第八十五夜 テケテケ
とあるカラオケ店の周り。
近くに居酒屋ばかりの雑居ビルが数軒ならぶところで、朝の四時四十四分になると、テケテケが追いかけてくる。
そんな噂を知っているだろうか。
実はこの場所、世見町の地図がわかる人間ならある程度推測できる場所だ。
カラオケ店は何店舗かあるものの、周りに居酒屋ばかりの雑居ビル――となると、結構場所が絞り込める。
今ならインターネットで地図も見られるし、カラオケ店の近くを調べれば一発でわかるだろう。そういう場所だ。
加賀もそれを見た一人だ。
「情けないことに、酔い潰れて朝の四時くらいに気付いたんですよ」
悪びれずに笑う加賀。
まだ若い頃のことだったが、夜中まで居酒屋で酒を飲んで騒いで、夜中の二時ごろに解散した。帰ろうとしたはずが、どういうわけか「ここで寝よう」と思い立ち、そのままごろりと横になってしまったのだ。
起きた時にはそこがどこだかわからず、若干パニックになりかけた。
とはいえ、少々のやっちまった感から回復すると、まだ少し酒が抜けきっていない感覚はあったものの、前後不覚の状況からは脱した。
一日騒いだからか、それともゴミ袋の上にダイブしたからかわからないが、微妙に自分から異臭がする。ともかく早いところ家に帰りたかった。
だが暗くはあったが、朝方の誰もいない世見町はどこか新鮮だった。
荷物はかろうじてあったので手にして歩き出す。人とすれ違わないのは幸運だった。
――やべーなあ。今日なんだっけ。仕事だっけ……何曜日だ?
少し焦りながら、その日が何曜日だったかを思い出そうとする。
世見町は広い大通りのイメージがあるものの、場所によっては車が二台、ようやくすれ違えるくらいの広さしかない。
そこを歩いていると、どこからともなく声が聞こえてきた。
「おい、おい」
えっ、と思ったが、見回しても誰も居ない。
時間が時間なので、もしかして変な奴に目をつけられたのではないかと怖くなった。だが見回しても相手が見えないので、自分ではなく他の人間に絡んでいるのかもしれない。
――怖ぇ……とにかく早く立ち去ろう。
そう思って歩き出そうとすると、また「おい」という声が聞こえる。
ドスの効いた声というか、掠れた声だったので、変に絡まれないうちに逃げ出したくなった。そうして聞こえなかったふりをして、足早に歩きだす。
その途端、ぐっ、と勢いよく足元を掴まれた。
それも片手で掴まれたのではなく、両腕を使って両足を抱きしめられたのだ。
「うわっ!」
思わず声をあげると、その声が誰もいない路地に反響した。
――なんだ、なんだ!?
恐ろしくなってパッと下を見ると、目の血走った男が自分の両足を掴んでこちらを見上げていた。顔を顰め、加賀を睨むように見ている。
あきらかに、不良やヤクザといったものじゃない。変な奴に絡まれた。
「ち、違います。オレは違います!」
混乱してそう言う。
慌てて歩きだそうとしても、男は加賀の両足を掴んで離そうとしない。
「違いますったら!」
男を無理矢理振りほどくと、急に軽くなった。男は後ろへひっくり返り、ごちんと音を立てた。
――まずい!
相手は勝手にすがりついてきたとはいえ、頭を打ったりしたらおおごとだ。ぎょっとして足が止まってしまった。だが、そのとき妙なことに気が付いた。
もうこのまま逃げようかと後ずさると、男はごろりと横になった。そのとき見えたのが、男の腹だったのだ。
というより、男には下半身がなく、潰されたようにそこから赤いものが見えていたのである。そして両腕を使って肩を上げると、そのまま肘だけでぺたぺたとこっちへ向かってきた。
今度こそ加賀は悲鳴をあげ、慌てて逃げ出した。
後ろから聞こえる音は、ペタペタというより、テケテケテケテケ、という妙に早い音だった。
あんな姿で生きているはずがない。
生きていたとしたって、出血多量で死んでいるはずだ。
必死になって逃げているうちに、テケテケという音は聞こえなくなった。
あまりのことに酔いもすっかり醒め、気が付いたときには布団の中で震えていた。
さすがに夢だったのかと思ったが、シャワーを浴びようとズボンを脱ぐと、足元をぐっと腕で抱かれたような妙な青あざが残っていて、ぞっとした。
友人に話すと、酒で寝ぼけてたとか、なかなかいい作り話だのと散々からかわれたあと、こんなことまで言われた。
「お前、そりゃあテケテケさんだろ、都市伝説の」
などと言われたが、テケテケは女子高生の幽霊じゃないのか、と後で思ったくらいである。まあ、下半身の無い幽霊に足を掴まれるなど、女であってもお断りだ。
とはいえ気になったのでしばらく調べていると。
どうもそこでヤクザの抗争があり、何人か銃で撃たれて死んでいるらしいということがわかった。
――でも、銃で撃たれてって……。
果たして下半身が吹き飛ぶほどなのかは疑問が残る。
だから、あの時の男がなんだったのかは今も謎のままなのだ。
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