第七十八夜 カラオケ店の幽霊

 西野が世見町のカラオケ店で働いていた時のこと。


 世見町のカラオケ店というだけあって、まあ問題は色々とあった。それこそ客同士のトラブルから、ラブホテルと間違えているんじゃないかというような迷惑行為まで様々だった。だが基本的に、『そういう』クレームや噂は無かった。

 つまるところ、幽霊の類がいるような噂は無かったのだ。


 ところがある時期から、奇妙なクレームが入り、そういう噂が流れるようになった。


『入店時に飲み物を必ず頼む際、もう全員頼んでるのに「もうお一方は?」と聞かれた』

『案内された部屋に行ったらもう女がいて、部屋カブッてるって店員呼んだらいつの間にか消えてた』


 ……というようなものである。

 これが客の間だけならまだいいのだが、実際に同じカラオケ店で働く同僚からも似た話を聞くようになった。


『誰も入ってないはずの部屋に女の人が座っていて、注意しようと部屋に入ったらいなくなっていた』

『注文を受けたら、誰も使ってない部屋からだった。悪戯か勝手に部屋使われてるのかと思って見に行ったら、誰もいないのに突然電気がついたり、ちゃんと置いてあった本やマイクが落ちたりした』


 それどころかこんな話まである。


『女が廊下で突っ立っているので何だろうと思ったら、天井から首を吊っていた』


 ここまで来ると、カラオケ店で自殺者がいた、という根も葉もない噂まで飛び交うようになってきた。


「自殺なんかありましたっけ?」

「いや? だって騒ぎがあればオレたちの耳にいち早く届いてるはずだろ」


 特に西野はほぼ一日中バイトを入れていたので、さすがに耳に入らないはずがない。しかも前々からそういう話があったならともかく、そんな話は聞いたことがなかった。


「西野さん、ここ長いっすよね。聞いたことないんですか?」

「いやあ、全然無いなあ。でもこの話、ほんとここ最近のことだよな」


 そう言って首をかしげるしかなかった。

 もしかして自分の知らない間に何か事件でも起きたのかと思ったが、そういうことはなかった。もし何か事件があれば、周知されるはずだ。それに、このカラオケ店ができてから十年ちょっとは経っている。以前の建物で何かが……というにしても、十年近く経って幽霊が出てきましたなんておかしすぎる。

 おかしいなあと思っていたが、噂やクレームが来るようになった時期と、あることがかぶることに気が付いた。


「そういえば、あいつが来てからですよね」


 そういえば噂が立ったのは、バイトの店員の一人をとってからだということに気付いた。

 そのバイト店員――Aという名前だった――は、三十代後半のうだつのあがらない男だった。年上の後輩は前の職場にもいたけど、あの人はほんと困る――と、後輩の女子高生が愚痴っていたのを思い出す。

 元々は会社員だったらしく、ややバイト店員たちを見下す癖があったのだ。高校生や大学生ならともかく、西野のようにフリーターで働いている人々を特に見下した。

 自分だって今はフリーターで働いているくせに何を言ってるんだと西野は思っていたし、次第にバイトの間でもピリピリしていた。


 なんでも聞いたところによると、Aが会社を辞めたのは「一身上の都合」「鬱からの復帰」などとぼんやりと聞かされていた。

 鬱ならしょうがないというより、本当に鬱だったのかというような性格をしていたが、どうも前の職場を辞めたのは鬱でも都合でもなく、不倫がバレて会社を辞めざるをえなかったのだという。しかも相手は女子高生で、妊娠させたのを腹を殴って堕ろさせ、相手が入院して発覚した――というどうしようもないものだった。

 しかも相手はショックで首を吊っていたというおまけつきだった。

 入院したのは堕ろしたショックではなく、首を吊ったからだという噂までつきまとった。


 しかし何故それがわかったのかというと、どうもお客に『見える人』がいたらしく、それを指摘されたことで逆上して殴りかかったのだ。

 幽霊が見える云々は置いておき、さすがに殴りかかったのが問題になって辞めさせられた。


 そして推測通り。


「……あの人が辞めてから、出ませんね、幽霊」


 西野は後輩のそんな言葉に肩を竦めたのだった。

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