分驚いているみたいだな。お前達のやり方を見るのはこれが初めてじゃないんでね。こっちも対策させてもらったぜ」

「……どう言う事だ?」

「なに、お前達人間は神聖魔法の結界で俺達の力を弱めるんだろ? だからその神聖魔法の効果を打ち消してやればいいと思ってな。他の魔王はどうだか知らんが、我が主アプリリア様の叡智にかかれば、この程度の魔法を無効化するなど造作も無い」

「!」


思わず息をのむ。そんな方法が存在するなら、ここ以外の――例えば王城に潜入したルビアス達が苦戦しているんじゃないのか? しかし俺の焦りに気づいているのかいないのか、魔族は言葉を続ける。


「だがまぁ……生憎と、この神聖魔法を打ち消してくれる腕輪は量産が間に合っていないんでな。今この街で身に着けてるのは俺だけだ。つまりお前は運悪く、何の制限も受けていない魔族と戦う事になったってわけだ。おまけにこの腕輪は使用者の気配を曖昧にしてくれて、若干ながら身体強化の能力まで付与されている。万に一つもお前に勝ち目はないぜ」


自分の実力に絶対の自信があるのか、聞いてもいない事をベラベラと自慢げに喋る魔族。そんな魔族を余所に、俺はホッと胸をなで下ろしていた。ルビアス達と戦う魔族が弱ってるなら問題ない。俺は俺で、さっさとコイツを排除するだけだ。


それにしても驚いた。俺達が魔族と戦い始めたのはつい最近だし、俺が覚えている限りフレアさんが神聖魔法を使って魔族を弱体化させたのが最初だったと思う。なのにこの短期間で対策を立ててくるなんて、魔族も侮れないな。


魔族は話したい事を話して気が済んだのか、腰から二振りの短剣を抜いて素早く身構えた。短剣――リーチの短さや威力の低さが理由で、体を張って戦う戦士からメインウェポン扱いされず、予備の武器として扱われる物だ。パーティーの斥候を務める身軽な者達には好かれているものの、彼等も自分の身軽さを生かす武器として短剣を利用しているので、威力はそれ程気にしていないはずだ。でも短剣には他の武器に無い利点がある。それは今言った身軽さ。軽くて小さいので取り回しが楽だし、こんな狭い部屋で戦う時は非常に有利だ。剣や槍では天井に当たって武器を取り落とす可能性すらある。天井や壁にぶつけるほど下手くそでは無いつもりだけど、攻撃の範囲が狭められているのは事実だった。


(それが解ってるから外に出ずに、室内で迎え撃ったってわけか。頭の切れる奴だな)


魔族は相変わらず笑みを浮かべているものの、その目は少しもふざけた様子が無い。たぶん俺の油断を誘うつもりなんだろう。今まで出会った魔族とまるで違うそのやり方に戸惑いを覚える。


武器を構えたまま互いの距離がジリジリと狭まる。俺としてはサッサと勝負をつけてこの屋敷を後にしたいところだったけど、思った以上にコイツは強そうだった。既に俺の構えるハルバードは奴の体を捉えられる範囲にある。これ以上接近を許しては面倒な事になるので、俺は意を決して手に持った武器を一閃させた。


「ふっ!」


並の魔族なら一撃で絶命確実なその攻撃を、魔族は素早く頭をそらす事でギリギリ躱し、逆に一歩踏み込むと交差させるように短剣で俺の喉元を狙ってきた。慌てずに避け、引き戻したハルバードの棘で引っかけてやろうとしたが、これも上手く躱されてしまった。魔族は距離を取って仕切り直す事無く、俺と目の鼻の先で次々と短剣で斬りつけてくる。これが外なら強引に振り抜いたハルバードの一閃で、コイツを無理矢理吹き飛ばす事も出来ただろう。しかしここは屋敷の中。しかも人質救出中の、いつ崩れるかも解らないボロ屋だ。無茶な攻撃をしてバッカス達を巻き込むわけにはいかない。結果、俺は防戦一方に追い込まれていた。


「どうした!? そんなものか!? お前の実力を見せて見ろ!」

「いい気になりやがって……! ええい! 面倒くさい!」


ハルバードを使ったままじゃ埒が明かないと判断した俺は、思い切ってそれを投げ捨て、魔族の頭を目がけて自分の拳を振り抜いた。


「なんと!?」

「ちっ! 擦っただけか!」


俺の拳は魔族の眉間を掠めただけだ。しかしそれだけで深い切り傷を負ったらしく、魔族の頭はどんどん血まみれになっていく。


「まさか素手で戦うとはな……! 思い切った事をする!」

「こっちの方が早く動けるだろ!」


繰り出される短剣の腹を叩いて軌道を逸らし、反撃にアバラを狙った拳は肘で受け止められる。鈍い音とともに確かに伝わってくる骨を折った感触。しかし魔族は少し顔を歪めただけで、変わらない勢いで攻撃を続行している。胸元に突き出された短剣を地面に伏せて避け、そのまま体を回転させて足払いをお見舞いしたが、それは後方に跳ぶ事で躱されてしまった。一旦距離を置いた魔族は深呼吸するように深く息を吐き、自らの魔法で傷を塞いでいく。


「驚いた。まさかここまで強いとは……流石にあのラクスを圧倒しただけの事はある」

「ラクス? 誰だソレは?」


聞いた事も無い名前を出されて、思わず首をかしげてしまった。俺の知り合いにそんな奴は居ないはずだぞ。


「ああ、名前は聞いていないのか。ラクスって言うのは以前お前と戦い、逃げ出した女魔族の事だ。あいつは古い知り合いでね。なかなか強い奴なんだが、お前の相手にはならなかったみたいだな」

「……あいつか。なるほど……あの女魔族ね」


以前ルビアス達が留守の時、俺だけ先行してフレアさんと共に魔族と戦った事がある。コイツが言ってるのはあの時取り逃がした女魔族の名前なんだろう。しかし今はそれより気になる事がある。それを確かめておかないと。


「つまり……お前とあのラクスって女は、同じ魔王に仕えているって事か?」


ストローム王国急襲からこの人質騒ぎまで、全て同じ魔王が行っていたのか? そこがハッキリしないと、奴等の本拠地に乗り込む時、何処を目標にすれば良いのか解らなくなってくる。魔族は特に隠す気も無いのか、油断なく構えながら口を開いた。


「俺とラクスは別の派閥だ。あの女の主はトライアンフって名前の自称魔族で、俺の主が真の魔王であるアプリリア様だ。奴等は何も考えずに力尽くでこの国を墜とそうとしたみたいだが、それはお前達によって阻止されてしまったがな」

「じゃあ、お前達が人質を取ってまで俺達と戦わせようとしたのは……」

「当然、トライアンフの野郎だ。人間てのは権威に弱いからな。国王を脅して労なくつぶし合いをさせようとしたんだが……上手くいかなかった。ま、お前達が動いた時点で今回の計画は失敗だから、俺はそろそろお暇させてもらうがね」


そう言って自嘲気味に笑う魔族。まさかそんな裏があったなんてな……。まったく……舐めた真似をしてくれたもんだ。静かに魔力を高めて体の隅々に巡らせていく。屋敷を壊すほど派手な真似はしないが、今からコイツには本気の格闘術を見せてやろう。多くの人を操って傷つけた報いは受けてもらわなきゃな。そんな俺の変化に気がついたのか、魔族は厳しい目でこちらを睨み付けてくる。


「怒ったのか? 正直俺達魔族には理解できんのだが……他人の事でそこまで怒れるのは、やっぱり勇者パーティーだからか?」

「……違うね。この感情はごく一般的なものだ。人間なら誰だって怒るさ。そして覚悟しろ。今からお前には、犠牲になった人々の万分の一でも苦しみを与えてやる」


力を込めた足が床を蹴る。本気になった俺の拳が、魔族目がけて襲いかかった。

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