第17話お菓子2


 二日後



 スフレの料理を食べ終え、いつものようにまったりしていると、何やらスフレが企んでいることに気が付いた。


「何企んでいるんだ?」


「べっつに!」やけに嬉しそうな顔ははにかみ、そう誤魔化す。騒ぎになる事だけはせめて辞めていただきたい。


「シュゼ。はいこれ! この前言っていたお酒。やりたかったのでしょ、あれ」


 あの事かと自己解決し、納得する。今日やたらと機嫌がいいと思ったらそのことか。


「うそ……でも、どうやって」

「フフフ、秘密の魔法よ」了承はしていたが、いつもの通販であることに変わりはない。


 お酒の入った袋を受け取り、こちらをチラッと見遣る。先日のお風呂での一件を気にしているのだろう。何かを伺っている。


「ああ、好きにやっていいぞ。包丁や火を使うなら気を付けてな」

 そう答えるといつもより明るい顔で礼儀良くお辞儀をした。



 シュゼは俺とスフレの向かいに立ち、まな板、ボウル、ざる、カセットコンロとそれからいくつかの 調理器具をテーブルに並べ。明かりを消した。


 暗がりの中にロウソクの火が浮かび、シュゼの手元を照らす。表情までははっきりとわからなかったが、ぼんやりと揺らぐ柔らかな灯が落ち着きを与え、彼女に安堵の余韻をもたらしているように思えた。


 計量器にボウルを乗せ、適量のホットケーキミックスを測る。卵と牛乳を混ぜた液体を三度に分け、注ぎながら混ぜていく。


 好みの問題だが、少し強めに混ぜた方がモッチリとした食感となりおすすめらしい。


 混ぜ終えたらざるを使い濾す。


 こうすることにより、食べた時の舌触りがなめらかとなる。説明を述べながら生地を作り終え、カセットコンロに火を付け、弱火でフライパンを温める。


 その間にシュゼはオレンジの蔕より少し下の部分を切り、槍や鎌にも似つかない不思議な形をした銀のもので、切った部分と反対の方から重ねて突き刺す。


 そして、ソレを掴み顔の前まで持ち上げ、ペティナイフを使い、皮をつなげて切っていく。切り終えた後、手ごろなサイズの容器に入れ、後で使います。と添える。


 その作業を終えるころにはフライパンは温もっており、手を翳し温度を確かめてから少量のバターを入れ、全体に馴染ませる。


 すべてが溶け、フライパン全体にいきわたると、生地にレードルを突き刺し、一杯より少ない量を注ぎ、ゆっくりとフライパンを回し全体に薄く広げた。


 時間をかけ、丁寧に一枚一枚仕上げていく。出来上がったものは随時皿に移していく。


 スフレはその間退屈をしていたのか、魔法で蝶を描き飛ばしていた。それもあってか、この空間は神秘的そのものであった。


 計六枚のクレープを作り終えたシュゼは、先ほど使っていたフライパンより小さなものを取りだし、火力を強め、かなりの量の砂糖を溶かす。砂糖が溶ける甘い香りが立ち込めてきた頃、更にバターを加え、しばし溶かす。


 砂糖とバターが溶け切り飴色に色づき始めた頃、オレンジジュースを少量注ぎ、香りを立たす。ジュゥ、と冷たいジュースが熱いフライパンの熱を奪うとともに、砂糖の甘い香りとバターのなめらかな香り、オレンジ独特の酸味の効いた香り、それぞれの香りが独立しながらも調和してやってくる。


 その後、何度か同じ動作を行い、程よく熱が抜けた頃に、全てのジュースを注ぎ終わった。火力を調整しながらソースが煮立ってきた頃に、テーブルの端に置かれていた『コアントロー』と呼ばれる、オレンジが原材料のリキュールをグラスに注ぐ。

もう一つは『グランマニエ』と呼ばれるもの、これもオレンジが原材料のリキュールだ。


 一言でリキュールだと言われてもわからなかったが、蒸留酒に果実やハーブなどの香辛料を加えたものと、スフレが付け足してくれた。無論、酒である。


 グラスに注がれた透明な液体は、熱されたソースへと注ぎ込まれ、シュゼが一言注意を呼びかけフライパンを揺らすと。



 紅い炎を巻き上げた。



 熱が鼻を突くような感覚と甘い香り、音と光。初めて料理とは五感で感じとり楽しむものと思い至った。


 フランベ、と呼ばれる作業を終えると先ほど作っておいたクレープ生地を四つ折りにし、ソースに浸す。煮詰める。


 しばらく煮詰めた後、グラスに『グランマニエ』を注ぎ、コンロの火にグラスを近づけ火を移す。ビール瓶に似た色の液体は、青い炎を浮かび上がらせる。


 そして、予め切っておいたオレンジをフライパンの上で高く持ち上げ、螺旋状に連なった皮を青い炎が蔦り、ぽたぽたとソースに注がれていく。


 火を止めた。


 白の皿に、少し黄色く色づいたクレープを二枚、それぞれ三人分と分けていく。

 ソースを塗し、アイスクリームを添える。



 そして最後に『グランマニエ』闇に映し出された青く輝く炎が注がれ、飛び散り、光はやがて輝きを失う。



「ア、 アルコールが完全に飛びきっていないので……き、気を付けてください」


 調理を終えたシュゼはロウソクの灯を消し、電気を付けた。


 すべての工程を終えたにもかかわらず、未だに胸の鼓動は収まらない。


 それくらい俺は、この料理に魅せられた。数十分ほどの間であったというのに、シュゼの顔はどことなく久しく思えた。


 目の前には、先ほどまで粉や液体だったものが姿を変え、白く何の装飾のない平凡な皿であるのに、不思議と思えるほど艶やかだった。


 手渡されたナイフとフォークを使い、クレープの端を切り、口へと運び入れる。


 オレンジの香りと酸味、あれ程の量であったにもかかわらず、控えめな甘さであり、最後には酒独特の苦みが口全体に馴染み、喉奥へと伝わっていく。


 冷たいアイスに温かいクレープ。全てにおいて遅れを取ることなく、欠けることなくそこにいた。


 初めて料理というものを見たのかもしれない。そう思えるほど、どうやら俺はこの悪魔に魅せられたのかもしれない。


「こ、このお菓子の名前はクレープシュゼットと言います……ちょ、ちょうど私の名前と同じなので、宜しければ頭の片隅にでも置いておいて……ください」


 その声に半ば遅れて生返事を送る。まだ……まだ、収まらない。


「なによ。もしかして酔った?」

「だ、大丈夫ですか……?」スフレの言葉にシュゼまで心配してくれるが、誤解だ。


 程なくして正気が帰ってきたのか、まともに返事をする。


「いや、だいじょうぶだ。……顔が熱いくらいだな」


 二つともアルコール度数40%もある強いお酒である。そのため、二人にも気を使うが、たいしたことないようだ。




「そういえば、魔女っていうか、悪魔の伝統的なお菓子とかあったりするのか?」


 気になったことを口走ったが、シュゼの反応はイマイチであった。


「あぁ……。い、一応あるにはあるのですが……少し、どころか大変……不快なものと言いますか……。ひ、人の身体の一部でしたり、臓器を見立てて作るのが大半でして……」


 少し記憶を巡らせたのか、青い顔をするシュゼ。


 ドジッたね。とニヤ気顔を向けるスフレ。とりあえず、お菓子の感想という逃げ道を使い、話題を変え、難を逃れる。



 そして、酔ったことを言い訳に、そそくさと寝る支度をし、平和だった日常に戻れることを期待し、目を閉じた。

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