第44話 少ない報酬

――デイトナ視点


「くそ! あんな奴等にやられるとは!」


苛立ちをぶつけるように殴りつけた手近な家具は、派手な音を立てて粉砕された。側に立っていた部下がビクリと体を震わせて、恐怖に怯えた目を向けてくる。普段ならなんてことの無い視線だが、今の俺にはそれすら煩わしく感じられた。


あの忌ま忌ましい女どもと戦った後、俺は本拠地に戻って傷の手当てを受けていた。もっとも、女どもから受けた傷は大したことが無い。一番大きなダメージは、逃げるために放った自分自身の魔法だ。情けないが、あの時はああするのが最適だった。でなければ、俺の連れていた配下や魔物を一人で刈り尽くしていた女と戦うことになっていたからだ。


今思い出しても寒気がする。上空から向けられていた強烈な殺気。あれのおかけで、俺は目の前で戦う女どもに集中できずにやられたようなものだ。確かに女どもは俺の本気に対応出来ていたように見えたが、あんなもの、俺が冷静にさえなっていれば十分どうにかなる。空を飛んでいた女――あいつさえいなければの話だが。


貴重な配下と魔物を消耗し、無様に逃げ帰ってきた俺は、トライアンフ様から激しい叱責を受けた。当然だ。他の魔王や人間共といつ一戦を交えるかも知れない状況で、訳のわからない相手に負けたのだから。今頃、俺と肩を並べる連中は、俺の失敗を見てほくそ笑んでいるだろうぜ。トライアンフ様に取り入る絶好の好機と思っているんだろう。腹の立つことだがな。


「デイトナ様、終わりました」

「ご苦労」


治癒魔法で癒やされた体を観察してみると、もう傷一つ残っていない。万全の状態だ。出来る事なら今すぐ戻って奴等の首をねじ切りたいが、もうあそこに残ってるはずが無い。今は怒りを心の奥底に沈めて、機会を待つべきだろう。


「だが、次は失敗しない。今度奴らと出会うことがあったら、必ず殺してやる。俺の全力でな」


§ § §


ルビアス達の訓練を終えて、俺は街に戻ってきていた。いくら勇者パーティーだからと言っても、働かずに食べていけるほど恵まれた環境に居るわけじゃないので、王女であるルビアスはともかく、俺やカリン達は当然日々の仕事で稼がないといけない。カリンとシエルは新たに加わったディエーリアを加えて、手頃な依頼を受けて街を出て行った。ルビアスは家で訓練をしているか、領主様の屋敷で模擬戦をしているかのどっちかだ。彼女は暇さえあれば自分を鍛えることに熱心だから、成長するのが物凄く速い。ディエーリアにも見習って欲しい部分だったりする。そして俺はと言うと、今日はギルドで受付の仕事だ。最近は斬った張ったの騒ぎばかりで気持ちがささくれていたので、カウンターに座っていると凄く落ち着く。ああ、平和って良いなぁと実感する瞬間だ。


「ラピスちゃん、今日は何だか力が抜けてるねぇ」

「本当。いつもはキリッとしてるのに、今は溶けかけたチーズみたいになってるわよ」

「……そうですか?」


カミーユさんとミランダさんに、カウンターに突っ伏したまま答える。そんな俺の反応に、二人は肩を竦めるだけだ。良いじゃないか別に。今は珍しくお客さんもいないし、備品の補充も終わっているからする事が無い。何もする事が無い時ぐらい力を抜いても罰は当たらないはずだ。


だらけたまま、俺は魔境で出会った魔族を思い出す。なかなか力を持った魔族だった。ルビアス達に自信をつけさせるために、奴の動きを殺気だけで牽制していたけど、討伐するまでには至らなかった。あれが今の彼女達の限界。でも、将来的には必ず勝てるようになる。それだけの時間の猶予はあるはずだから。


あの魔族――デイトナと名乗った男は、自分の主をトライアンフ様と言った。俺が倒した魔王アグスタとは別人らしい。つまり、複数居る魔王の一人がそのトライアンフとか言う魔族なんだろう。そして多分、デイトナはそのトライアンフが放った先遣隊だ。あの規模の魔物と、そこそこ強い魔族に率いられていることから考えて、たぶん間違っていないと思う。偵察隊が潰されたならどうすか? 普通の指揮官なら慎重になるはずだ。これぐらいで十分と見積もっていた戦力があっさり潰されたのなら、敵は自分が思っているより強力だ。だから次はもっと戦力を整えてから。ちゃんと情報を集めてから行動しよう――と言う事になるはず。と言っても、それはあくまでも俺の願望であって何の確証も無い。猪突猛進の指揮官ならすぐに増強した兵を派遣するだろうから。


「でもまぁ……少しぐらいの時間は稼げるはずだよね」

「ラピスちゃん、何か言った?」

「いえ、何でも無いですよ」


考えが口から漏れてたみたいだ。ちらほらと冒険者が増えてきて、それに釣られて仕事量も増えていく。短い休憩時間だったなと思って次々と仕事を捌いていると、ギルドの入り口からフラリと一人の女の子が入ってきた。女の子はおどおどと周囲を見渡しながら、おっかなびっくりカウンターに進んでくる。その子はまだ小さく、七~八歳ぐらいにしか見えない。明らかに冒険者じゃないし、身なりからして普通の家庭か、それ以下の経済状況にあるような子だ。ギルドの関係者かな? と思って両隣を見てみたら、カミーユさんもミランダさんも、怪訝そうな顔をしているだけだった。俺より長くここで働いている二人なら、職員の家族構成ぐらいなんとなく解ってそうだから、ギルドの家族でも無さそうだ。


そうこうしている内に女の子は俺の目の前に辿り着いていた。途中で絡もうとした冒険者もいたようだけど、それは周囲の冒険者に止められている。目的が解らないまでも、とりあえず無視は出来ないので、俺は安心させるように笑みを浮かべて話しかけた。


「ようこそ冒険者ギルドへ。お嬢さん、ギルドに何かごようですか?」

「え、あの……えっと……」


緊張のためなのか、女の子は何を話して良いか解らなくなっているみたいだ。これがむさ苦しい男の冒険者なら早くしろと急かすところだけど、小さな女の子ならいくらでも待っていられる。


「あの……お母さんを、助けて欲しいんです」

「お母さん?」

「お母さんが病気で……だから……」


話の途中で女の子はポロリと涙をこぼした。突然のことに驚きつつも、俺は急いでカウンターを回り女の子の肩を抱いた。周囲の冒険者も、カミーユさん達も滅多に無い出来事に戸惑っている。カミーユさんは何を思ったのか、自分が持っていたお菓子を差し出そうとするし、ミランダさんは周囲の冒険者が何かしたんじゃ無いかと鋭い視線を飛ばしている。完全な濡れ衣だよ……。やがて女の子も落ち着いてきたらしく、まだ涙に濡れた瞳で俺を見る。


「お姉ちゃん、ごめんなさい」

「いいよ。それより何があったか話せる? ここは落ち着かないから、奥に行こうか?」


カミーユさん達に目配せした後、俺は女の子の手を引いて奥にある休憩室へ足を運んだ。女の子は少し緊張していたようだけど、黙ってついてくる。昼は過ぎているし、休憩時間ともズレているので、部屋の中には俺と女の子だけだ。とりあえず彼女の緊張を解すために、誰かの持ち込んでいたお茶っ葉を勝手に拝借して二人分のお茶を用意すると、女の子はペコリと頭を下げて一口飲んだ後、気が抜けたようにホッと息を吐いた。


「落ち着いた?」

「はい。えっと、私はリーナって言います」

「お……私はラピス。リーナがここに何をしに来たのか話せる?」


リーナは頷くと、静かに事情を話し始めた。彼女の住む家は、このスーフォアの街の一角、人通りも治安もあまり良くない場所――つまりは貧民街にあった。慎ましい生活を送りながらも、最近まで親子四人で平和に暮らしていたリーナの一家は、父親の死によって環境が激変する。冒険者だった父の収入で何とか暮らしていた一家が、いきなり無収入になったのだ。どうなるかは簡単に想像がつく。少ない貯金はすぐに底をつき、その日食べるものにも困る中、もともと病気がちの母親が無理して働きに出ていたようだけど、それも長続きしなかったみたいだ。数日前に体調を崩した母親は、今朝倒れたかと思ったら高熱を出したまま起き上がってこず、慌てたリーナは近所の人に助けを求めたらしい。でも、回りも彼女達一家と大差の無い経済状況なので、出来る事と言ったら少ない食べ物を分け与えるか、アドバイスをする事ぐらいだ。リーナは子供なりに必死になって考えた。この状況で自分に一体何が出来るのかを。そして彼女の出した結論は、冒険者ギルドを頼ること。父親から聞かされた冒険者という仕事は、困っている人を助けてくれる人達だったからだ。お金を払えばお母さんの病気を治してくれるかも知れない。そう思った彼女は勇気を出して、このギルドを訪ねてきたらしい。


「お姉ちゃん、私、家にあるお金を持ってきたの。これで足りる?」


そう言って、彼女が懐から大事そうに差し出したのは数枚の銅貨だけ。不安そうに、縋るような目でこちらを見る彼女に、それでは足りないと言えるほど俺は鬼じゃ無かった。病気の治療は基本的に神殿の仕事だ。それぞれの神に属する神官が、高い治療費の対価に神聖魔法を使って病気を治してくれる。でもその金額は高く、富裕層ぐらいしか払えない価格設定になっている。ましてリーナの家のように、日々の食べ物にも困る一家が払えるわけがない。となると、後は冒険者の領分だった。俺はリーナの頭を優しく撫でると、安心させるためにニッコリと微笑んでみせる。


「大丈夫だよ。お母さんの病気は必ず治るから。安心して」

「本当!?」


途端にぱあっと明るくなるリーナ。俺の魔法を使えば、たぶん病気の治療は出来る。でも、それだと根本的な解決にはならない。こうして関わり合いになったんだから、リーナの家族には自立できる手助けをしてやりたかった。


「じゃあ、依頼料に一枚だけもらうね。それから、すぐにお母さんの所に戻ろうか? お姉ちゃんがお母さんの事、少し楽にしてあげられると思うから」

「あ、ありがとうお姉ちゃん! じゃあすぐに行こう! 家はこっちだよ!」


一刻も早く、苦しむ母親を助けたいんだろう。リーナは弾かれたように走り出した。慌ててその背中を追いながら、俺はこの事態をどうやって解決するか、頭の中で考え始めていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る