第42話 デイトナ

――デイトナ視点


俺の名はデイトナ。人間共が魔境と呼ぶ魔族領を治める魔王の一人、トライアンフ様の腹心だ。今、魔族領は魔王同士の勢力争いで揉めに揉めている。それと言うのも、魔王が複数現れるという異常事態が原因だった。三百年前、勇者によって倒された魔王アグスタ。奴が倒れてからと言うもの、魔族領は各地を有力な魔族が統治し始める群雄割拠の時代になった。誰が主導権を握って魔王になるのか? 最初の百年ほどは血で血を争う抗争が続いてたようだが、やがて生き残った有力魔族達は血を流す愚に気がつき、各地を分割統治すると言うことで落ち着いた。


小競り合いこそ何度か起きたものの、表面的には平穏無事な時代が二百年続き、各地の有力魔族達はいつか自分が魔王になるために力を蓄えていった。そこに突然現れたのが死んだはずの魔王アグスタだ。奴は四分割された魔族領の中央――所謂緩衝地帯で警戒していた各勢力の兵を蹴散らし、何処からか湧き出てきた魔物を使って周囲一帯を実効支配してしまった。


当然トライアンフ様を始めとする有力魔族は取り戻そうと動いたが、なにせアグスタ本人は勿論、従えている魔物が強い。全力でやれば負けるわけが無いが、アグスタだけに気を取られていると、他の魔族が漁夫の利を狙って攻撃を仕掛けてくる危険もあったため、やむなく一時手を引く形になった。結果、魔族領はアグスタの支配地域を中央に、南東をトライアンフ様。北東をアプリリア。北西をピアジオ。南西をドゥカティと言う、五つの勢力に別れてしまった。それと同時に、各地の有力魔族達は魔王を自称し始めた。アグスタ亡き後各地を守ってきたのは自分であるし、力も過去のアグスタを越えていると言う自信からの名乗りだ。当然我が主であるトライアンフ様はアグスタなど足下に及ばない実力者だが、他の魔族達は正直言ってそれ程でもないだろう。奴等がつぶし合って倒れてくれるなら万々歳だが、そうこちらの思い通りにはいかないはずだ。なぜなら、人間共の世界にも複数の勇者が現れたからだ。


勇者――言わずと知れた魔族の仇敵。三百年前、世界を支配しようと動いたアグスタを倒した最強の人間だ。人間の寿命など短いので、せいぜい百年も生きれば良い方だ。放っておいても死ぬだろうから安心していたが、今度はそれが複数現れただと? 他の魔王の対処だけでも頭が痛いのに、勇者まで現れるとは……まったく、つくづく魔族領は呪われた土地だと思う。


そんな状況だから、下手に動いて隙を見せることなど出来ない。人間なり他の魔王の支配地域なりに兵を差し向ければ、誰が後ろから襲いかかってくるかわかったものじゃないからだ。と言っても、何もしないわけには行かない。自分達が有利に立ち回れるために、少しでもトライアンフ様の名を上げる方法手を選ばなければならなかった。


「良いかデイトナ? お前はまず、今の人間達がどの程度の力を持っているのか確認するのだ。強ければ他の魔王を狙うように誘導し、弱ければ俺の名を上げるために殺し尽くせ。魔族領で籠もっているだけの自称魔王より、積極的に人間の領域を攻撃している俺をこそ魔王にふさわしいと、そこらの魔族は思うだろうよ」

「承知しました。その大役、見事果たしてご覧に入れます」


人間共をちょいと脅かして帰るだけなら楽な仕事だ。女が居れば攫って帰れば良いし、男は気晴らしに殺せば良い。俺は配下である数人の魔族や支配下にある魔物共を引き連れ、人間共との境界線にある壁に向かった。


トライアンフ様の本拠地から数日東に移動すると、俺達の行く手を遮るように巨大な壁が現れた。砦のようにあちこちに武器が備えられ、人間の兵士が常時警戒しているこの壁のことを、人間共は『魔物の嘆き』などと大層な呼び名をつけているようだが、俺としては失笑ものだ。魔物がいくら押し寄せても泣いて帰る? そんなもの、理性も無い僅か数匹の魔物を追い返しただけではないか。俺達魔族が本気を出せば、あんな壁などものの数では無い。邪魔になるなら紙のように引き裂いて前に進むだけだ。


しかし俺達が壁に到達する直前、俺達の前に妙な連中が現れた。そいつらは全員が女ばかりで、人間が四人とエルフが一人と言った組み合わせだ。奴等は武装して魔物と戦っている。おそらく冒険者とか言う、あっちこっちに出没しては魔物を狩って日銭を稼ぐ連中に違いない。この魔境にまで入ってくる奴は少ないが、それでも全く居ないわけじゃない。そのどれもが魔物にまるで歯が立たず死体になるだけであるのに、あの連中の周りは魔物の死体が山積みになっていた。どうやら少しはやるらしいな。


「お前達、あの壁を攻撃する前に、あの女どもをやるぞ。ただし殺すな。生かしておけばそれだけ楽しみがあるからな」


俺の指示に配下の者共がニヤリと笑う。魔族領で同じ魔族相手に狼藉をはたらく訳にはいかんが、相手が人間となれば話は別だ。戦闘の高ぶりを沈めるのと、移動中の欲求不満解消のためにも、あの連中を生きたまま捕らえておけばいい。


俺は配下に命じて奴等を包囲するように動かしていく。別に奇襲するわけじゃ無い。逃げられないようにするだけだ。お楽しみが減ってしまうからな。俺は久々に訪れた鬱憤晴らしの時間に、興奮を抑えきれなくなっていた。


§ § §


――ディエーリア視点


私がラピスちゃん達と行動を共にし始めてしばらく経った頃、ラピスちゃんの恐ろしい提案で魔境に行くことになってしまった。あんな魔物の溢れる危険な地域に足を踏み入れるなんて、頭がどうかしてるとしか思えない。勇者なんだからいずれは行かなくちゃいけないんだろうけど、もっと余裕が出来てからにして欲しかった。頭がどうかしていると言えば、ラピスちゃんのあの訓練は何? 今まで軍隊にいた私が音を上げるぐらい厳しいなんて。あれじゃ強くなるのも当然よね。おまけに逃げだそうとしても連れ戻されるし。国一番の訓練所って評判は、たぶんラピスちゃん個人の力によるものだと思い知らされた。


嫌々やらされていた訓練だったけど、私はラピスちゃん達が驚くほど短期間で実力を身につけていた。教官兼師匠であるラピスちゃんは別格として、体力はルビアスに食らいつけるぐらいになって、魔力は以前の倍ほど増えていた。弓は運に頼らなくても当たるようになったし、一応勇者として最低限の格好はつけられるようになったかな?


「ルビアスお願い!」

「承知した!」

「ディエーリア! 援護して!」

「わかったわ!」


前衛でカリンとルビアスが入れ替わり立ち替わり魔物を切りつけ、後ろに魔物を回さないように奮戦している。シエルが魔法を使うために集中している間、私は近づく魔物に弓と精霊魔法で牽制だ。勢いよく走ってくる途中で脳天に矢が命中した魔物は、地面を滑りながら絶命していく。


「離れて!」


シエルが魔法を使う直前、カリンとルビアスの二人が左右に跳んで射線を空けると、ルビアスの魔法が彼女達が戦っていた魔物の群れに命中し、死体を量産していく。彼女達と組んでそんなに日は経っていないのに、なかなかのチームワークなんじゃないかな? 今の一撃で魔物が片付いたから、全員がホッと息を吐いた。本当は地面に座り込みたい気分だけど、どんな時でも油断するなとラピスちゃんが口を酸っぱくして言うので、私達は武器をしまったりしない。そのラピスちゃんだけど、この魔境に来てから一切私達を助けようとしなかった。後ろで腕を組んで、ジッと私達の戦いぶりを見ているだけだ。だからと言って誰も怒ったりしない。普段の教官ぶりを知ってるし、危なくなれば助けてくれると信じているからね。


「みんな良くやったね。なかななかの動きだったよ。かなり腕を上げたな」

「最初は戸惑ったけど、戦い方にさえ気をつければ大丈夫だね」

「そうは言うけどカリン。最初無謀に突撃したのは君じゃ無いか」

「ルビアスの言うとおりよ。すぐ調子に乗ってラピスちゃんの言ったこと忘れるんだから。ディエーリアが居なかったらやられてたかも知れないわ」

「たまたま矢が当たっただけだよ。たまたま」


冒険者に偏見を持っていた私の認識をカリン達は改めさせてくれた。彼女達は礼儀正しく、明るく、粗暴な振る舞いなんか少しもしない。それなのに実力は普通の冒険者より頭一つか二つ分抜けているんだから、随分感心させられたものよ。王女様のルビアスは躾が厳しいから当然としても、カリンとシエルの二人までそうなのは何でなんだろう? ラピスちゃんの教育? そこまで考えて私は頭を振った。そんなはずない。たぶんこの中で一番凶暴なのはラピスちゃんだ。あんなエルフでも見かけないような綺麗な顔で、黙って座ってれば虫も殺さないようなおしとやかさを感じさせる雰囲気で、訓練生達を容赦なく追い詰めるんだから。むしろ彼女は礼儀作法を教えてもらう立場だと思う。


「ディエーリア。どうかした?」

「なんでもないよ。気にしないで」


危ない危ない。ラピスちゃんは物凄く鋭い娘だから、少し顔に出てただけでも考えが読まれるかも知れないしね。気をつけないと。


「みんなお疲れ。一週間ここで頑張れたってことは、みんなの実力は随分向上したと思って良いよ。もちろんまだまだ魔王と戦うのは無謀だけど、強力な魔族を相手にするぐらいなら出来ると思う」


魔族が強いのは知ってる。私は実際に戦った父さんやお爺ちゃんの世代から聞いたことがあるけど、彼等は特に訓練を積まなくても並の戦士程度なら簡単に蹴散らせる力があるらしい。それがちゃんとした訓練を受けていたら? もしかして、ラピスちゃんみたいな鬼教官が魔族の中にも居るかも知れない。力をつけた魔族と遭遇した時、今の私達で何とかなるのかな? 私はとても不安だった。なのにラピスちゃんはそんな私の不安を吹き飛ばすような言葉を口にする。


「じゃあ今回の修行の仕上げとして、今俺達を囲んでいる魔族の相手をしてもらおうか」

『!?』


慌てて周囲を見渡したら、数は少ないけど木々の間に魔物や人影が見えた。いったいいつの間に……って、私達が戦ってる間に近寄ってきたんだ。戦闘に集中していたとは言え、ここまで接近を許すなんて! あれだけ油断するなと言われた側からこれだ。私は自分の迂闊さを呪いたくなった。


「ほう。気がついてる奴が居るとはな。なかなかの実力だ。驚いたぜ」


木々の間から姿を見せた体格のいい男は、そう言うと不敵に笑って見せた。……強い。戦わなくても雰囲気だけで解る。冒険者ギルドでたむろして、新人に威張り散らしてるような見かけ倒しとは別物だ。こうやって対面してるだけでも凄いプレッシャーだよ。


「だが解らんな。気がついた時点で逃げていれば、まだ生き残る確率があったはずだ。ここに留まればいたぶられた後、魔物の餌にされるだけだとわからないのか? それとも恐怖で体が動かなかったのか?」


周囲の森から他の魔族と魔物が姿を現した。この状況から逃げるのはもう無理だよね。ラピスちゃん、一体何を考えてるのよ!? 涙目になった私がラピスちゃんを見ると、彼女は少しも慌てた様子がない。それどころかリラックスすらしているようだった。


「囲んでたんなら聞こえてただろ? お前達は彼女達の修行相手になってもらう。ちょうど良い実力みたいだからな」

「……小娘。俺を舐めてるのか?」


魔族の雰囲気が変わって、男の体から押さえられていた殺気が放たれた。ゾクッと鳥肌が立ち、本能が逃げろと警告してる。今まで相手にしてきた魔物なんて、この男に比べれば雑魚も良いところだ。ラピスちゃんは、こんなのの相手を私達にさせるつもりなの? 死んじゃうよ! 緊張に身を固くする私達を余所に、ラピスちゃんと魔族の会話は続く。


「舐めてる……と言うわけじゃ無い。俺はある程度相手の力が把握できるからな。俺の見たところ、カリン達四人ならお前を倒しきることが出来る。油断しなければだけどね」

「ほう。じゃあ残りはどうするんだ? 俺とそこの娘共が戦っている間、残りの部下と魔物は全部お前が相手にするとでも?」

「もちろん俺が片付けるよ。お前は心置きなくカリン達と戦ってくれ。みんな。聞いての通りだ。回りは気にせずこの男だけに意識を集中しろ。君達なら問題なく勝てる」


無理だよ! 絶対無理! まるで勝てる気がしないもん! そう絶叫したかったけど、カリン達は静かに武器や杖を構え始める。嘘でしょ。やる気になってる。こうなったら今更逃げるなんて出来ない。もう覚悟を決めるしか無いな。


「ラピスちゃんがそう言うなら、私達はやるよ」

「ええ。厳しい戦いになるでしょうけど、勝てると信じてるわ」

「師匠が嘘を言うはずありません! 必ず勝利できます!」

「……もう! どうなっても知らないからね!」


戦闘態勢を取った私達に、男は目を剥いて驚く。そんなに意外だったのかな。


「……ここまで舐められたのは初めてだ。良いだろう。相手をしてやる! 恨むなら逃げる判断をしなかったそこの小娘を恨め! お前達を殺すのは、魔王トライアンフ様の腹心の一人、デイトナだ! 自分達の無力さを噛みしめながら、あの世に行くが良い!」


男の言葉を皮切りに、戦いの火蓋が切られた。

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